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月下のぬくもり

皇帝もまたそこですっと立ち上がると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
長い脚で大またに部屋を横切る。
それを見送った陸仙強は、ため息をついて首を振った。
「いやはや、気まぐれなお方だ」
「いつもああでいらっしゃるのか?」
蘇朔の問いに陸仙強はうなずく。
「まあ、ご機嫌はおよろしいようでなによりだ」
「ああ、それはそうだ。常にほがらかな方でいらっしゃる。だが、体調を気にかけないのもこれまたいつものことなのだ。
ご自分のお体のことを、もう少しご自分でもお気にかけていただきたいものだ。これでは周囲がどんなに手を施しても変わりようがないではないか」
確かに、と桂秋は心の中でうなずく。
「ああそれで蘇朔、拝見してどうだった?」

そこで蘇朔は、顔をしかめて陸仙強を見やった。
そして、やや言いにくそうに告げたのだ。
「陛下におかれては…何か、毒物を継続的に摂取されているのではないか?」
それを聞いた桂秋は息を飲んだ。
毒?

「毒だと?」
陸仙強もそう言い、言ってから慌てて声をひそめた。
「そんなばかなことが!口に入れるものはすべて厳しく管理されているし、お毒見もいる」
確かにそうだ。
よりにもよって、皇帝が口にするものに、毒など入れられようはずがない。
常に監視されているはずだ。

「毒見を通さずに何か口にされているのでは」
「そんなことはない。体調が優れなくなってからは、万々が一のことも考えてこれまでよりもより厳重に見張らせておる」
「それならよいのだが…。しかし即効性のあるものであればともかく、徐々に効果が出るものであれば、毒見がいてもさほど意味はないのではなかろうか」

その言葉に陸仙強は、心配そうに眉をしかめた。
「確かに。やはり蘇朔がそう言うのであれば、何かどこかで…?
ああ確かに、なにしろ曜和さまご本人がご自分のお身体に興味のない方だから、勧められるがままに無防備に何かを口にしていらっしゃるのか。しかし、そうなるとそもそも一体誰が?」
「だから桂秋を置いていこうというのだ。おまえが動くと、良からぬやからも警戒しよう。
だがこの子なら所詮…ああ、所詮というのは桂秋に失礼だが、所詮娘一人、いくら医者の助手と言っても周囲の見る目はたかが知れておろう」
なるほど、と桂秋自身も思ったとき。

陸仙強が困ったように口を開いたのだ。
「それはいいが…だが、この子の父君は…」
蘇朔がすぐに応じる。
「父上なら安静にしておれば大丈夫だ」
「そうではなく…」
彼は言いにくそうに続けた。
「その、体調を崩す原因となったのは、何でも先の陛下に遠因があるとかないとか…」

確かに、桂秋の父親が寝たきりなのは、もとをたどれば先代の皇帝、つまりは今の皇帝の父帝が原因だった。

先の皇帝は晩年、周囲に寵臣しか置かず、自らにおもねる者の話しか聞かないようになっていた。
奸臣らは皇帝に、自分の都合の良いように讒言を繰り返し、そのあげく、無実の罪を着せられた者もいた。
桂秋の父親もその一人だった。
幸いにも命までは奪われることなく流罪で済んだのだが、その流罪先の土地が体に合わなかったのか体調を崩してしまったのだ。
家族や親族の度重なる嘆願によって、官を辞すことを条件に帰京を許され、都の自宅で療養することになった。
周囲からはいずれ顕官にと期待され、本人もそう志していたのだったが、それは半ばでついえることになった。

しかし住み慣れた都に戻ってきても、一度壊れた体は悪くなることはあっても良くなることはなかった。
その結果、現在の状態に至るのであった。

陸仙強は、心配そうに言った。
「それゆえ、曜和さまにはあまりよい気持ちを抱いていないのでは…」
「だからこの子が今の陛下を恨むとでも?まさか。この子はそんなに浅はかではない。そんなことはありえん。わしが断言する」
蘇朔の言葉に、桂秋はうなずいた。

「先の陛下を恨むのでしたらともかく、今の陛下にはなんの関わりもないことでございます」
それは口先だけではなく、桂秋の本心だった。
いまの皇帝を、どうして恨む必要なんてあるだろう?
まったく関係のないことではないか。
ただ、他人からはそういう目で見られても仕方がないことだとは思った。

「父は体こそ弱っておりますが、他は衰えておらず、毎日読書をしたり訪ねてくる知人と話をしたり、それなりに充実した日々を過ごしております。なにより、官を辞してからのほうが、表情も穏やかになったように思います。こうなってよかったとまでは申しませんが、これはこれでいいのだろうと思っております」
本人もそう言い、さらにはやはり旧知の仲の蘇朔の言もあって、陸仙強もすぐに納得したようにうなずいた。

「失礼なことを言って申し訳ない。確かに、わしがおそばをうろうろするのも目ざわりだろうし、おおげさだろう。この子が常におそばにいて気を使ってくれればそのほうがよい」
とそこまで言ってから、陸仙強は再びため息をついた。
「それにしても何度言っても足りんのだが、庶民のことをお思いになる労力を、ご自分の体のことにも少しはお回しいただきたいものだ」
これは侍医も大変そうだ、と桂秋はこっそりと思った。

それから蘇朔と陸仙強は、毒が盛られているという前提での治療法を相談し始めた。
同時に、毒を飲ませる可能性のある人物はいるのか、あるいは、毒がどこで皇帝の口に入っているのか、内密に調べさせることにした。
そうだとすれば、皇帝の命を狙う大罪人が宮中にいることになる。
調べていることが明らかになれば、その人物も警戒して証拠を隠そうとするだろう。

そもそも、毒物だとして、その痕跡や兆候はほとんど皆無なのだ。
侍医が診てもわからず、蘇朔も毒物だと断定はできないでいる。
これは、周到に計画が練られているに違いなかった。

その場に桂秋もいて、話をじっと聞いていた。
だがすぐに桂秋は、戻ってきたらしい皇帝から呼ばれたのだ。

迎えにきた側近に連れられて部屋を出ようとした桂秋を、陸仙強が一旦呼び止めて再び室内に招いた。
「桂秋、この件は不用意に曜和さまのお耳に入れぬように。まだ確定したわけではないのだし、これをお耳になさればさすがに曜和さまも衝撃を受けられるだろう。いたずらにお心を惑わせてはいけない」
「はい」


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