金の過去 銀の未来 十一 「桃葵さま?」 と言ったのは、謝徳秀だった。 「とは、あの…」 「さようでございます。陛下が昔、まだ太子だった時分に、ご寵愛なさっていたお方でございます」 「その桃葵さまに、雪華が?」 「ええ、瓜二つでございます」 捷隆が驚いたように雪華を見つめた。 「ですが父上、確かその女性は、江黎明の伯母にあたるはずでは。なぜ雪華が…」 「それはこちらが聞きたいくらいだ。雪華と言うのか?」 「は、はい」 答えると、皇帝は目を見開いた。 「なんと、声までそっくりではないか。年はいくつだ」 「じゅ、十七でございます。…たぶん」 「たぶん?」 「わたしは孤児でございます。旦那様…謝徳秀さまに助けていただいて、以来、お屋敷に仕えさせていただいているんです」 皇帝はうなずいた。 しかし皇帝にとり、それはどうでもよいことのようだった。 とにかく雪華に近づくよう声をかけると、涙を流さんばかりに雪華を見上げたのだ。 老宦官が言った。 「桃葵さまは、お若くして亡くなってしまわれました。陛下は、桃葵さまに何もしてやれなかったと、今でも悔いていらっしゃるのでございます」 「今だったら何でもしてやれるのに…」 そう言って、皇帝は咳き込んだ。 「父上、まずは落ち着いてくださいませ。雪華はこの先ずっと、こちらにおります。そういうことでしたら、これから先いつでも会えましょう」 「いや、そんな悠長なことを言っている場合ではない。わしの命がいつまで持つのかわからないのに」 「縁起でもないことを」 「いつかいつかと言っているうちに、桃葵は黄泉へ旅立ってしまったのだ…」 皇帝は興奮してきたらしかった。 顔が赤くなる。 「まずは少しお休みに。黎明、侍医を」 黎明が侍医を呼びに身を翻して部屋を出て行く。 「ああ捷隆、早くしないと」 「慌てないでください。何をですか?」 「その娘、雪華といったな。今度こそ、わしは雪華に何でもしてやりたい。ずっとそばに…」 皇帝の目に涙が浮かぶ。 「なんでもしてやりたい、そばで面倒を見てやりたいのだ。桃葵の分まで。何もしてやれなかった桃葵の分まで。そうだ、まずは皇后だ」 「父上、どうか落ち着いてください」 侍医が駆けつけた。 侍医は皇帝に薬湯を勧め、それを口にした皇帝は、静かに眠りに入った。 寝息が聞こえ始め、部屋に安堵の空気が広がった。 「どういうことなんだ」 捷隆が困ったように老宦官に尋ねる。 「どういうもこういうも捷隆さま。雪華さまは桃葵さまに瓜二つなのでございます。先程、扉の隙間からお姿が見えて、それで陛下もわたくしも驚きました。見た目だけではなく、なんとお声までそっくりで」 「黎明の伯母だろう?」 「ええ」 江黎明はうなずいた。 「母の姉に当たります。陛下と大変仲むつまじかったそうですが、若くして亡くなってしまったそうです」 謝徳秀が、雪華のために説明をしてやった。 「桃葵さまとおっしゃるのは、陛下が太子だった時分に大変ご寵愛が深かったお方だ。即位の後、皇后となそうとしたところで、若くしてあっけなくこの世を去ってしまわれたそうだよ。わしはお顔は存じ上げないのだが…」 捷隆が続ける。 「俺の母親は側室だったが、それは父上が、その女性以外を正室にしたくはなかったからだと聞いている。それほどまでに大切にしていたとか。それはわからないでもないが」 そして、顔をしかめた。 「だからといって、似ている雪華をいまさら皇后に?本気なのか?」 すると老宦官はうなずいたのだ。 「恐らくは本気でございましょう。桃葵さまと同じようになさりたいのでしょう。陛下ができることは、何でもしてさしあげたいのです」 「そんなばかなことがあるか。雪華の将来はどうなるんだ」 「捷隆さま」 老宦官は涙ぐみながら言った。 「どうか、陛下のお願いをかなえてさしあげてくださいませ。ご病床の陛下の、恐らくはたった一つのお願いでございます」 そう言われると、捷隆の表情もかすかにゆるむ。 雪華の頭の中に、老婆の言葉がよみがえった。 『おまえはいつか必ず皇后になる。それがおまえの運命なんだよ』 [*前へ][次へ#] [戻る] |