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月下のぬくもり
十二
いつもとは違う皇帝の様子を気にしつつ、桂秋は扉の前まで行きそれを開け、最後、体の向きを変えて室内を振り返った。
心の半分では、なんとなく様子がおかしいとは思っていたのだ。
ただ単にいつもと違うだけではなく、様子が変だと。
すると桂秋が皇帝を見やったその瞬間、皇帝は胸元を押さえてうずくまってしまったのだ。
「曜和さま!?」

慌ててそばに近づくと、その息は苦しそうに乱れ、額には脂汗がにじんでいる。
顔色は蒼白で、脈を取ってみると、これまたひどい乱れようだ。
ふと触れた手先のなんと冷たいこと。
それに気付き改めて手にさわってみると、両手ともまるで氷でもさわった後のような冷たさだ。
桂秋の声に、宦官が数人駆け寄ってきて、開いている扉から中に入ってきた。

「陛下、どうなさいましたか!」
「大丈夫…」
しかしどう見ても、今の様子は大丈夫ではない。
これまで桂秋が見た中で、最も苦しそうな様子をしているのだ。
肩が大きく上下する。
「お薬を…」
桂秋は迷わず懐から薬を取り出し、皇帝に渡そうとした。
しかし皇帝はいらないというのだ。
「曜和さま、お飲みください」
「いらない…。それより、大丈夫だから、おまえたちは下がれ」
皇帝は肩で息をしながらも、宦官たちにそう命じる。
最後は、乱暴に言い放った。
「早く!下がれと言っているのが聞こえないのか!」
そしてそう怒鳴ったあと、激しく咳き込んだ。

そう言われては宦官たちも下がらざるを得ない。
彼らは心配そうにしながら去っていった。
扉がぱたんと閉まる。

「曜和さま」
桂秋は慌てて背中をさすった。
「少し休めば、大丈夫…」
そう言いつつも、皇帝は顔をしかめたままだ。
おさまりそうな気配はまったくない。
床にうずくまったまま、目もかたく閉じられており、つらそうに肩で息をしている。
顔色はますます白くなってきている。
その手に触れると、先程よりも冷たくなっているようだ。
さらに、触れられたことに対し、皇帝は何の反応も示さない。
示す気力もないのだ。
「お薬をお飲みください」
「……」
大丈夫、と口元は動いたが声は出ない。
「大丈夫ではございません」

桂秋は、丸薬を直接手にすると、無理やり皇帝の口元に押し当てた。
それには皇帝も驚いたらしい。
思わず、といったように口に含んでしまった。
それを確認してから、桂秋は立ち上がり扉を開け、心配そうに立っていた宦官に水を持ってくるよう頼んだ。
すぐに届けられた水を、桂秋は皇帝には渡さずに自ら口元に近づけた。
水とともに薬が喉元を通り過ぎる。

顔に血の気が戻る。
手を握っていると、そこに体温が戻ってくるのがありありとわかる。
苦しそうだった息づかいもやがて落ち着いてゆき、つらそうな顔つきも穏やかになった。
顔ににじんでいた脂汗を桂秋がその袖で押さえると、皇帝はようやく視線を上げた。
初めは焦点の合わない目をしていたが、すぐにそれも合うと、横にいた桂秋を見やった。
目が合ったのを確認し、桂秋は尋ねた。
「大丈夫でございますか?」
皇帝は一つ息を吐くとうなずいた。
「こんなにひどいのは初めてだ…」
皇帝はそう言いながら頭を二、三度ふった。
そして、そこで初めて、自分の手が桂秋に握られていることに気付いたようだった。

気付いた時点で、桂秋はそっと手を離し、そのまま脈を取った。
規則的に刻まれる脈は、落ち着きを取り戻しつつある。
「お手がとても冷たくなっていらして。普段からこういうことはございますか?」
「いや…?気づいたことはないが」
「そうですか…。それより今は、少し横におなりになったほうが」
「いや、もう戻る」
皇帝はそう言うとすっと立ち上がろうとした。
だが、力が入らなかったらしく、すぐによろけてしまった。

「曜和さま、お戻りになるのは明日の朝でも」
慌てて支えながら桂秋は言った。
「今夜は、このままこちらでゆっくりお休みになったほうが」
皇帝は首を振った。
「戻る」
「……では、いずれにせよ少し横におなりください」

桂秋に支えられつつ長椅子に向かった皇帝は、そこに腰を下ろすと身を横たえた。
せまい部屋の中、ほんの少ししか移動していないのに、疲れたといわんばかりに息を大きく一つつく。
そして、二、三度咳をした。

桂秋はひとまず、扉の外にいた宦官たちに、大丈夫だからと告げた。
「それで、陛下はこれからどう…?」
「お戻りになるそうです。少しここでお休みいただいてから、お戻りいただこうと思います」
桂秋はさらに、陸仙強にもこのことを伝えておいてもらうよう言付けた。
こんなに様子がおかしかったのだから、改めて診てもらわないとならない。

桂秋がそっと扉を閉めて皇帝の枕元に戻ると、皇帝は桂秋を見上げておかしそうに笑った。
「おまえはここで休めと言うが、ここにはな、ゆっくり休むために来るんじゃない」
「え?」
「何のためにわざわざ足を運んだと思っている。夕食も終えて、人も払っていい感じになったところだったのに。間違っても、ゆっくりするために来たんじゃない」
「……」
桂秋が、思わず赤くなって言葉に詰まってしまうと、皇帝はさらにおかしそうに笑った。
それは、もうすっかりいつもの様子だった。

「……そんなことをおっしゃる元気がおありということは、もう大丈夫でございましょう。お好きなところで結構ですから、とにかく今夜はもうお休みください」
「そうだな、面倒くさいから戻る。用がないのにいても仕方がない」
「では、今夜はお戻りくださいませ」
皇帝は意味ありげに笑って言う。
「今夜のところはな」
「……。曜和さま」
桂秋は改まったように告げた。
「そもそも、後宮にお出かけになるのを少し控えられてはとわたしは思うのです。お酒をたくさん召し上がることも多いですし、体調が良くおなりになるまでは、夜は早めにゆっくりとお休みくださいませ。眠れないようであれば、よくお休みになれるお薬もございます」
そう真面目な顔で言う桂秋を、皇帝はおかしそうに見つめる。
「はいはい」
「そうでなければせめて、いちいちお部屋にお戻りにならずに、その場でお休みになってください」
「一人でないと眠れない」
「ではお人払いをなさってください」
「事が済んだからと追い払うのも無粋だ」
桂秋は再び言葉に詰まったが、すぐに反論した。
「こちらにいらっしゃる方にとりましては、いずれにせよ曜和さまはご自分のお部屋にお戻りになってしまうのです。ですから、同じことでございましょう」
「なるほど」
皇帝は笑みを含んだ顔で、さも納得したかのようにうなずく。
「とにかく、せめて夜くらいはゆっくりお体を休めてくださいませ」
「ああはいはいはい」
「曜和さま!きちんと聞いていらっしゃいますか?わたしは真面目にお話し申し上げているんです」
皇帝は声を上げて笑い出した。
そのとき、扉の外から宦官の声がかかったのだ。


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