金の過去 銀の未来 六 輿入れが数日後に迫った日、雪華はまた市場に向かっていた。 今日はさすがに一人だ。 茜姫に、市場に行くということは伝えたが、茜姫のほうもさすがにもう行きたがらなかった。 市場に行き、頼まれたものを買い、それからやはり茜姫の好みそうなものを探していると、不意に脇から声が掛かったのだ。 「もしかして、この間の?」 声に聞き覚えがあって振り返った雪華は、びっくりして危うく手の中のものを取り落とすところだった。 声は捷隆のものだったのだ。 いや、声を聞いた時点で捷隆とわかったが、本人と確認すると、やはり驚いてしまったのだ。 今日もほほ笑んでいる。 そして今日は初めから、江黎明を従えていた。 「捷隆さま!」 名を呼ぶと、捷隆はいたずらっぽく、静かに、と目で訴える。 「あ。申し訳ございません」 そう、捷隆はお忍びなのだ。 捷隆は人ごみから外れるように歩き出した。 「あれから大丈夫だったか?」 「はい、おかげさまで。あのあとはもうまっすぐ屋敷に戻りました」 それならよかった、と捷隆はうなずいた。 「今日は?」 「今日はさすがにわたし一人です」 さすがに、と言ったのは、雪華のほうは「輿入れが間近だから」という意味だった。 だが捷隆は、違う意味でとったらしい。 「そうだな、さすがに今日もはぐれるわけにはいかないだろう」 「ああ、ええ、それもそうなんですが…」 どうしようかと思った。 話してしまおうか。 やはり、再び会った以上、きちんと名乗って話すべきだろう。 第一、捷隆のほうは身分を明らかにしているのに、こちらが名乗らないのは無礼だろう。 数日後には明らかになるとしても。 「お嬢さまは、お輿入れが間近でして」 「ふうん?」 「申し遅れました。わたし、雪華と申します。お嬢さまは茜姫さまとおっしゃいます。謝徳秀さまのお嬢さまです」 「え?」 と言ったのは、江黎明のほうだった。 「捷隆さま、なんという偶然でございましょう」 驚いていたのは、江黎明だった。 当の捷隆はといえば、それを聞くと、なぜか顔を凍らせてしまったのだ。 それまで穏やかな表情だったのに、その顔からふっと暖かさが消えた。 だがそれはほんの一瞬だった。 「そうか」 そう言ったときは、これまでのように温和な笑みを浮かべていた。 「本当に偶然だな。じゃあおまえは、彼女に仕えて?」 「はい。今回も、ご一緒させていただくことになっております」 「おまえも宮中に?」 「はい」 「そうか…。先日も一緒だったし、今回も一緒ということは、おまえは随分と信頼されているようだ。彼女に仕えて長いのでは?」 「ええ、小さい頃からなんです。その…もともとわたしはみなしごでして、それを旦那様が引き取ってくださって、それ以来なんです」 「ほう?」 捷隆は、雪華に興味を示したようだった。 本当なら茜姫のことを話すべきなんだろうと思いつつも、雪華は問われるがまま自分のことを話して聞かせた。 気がついたら都の片隅の酒楼にいたこと。 おそらくは人さらいにさらわれたのではないか、ということ。 謝徳秀と出会い、引き取ってもらったこと。 「雪華という名は?親がつけた名か?」 「いいえ、たぶん違うと思います」 「そうか…。だが、親は今でもおまえを探しているだろうに。謝徳秀は探してはくれなかったのか?」 「もちろん探し出そうとしてくださいました。でも見つからなくて…。なにしろ、わたしは親や家族のことをほとんど覚えていないんです」 「そうか」 捷隆は残念そうに首を振った。 「他に何か手がかりがあればいいんだが」 「捷隆さま、わたしは大丈夫です。旦那様はとてもよくしてくださいますし、いまさら親など見つからなくても。ご心配ありがとうございます」 雪華が笑うと、捷隆もほほ笑んだ。 本当に、人を暖かくするほほ笑みだ。 ただ、先日よりも疲れているような気がする。 もしかして皇帝の具合が、だいぶよくないのだろうか。 [*前へ][次へ#] [戻る] |