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欅(けやき)の木陰にて憩う

第一、皇子であれば父帝の振る舞いを諫めるべきではないのか。
それなのに、なぜ何もしてくれなかったのか。
父だけが犠牲になってしまうなんて、ひどすぎる。
父一人をいけにえにし、見殺しにしたのだ。

梨夜はくちびるをかみ締めた。
怒りで体が震え出しそうだ。
するとそんな梨夜に、海靖が声をかけたのだ。
「ここはもういいから」
「……」
あなたに言われたくない。

そう思いつつ梨夜は一礼だけすると、そのまま廊下へ出てしまった。
そしてさらに庭へと向かった。

庭の隅に、大きなけやきの木が植わっている。
その根元に向かった梨夜は、ゆっくりと木を見上げた。

実家の庭にもけやきの木が植わっていた。
いまあの家はどうなっただろう。
父親は罪人として殺されたのだから、屋敷その他の財産は官に没収されてしまったはずだった。
父は、何も悪いことはしていないのに。
罪人として死なねばならなかったなんて。
殺されなければならなかったなんて。

ひどすぎる。

梨夜は顔を伏せた。
怒りに体は震えてくるが、涙はこぼれない。

ただじっと根元を見つめていると、ふと背後に人の気配を感じた。
振り返ると、そこには先程の海靖が立っていた。
一人だった。
梨夜は彼を思わずにらみ据えたあと、目をそらした。
「何かご用ですか」
この人は、父が殺されたのに何もしてくれなかった、そう思うと口調がきつくなる。
だがそんな梨夜に対し、海靖は言ったのだ。
「……父親の件は、実にすまないことをした」
思わぬ謝罪の言葉に、梨夜の体から力が抜けた。
再度彼を見やると、海靖は、目を伏せていた。
そして何かをもっと言おうとして、言いよどみ、口を閉じた。

心のこめられた謝罪であることは、梨夜にもすぐにわかった。

海靖は少しの間を置いたあと言葉を続けた。
「救えればよかったのだが……」

が?

しかし海靖はその先を言わず、口を閉じてしまった。

が、なんなのか。

「……結局は何もしてくださらなかったわけですよね」
梨夜のその言葉に、海靖は何も言わなかった。
その通りなのだから仕方があるまい。

いくら、謝罪されたって同じだ。
梨夜は軽く頭を下げると、もう彼の前を離れてしまった。

そんな梨夜を、海靖はじっと見つめていた。
その姿が建物の中に消えるまで。

海靖はその後、皇太子のもとに向かった。
皇太子は現在、都の一角に広大な屋敷を構えている。

長兄である皇太子と末弟である海靖とは、だいぶ年が離れている。
皇太子は、自室で机に向かって書状をしたためていたところだった。
だが、やってきた末弟を見るとすぐに筆を一旦休めた。
「おばあさまのところへうかがって参りました」
「どうだった?最近顔を出せていないが」
「それが兄上」
海靖は声をひそめた。
「そこに王渓長の娘がいたんです」
「王渓長の娘?」
皇太子は、筆を筆架に置いた。
「ええ、おばあさまが引き取ったそうです。王渓長に諫言を頼んだこと、それで彼があたら死を賜る羽目になったと悔いていらっしゃって、せめてもの罪滅ぼしに、ということだそうです」
「娘はどんな様子だった」
「ええ、相当周囲を恨んでいるようでした。きっと、おばあさまも含めて。表面は、そんな様子はみじんも出していないようですが」
「だろうな。おまえ、その娘と話をしたのか?」
「ほんの少しだけ。取り付く島もありませんでした。私のことも恨んでいるようです」
「皇子なのに何もしてくれなかった、ということだろう」
皇太子の言葉に、海靖もうなずいた。
「それで、その娘の素性を周囲は知っているのか?」
「おばあさまに確認しましたら、周囲には話していないそうです。本人が話すことを望まなかったそうで」
「そうか。きっとそのほうがいいだろう」
そこで皇太子は、改めて海靖を見やった。
「じゃあおまえ、あのことは何も話してはいないんだな」
「ええ、いま会ったばかりですし」
「そうだな」
皇太子は立ち上がると、窓辺に向かった。
「細心の注意を払って事を運ばねば。
今回の計画を娘に話せば、その子も少しは気も休まるだろう。だが、そこから万が一にでも計画が漏洩したら元も子もない」
海靖は目を伏せてうなずいた。

翌日のこと。
梨夜が皇太后や他の侍女と一緒に庭を散歩していると、庭の向こうから昨日の海靖がやってきたのが見えた。
海靖は、今日はもう一人別の男性と一緒だった。
海靖よりだいぶ年長のその男性を見て、別の侍女が言った。
「あちらが皇太子さまよ」
兄と連れ立ってきたのだ。

二人は年こそ離れてはいるが、顔立ちはどことなく似ていた。
明らかに違っていたのは、ほがらかな明るい笑顔を浮かべている皇太子に対し、海靖は無表情でいることだった。
「おばあさま、お久しぶりでございます。お元気でいらっしゃいましたか?」
「まあ、二人で来てくれるなんて」
一番上の兄と一番下の弟がそろって来訪したこと、それは皇太后にとりとても嬉しいことのようだった。
「海靖は昨日も来てくれたのに、今日も続けて」
「兄上がお誘いくださったので」
海靖が答える。

皇太后は、二人を連れて建物の中に戻った。
梨夜も他の侍女たちと一緒についてゆく。
海靖がこちらを気にしているような気がするが、彼はいまは何も言わなかった。

皇太子が、祖母に声をかける。
「おばあさま、見ない顔の侍女がいますね。新しく入れたのですか」
「ああ、ええ」
皇太后がそう答えるまでに、一瞬の間が開く。

部屋に入った皇太后は、梨夜だけを残して他の侍女を部屋から出した。
「海靖から話は聞いたかしら?この子は…」
「ええ、聞きました」
皇太子は、皇太后に皆まで言わせなかった。
「やはりこの娘が王渓長の」
「ええ…」
今日もまた自らを責めそうになった皇太后に、皇太子はすぐに声をかけた。
「おばあさまのせいではございません。誰のせいでもないのですから。これはただひとえに父上の過ちなんです」
梨夜は、伏せていた顔を上げた。

この皇太子は、皇帝の非を認めているのだ。
彼の背後にいる海靖もまた、その通りだといわんばかりに口をかたく引き結んでいる。


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