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真珠の声
十一
翌日の晩、宴はなごやかに始まった。
玲韻は、宴の行われている広間の隣にある小部屋にいた。
管弦の音がすぐそばで聞こえてくる。
人々のにぎやかな話し声。
酒の香り。
酒宴の場では何事もないようだった。
それでも玲韻は気になりすぐに小部屋を出ると、広間の前に向かった。
扉越しに、出席者の会話が小さく聞こえてくる。

「しかし陛下も相変わらずでございますな。明けても暮れても董夫人のことばかりお考えで」
「ご寵愛なさるのは結構だが、いささか度が過ぎるな、峻定様が日々お困りなのも無理はない」
「峻定様のご諫言を聞きもなさいませんし。以前は実にご立派な君主だったのに、どうしてこうなってしまわれたのか」
「お聞きにならないどころか、最近は目の敵になさっている。どう考えてもまともなことをおっしゃっているのは峻定様のほうなのに。それに、あの歌姫の件」
「あのことで陛下は峻定様にひどくご立腹だとか?」
「ああ。歌わせるからと引き取られたのに、そんな気配が微塵もないことに、陛下は峻定様が約束をたがえたとお怒りだそうだ」
「今日も必ず連れてくるよう、そしてこの場で必ず歌わせるよう、きつくお達しがあったとか」
「どうでもよいことではないか…」

やはりそうなのだ、と玲韻は思った。
どうしよう。

広間には、妙芸を見せる軽業師や着飾った舞姫などが出入りする。
娘が数人入っていったかと思うと、歌声が聞こえてきた。
きれいな声だ。
「私などは純粋に思います。あの娘の声は、どんなものなのでしょうな」
「『真珠の声』と噂されていたほどだからな、さぞや美しいのだろう」
「耳にした者から話を聞きましたが、まさに珠玉の美しさだったとか」
そういう話を聞くと、玲韻はまるで他人の噂を聞いているようだった。
どこかにそういう声の持ち主がいたのだろう、と。

ああそうだ。
もしかしたら、他人が歌っている姿を見れば、歌い方を思い出すだろうか。
玲韻は、軽い気持ちで扉を開けてみた。
中央では着飾った娘が高らかに歌いあげている。
正面奥にある上座に、皇帝と峻定がいるのが見えた。
皇帝の隣には董夫人がいる。
にこやかに歌姫を見つめている。
何の変わりもない様子に、玲韻は内心ほっとした。

だがすぐにそんな気持ちもどこかへ吹き飛んでしまった。
皇帝と峻定はすぐに、何やら言い争いを始めた様子だったのだ。
一同がそちらを見やる。
夫人が皇帝をなだめようとしているのがわかる。
原因は明らかだった。
皇帝は、今歌っている歌姫を指差しているのだから。
皇帝の声がだんだん大きくなる。
「そんなにわしのやることが気に入らないなら、ここから出て行け!いますぐにだ!」
「父上!」
歌がやんだ。
一座の視線はすべて、二人にそそがれている。

しかし次の瞬間、二人のそばから何かが倒れたような大きな音が聞こえたのだ。
それは、人が床に倒れた音だった。

皇帝の隣にいたはずの董夫人が、口元を押さえて床の上にうずくまっていた。
「友菊!」
「董夫人、どうなさいましたか!」
「友菊様!」
夫人の傍らには、先程まで腰を下ろしていたはずの椅子が倒れている。
皇帝が真っ青な顔で夫人の肩をつかんでいる。
「友菊!一体どうしたんだ?友菊!」
何人もの人間が、医者を医者をと叫びながら広間の外に駆け出して行く。
そういうざわめきの中で、ひときわ大きな声がした。
「誰が毒を盛ったんだ…!」
「毒?」
「毒ですと?」
「夫人の杯に毒が?」
「一体誰がそんなことを」
「峻定様では」
「まさか。峻定様がそんなことをなさるわけは」
「だが峻定様は、夫人を目の敵にしていらしたではないか」

広間の奥では、皇帝が夫人を抱きかかえ混乱したように何かを叫んでいた。
夫人の顔は真っ青で、血の気はなかった。
峻定もそのそばにいる。
すぐに医者が連れられてきた。
しかしそのとき、やはりそばにいた宰相が、何かを皇帝に耳打ちしたのだ。

次の瞬間、皇帝は峻定をにらみつけていた。
「おまえというやつは!なんと卑劣な!なぜ毒なんぞを!」
皇帝の声に、広間は静まり返った。

宰相が何をささやいたのか、玲韻はすぐにわかった。
宰相は、峻定が犯人ではとささやいたのだ。

「陛下、落ち着いてくださいませ」
「どうして峻定様がそんなことを」
慌てたように皇帝のそばに人が駆けつけてなだめようとする。
だが、怒りで顔を真っ赤にした皇帝は、もう誰の言葉も聞こうとはしなかった。
「峻定は日ごろから友菊を目のかたきにしておったではないか!遠ざけよ遠ざけよとわめいていたではないか!」
「陛下!」
「峻定を捕らえよ!この皇子を早く!いや、もう皇子でも何でもない、どこへなりと連れて行き、さっさと――」
当の峻定が、ひどく冷静に口を開いた。
「父上、落ち着いてくださいませ」

衛兵が、困惑の表情を満面に浮かべて峻定のそばに近づこうとする。
どうして峻定がそんなことをするだろうか。
だって峻定は、夫人の身を案じてさえいたのに。

玲韻がそれを訴えたくとも、広間は混乱していた。
皆が口々にざわめき、隣の人間の話し声さえよく聞き取れない。
どうしよう。

ああそうだ。
歌ってみよう。
自分が歌えばきっと、場は静まるはずだ。

自分の声を、皆、『真珠の声』と評してくれた。
評して口々に褒めてくれた。
そんな声を披露すれば、この場にいる人々も少しは耳を傾けてくれるに違いない。

どうやって歌えばいいのか、そんなことを玲韻は考えもしなかった。
声が出ないから歌えないとか、歌い方がわからないとか、そういうことは今の玲韻にはまったく関係のないことだった。
なぜなら玲韻は、歌い始めたからだ。

まるで、それが普通のことであるかのように。


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