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月下のぬくもり

桂秋の耳にそれは、もう自分は不要だという宣告に聞こえた。
動悸が激しくなる。
確かに自分はここにいても、その任務のほとんどは皇帝の話し相手だ。
薬や体調の管理は、これまでどおり陸仙強が細やかに気をつかっている。
話し相手なんて、他の人間でも十分にできるはずだ。
毒に関することだって、今に至るまで何の進展もない。
自分は、ここにいる意味があまりないのだ。

いや、そうではない。
そもそも自分はやはり、ここにいてはいけないのだ。
陸仙強が初めに示した懸念、あれをやはり皇帝も感じているのだ。
いくら自分が恨んでなどいないと言っても、当事者としたら不安で不愉快だろう。
だから自分はもういなくてもいいのだ。
いないほうがいいのだ。

だが、まったくもってそういう意味ではなかったのだ。
皇帝は改めて桂秋のほうに顔を向けると、笑って言った。
それはもういつもの笑顔だった。
「一度家に帰って、両親に顔を見せて来い。あの時以来、おまえは一度も帰宅していないだろう。二、三日ゆっくりしてきていいから」
そういうことだったかと、桂秋は心底安堵した。
「ありがとうございます…」
思わず笑顔が浮かび、ほっとため息が漏れる。

桂秋があまりに安心した様子を見せたからか、それに皇帝は驚いたようだった。
「どうかしたのか?ああ、そんなに家に帰りたかったのか」
「いいえ、そうではございません。そうではなく、もう帰れとおっしゃるのは、もうわたしはこちらにはいなくていいということか思いまして……」
「いなくていい?誰が。そんなばかなことが」
皇帝は顔をしかめてみせた。
「おまえがいないと誰をからかえばいいんだ。毎日つまらんじゃないか」
たとえそういう意味でも、桂秋はうれしかった。

だがそれから、皇帝はふと真顔になって桂秋から目をそらした。
「……俺も困るし、他の人間もおまえがいないと困るだろう。たまには家に帰って来いというだけのことだ」
「どうもありがとうございます。ああ、ですが、曜和さまにはわたしのことよりも、どうかご自分のお体のことをお気づかいに――」
「はいはい」
皇帝はそこでいつものように笑う。
「おまえはすぐにそう言う」

と、そこへ、人がやってきたのだ。
その手には書状があった。
「陛下、宋紅芭(そう・こうは)さまからお手紙が参りました」
「手紙?」

宋紅芭、という名に、桂秋は覚えがなかった。
書状を受け取った皇帝は、それを一瞥したあと、持参した側近に言付けた。
「わかったと伝えておけ。今夜行くからと」

今夜?

ああ、と桂秋はすぐに察した。

紅芭とは、後宮にいる女性の一人だ。
どうりで、書状の紙はやわらかな薄桃色をしているし、そこからいい香りがするはずだ。

だがそこでさらに皇帝は付け加えたのだ。
「夕食もそっちでとるとな」
「曜和さま」
皇帝の言葉を聞いた桂秋は顔をしかめた。
「お夕食はこちらで済ませてからにしてくださいませ」
皇帝は笑うだけでわかったとは言わない。

薬湯は朝晩二回。
食後すぐに飲むのが望ましい。
それは、皇帝にも伝えてある。

現に皇帝はこれまで、夕食は自室でとっていたのだ。
後宮に行くときも、夕食を済ませてから出かけていた。
「一回くらい大丈夫」
「よくはございません!」
「それよりも、おまえこそさっそく家に帰ってこい。馬車を仕立てさせるから」
「曜和さまが今晩のお薬湯をお飲みになってから帰ります」

書状に何と書いてあったのかはわからない。
だが皇帝は、桂秋の目を盗んで夕食をとらずに後宮に向かってしまったのだ。
桂秋が帰宅できるよう、馬車の用意だけはきちんとさせてあった。


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