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欅(けやき)の木陰にて憩う

その梨夜に、皇太子は言った。
「父上のせいで、おまえから父親を奪うことになってしまい、実にすまないことをした。父上を止められず本当に申し訳ない」
皇太子にそう言われたら、梨夜には首を振ることしか出来なかった。
「もったいないお言葉でございます」
と言うしか。

でも、今頃謝られたって、もう遅い。
たとえ何百回、何千回謝ってもらったとて、父親は帰ってこないのだ。
もう二度と。

あとから謝るくらいなら、初めから何とかしてくれればよかったのに。

体が勝手に震え出す。
怒りと悔しさで頭がいっぱいになる。
この感情を、どうやって処理していいのか。
頭の中を勢いよくぐるぐると回りだす。

その梨夜に声をかけてくれたのは、海靖だった。
「ここはいいから、もう行きなさい」
「……」
このままここにいたら、何を口走るかわからなかった。
皇太后を責めてしまうかもしれなかった。
梨夜はこれ幸いと部屋を辞すと、庭に出てしまった。

庭の片隅のけやきの前に向かった梨夜は、その木の幹に両手をついた。
そして目を閉じ、うつむいた。

怒りをやり過ごさなくてはいけなかった。
恨みや憎しみを、内に押し込めなければ。
いっそ、泣いて表に出せたらいいのかもしれない。
泣いて感情を発散できたら。

でも、泣けないのだ。
涙が出ない。

父親が殺されたと聞いたときから、梨夜は一滴の涙も流していない。

悲しくないわけはないのに。

右手をこぶしに握り、幹を殴る。
一回、二回、三回と繰り返す。
思い切り殴りつける。

でもそんなことをしても、手が痛くなるだけだ。
梨夜は目を閉じたまま、その場にしゃがみこんでしまった。
すると、背中から声がしたのだ。
「大丈夫か?」
それは海靖の声だった。
梨夜は、あえて立ち上がってから背後を振り返った。
海靖は、今は一人だった。
梨夜はちらっとそれを確認した後、今日もまた思わずにらみ据えた。
そしてやはりすぐに目をそらしてしまった。
「まあ、大丈夫なわけはなかろうが…」
「……」
「おばあさまには気をつかうだろうが、おまえ自身、あまり無理はしないように」
「……」
「……私はまた来るから」
海靖はそれだけを静かに言うと、ゆっくりと去っていった。

何も返答しない梨夜の態度は、皇子に対しあまりに失礼なものだった。
返答もしなければ、そもそもにらみつけたあげく見向きもしないのだから、もはやありえない態度だろう。
だが海靖はそれらに関し何も言わなかった。

私はまた来るから、といった海靖の言葉は、翌日すぐにわかった。
皇太子はもう来なかったものの、翌日また海靖はやってきたのだ。
皇太后は喜んで話し相手をさせる。
そばに他の侍女がいたこともあって、梨夜は静かに席を外してしまった。

海靖の顔は見たくない。
見ると、怒りの気持ちが外にあふれ出しそうになるからだ。

だが海靖のほうは、梨夜を気にしているようだった。

それからも海靖は、二日に一度はやってきた。
表向きは皇太后を訪ねていたが、彼は必ず、梨夜のことも探していた。
あれから特に声をかけられることはなかったが、ただ、彼が自分のことを気にかけているのは梨夜にもわかった。

だが梨夜は、それをありがたいとかうれしいとか、そう思う気持ちにはまったくなれなかった。
今頃気を配ってくれたって、父は帰ってこないのだから。

そんなある日のこと。
侍女たちがみんなで雑談を楽しんでいた。
梨夜もその中におり、他愛もない話をそれなりに楽しんでいた。
するとそこに、別の侍女が血相を変えて飛び込んできたのだ。

「大変よ、響州(きゅうしゅう)で、州の長官が挙兵したそうよ。州の軍勢を率いて都に向かっているとか」
「一体どういうこと?」
「陛下に対する謀反よ。陛下のなさりようにはもう我慢がならないと言っているとか。なんでも長官は、あの王渓長さまと古いお知り合いだそうよ」
父親の名前が出て、梨夜はその侍女をまじまじと見つめた。

響州は、この国の西方にある州である。
そこの長官、劉義法(りゅう・ぎほう)が、州の軍勢すべてを率いて都へ向かっているという情報はすぐに宮中を席巻した。

劉義法の名は、梨夜も知っていた。
確かに父とは古い友人で、梨夜も直接会ったことがある。

友人が無残に殺されたこと、それに劉義法は怒り心頭に発したそうだった。
そういうことをする皇帝を君としてあおぎたてまつることはもう出来ない、誅するのが自分の天命だ、と、挙兵したのだ。

「劉義法さまの軍勢は、さしたる抵抗にもあわず、味方を次々に増やしながら着々と都に向かっているそうよ」
誰もが皇帝のやり方には我慢が出来なくなっていたのだ。

梨夜は知らず知らずのうちに顔が紅潮した。

出来ることなら、自分もその軍勢に参加したい。
皇帝を誅するための軍に。
父親の敵が討てるかもしれないではないか。

ここをやめさせてもらおう。
それで、劉義法の軍に参加しよう。

そう梨夜が考えていると、そこに海靖がやってきたという知らせが入った。
海靖も当然、戦のことは知っているはずだったが、彼はいつものように冷静だった。
彼は興奮したままの侍女たちを見回し、皆もこのことを知っているとすぐに察したようだった。
「おばあさまにこのことは?」
「いいえ、まだ…」
誰かがそう答えると、海靖はうなずいた。
「そうか。私から伝えるから、皆はここにいるように」

海靖は、この件を伝えにやってきたのだ。

だが、そう言った彼は、次に後ろのほうにいた梨夜をすぐに探し出した。
そして、梨夜に向かって言ったのだ。
「おまえは一緒に来なさい」

なぜ?
といえ梨夜には、その理由がわかったような気がした。

海靖が梨夜だけを連れて部屋に入ると、皇太后はいつもと同じように穏やかな様子で彼を出迎えた。
「まあ海靖、今日も来てくれたのね。ちょうどよかったわ、さっきおいしいお茶が…」
「おばあさま」
皇太后は、海靖にまずは一服してもらおうと思ったようだった。
だが彼は、いつもの彼とは違い、皇太后の言葉をきっぱりとさえぎった。


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