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墨の香りの宝物

次の日も静夏は、芳紗と一緒に庭を散歩していた。
侍女たちが後ろからついてくる。
植え込みに咲いているきれいな花を見つけて、芳紗が笑う。
「お兄さまにも見せてあげたいわね」
「そうですね」
口先だけでなく、静夏もまたそう思う。
「早く来ないかしら。ねえ先生」
芳紗が静夏を見上げた。
「何でしょう?」
「最近、お兄さま、よく来てくれるようになったと思わない?すぐ帰っちゃうことも多いけど、前よりもよく来てくれるわ」
確かにそうだった。
鴻秀が芳紗のもとに顔を出す頻度は、静夏がここに来た当初に比べると格段に増えているのだ。
そのため、静夏もそのたびに鴻秀の顔が見られてうれしいのだけど。
そこで芳紗は、一人でなにやらうれしそうに笑った。
「どうなさいました?」
「ううん、あのね」
芳紗は静夏の腕をつかむと、耳元に口を寄せたがった。
内緒話をしたいようだ。
静夏がかがむと、芳紗はその耳元でささやいた。
「きっとお兄さまはね、先生に会いにきてるんだと思うの」
「え…?」
「わたしも先生のこと好きだけど、お兄さまも、先生のことが好きなんだと思うの」
「……」
そのとき不意に、後ろにいた侍女たちがざわめいた。

何かあったのかと、静夏は立ち上がりつつ振り返った。
するとそこには、また玉英がいたのだ。
さらに玉英の後ろには、見慣れぬ中年の男性が一緒にいるのだ。
こんなところにまで来るなんて、誰だろう?
芳紗が自分の背中にしがみついたのがわかった。
「玉英さま、どうかなさいましたか?」
静夏が尋ねると、玉英は顔をしかめた。
「あなた、よく私の忠告を無視できるわね」
「ご忠告?」
「あれほど、鴻秀さまにはむやみに近づかないよう言ったのに、毎晩のようにお部屋を訪れているとか」
ああ、と静夏は思ったが、何も言わなかった。
静夏が何も反論しないこと、それは玉英の かん に障ったようだった。
「何か言ったらどうなの。後ろめたいところがあるから何も言えないのではなくて?」
「何も申し上げることがないので、申し上げないだけでございます」
静夏の言葉に玉英は、いらついたように顔をゆがめた。
「だいたい、その芳紗を利用して鴻秀さまに近づこうなんて悪知恵が働くこと。少しはおとなしくしたほうがいいと思うけど。あなたの代わりならいくらでもいるのよ」
「おっしゃる通りでございます。わたしはたまたま芳紗さまにお目を掛けていただいているだけなんです」
するとそのとき、静夏の背後にいたはずの芳紗が、玉英に向かって叫んだのだ。
「先生の代わりなんていないわよ!」
静夏はびっくりして振り返った。
芳紗はなおも静夏にしがみついてはいたが、顔を真っ赤にしながら玉英に向かって言い放った。
「変なことを言わないで!大体、あなたは誰なのよ!」
芳紗の反撃に、玉英は目を丸くしていた。
が、すぐに落ち着いたように静夏に一瞥を食らわせた。
「ずいぶんと手なずけたこと。将を射んと欲すればまず馬を射よ、そういうつもりなのかしら?はしたない」
あまりの言われように、静夏もさすがに頭に血が上った。
「誰を何にたとえていらっしゃるのかわかりかねますが、さすがに玉英さまでも失礼ではございませんか?それに、芳紗さまは男性が苦手とご存じないはずはないでしょうに、なぜそうやって連れていらっしゃるんです。第一、どなたにご用なんですか。わたしにご用でしたら、お話は別室でうかがいます」
「じゃあ行きましょう。そう、わたしもお父さまもあなたに話があって」
男性は玉英の父親、温士潮だったのだ。

静夏は芳紗に、部屋で待っているよう言い含めると、玉英らを案内して建物の中に入った。
そして、一つの部屋に案内した。
部屋に入ると、玉英はさっさと椅子に腰を下ろした。
「と言っても、今言ったとおりよ。芳紗に気に入られているのは構わないけど、あなたの役目はそれだけのはず。あまり鴻秀さまに近づかないほうがいいわよ」
「おまえはどうやら相当お二人に気に入られているようだな」
温士潮が言った。
「下の娘の輿入れの件を鴻秀さまが拒むのは、最近ではもしやおまえがいるからと思えるようになった」
「でもお父さま、別にこんな娘が一人いたって構わないんじゃ」
「普通ならそうだが、鴻秀さまがいたくお気に召しておられるようだからな。出来ればおまえには、宮中を出てもらいたいところだが…」
温士潮は言った。
「もしもおまえが自ら宮中を出るというのであれば、一生遊んで暮らせるだけの金をやろう。金以外にも、望むものは何でもやる。芳紗さまのことが気になるというのであれば、きちんと別の人間をそばに用意しよう。女性をな。どうだね?」
静夏は即答した。
「お断りいたします」
温士潮はわざとらしくため息をついた。
「では力づくで消えてもらうしかないな」
「……」
「鴻秀さまに、兄君のお子に位を譲るべきではと申し上げてもなかなかうんとおっしゃらない。もっともこちらは、下の娘の輿入れの件と違い、お断りにもならない。一体どういうおつもりなのか。ただ鴻秀さまはご立派なお方だ。兄君を敬っていらっしゃるからか、玉英のことも尊重なさってくださっている。義姉である玉英が訴えれば、いずれは承知なさってくださるだろう。あるいは、おまえがいなくなればお心が弱くなるかもしれない。いずれにせよ、おまえは目ざわりだ」
静夏が温士潮を見つめたそのとき。


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