金の過去 銀の未来 壱 都の片隅にあるその酒楼は、そのときちょっとした賑わいを見せていた。 人の気を見ることが出来るという老婆がやってきたのだ。 気を見て、その人を占うと言う。 現在都の街で大評判となっているそうだった。 『おいちょっと。あの婆さんが、いま評判の占術師だってよ』 『へえ、じゃあぜひ見てもらおうじゃないか』 店にいた客は、みんなこぞって占ってもらっていたが、やがて老婆は店の奥にいた娘に目を留めた。 粗末ななりをした、六、七歳の娘だ。 そのみすぼらしい娘を見た老婆は、目を丸くした。 『こんなところにこんな高貴な娘がいるなんて』 『どうしたんだい、婆さん』 客が声をかける。 『その子はここの下働きだよ。なにが高貴なんだい?』 『人買いから安く買い取ったんだってよ。高貴とは正反対だ』 『あんたたち、その子に馴れ馴れしい口をきいていられるのも今のうちだよ。その娘は、やがて皇后になるよ』 老婆の言葉に、周囲は静まり返った。 何しろ老婆の占いはよく当たるからこそ評判なのだ。 その老婆が、みすぼらしい娘に向かって、こともあろうに皇后になると言うのだ。 『まあ、どんなに当たるとはいえ、たまには外れることもあろうな』 誰かがそう言ったのを皮切りに、人々はまたにぎやかに話し出した。 『そうだとも。他のことは当たっても、こればっかりはねえ。ちょっと当たるとは思えないね』 老婆は、もう何も言わなかった。 ただ、店を出るときにもう一度振り返ると、娘に向かって言ったのだ。 『忘れるんじゃないよ、おまえはいつか必ず皇后になる。それがおまえの運命なんだよ。必ず宮中から迎えが来る。それまで身を慎んで待っておいで』 十年後。 都は現在、ある一つの噂で持ちきりだった。 皇帝の一子であり太子である捷隆(しょうりゅう)の妃選びが始まっているのだ。 どこの家の令嬢が太子妃となるのか、人々は寄るとさわるとその噂話をした。 そしてその噂では、最有力の候補は、高級官僚謝徳秀(しゃ・とくしゅう)の娘であった。 雪華(せつか)は、その謝徳秀の令嬢に仕えている侍女である。 街の噂は当然、雪華の耳にも届いてきている。 そしてそれは噂などではなく事実に近いことも、雪華は承知していた。 まだ公にこそなっていないものの、太子のもとに嫁ぐのは謝徳秀の令嬢で決定であった。 謝徳秀の娘茜姫(せんき)は、容貌といいその人となりといい、太子の妃にふさわしい見事なものだった。 そばで仕えている雪華も、茜姫が太子妃でなかったら誰が妃になるのだろうか、と思うくらいだ。 太子の妃となるために生まれてきた、そういっても過言はなかろう。 茜姫は太子の妃となり、やがて捷隆の即位にあわせて皇后となるのだ。 だがそう思うたび、雪華は昔のことを思い出した。 昔、人の気を見るという老婆に言われた言葉を。 『おまえはいつか必ず皇后になる。それがおまえの運命なんだよ』 そう言われたのは、雪華だった。 「茜姫さま」 その日の午後、茜姫の部屋を訪れた雪華は、茜姫が窓の外をぼんやりと眺めている様子に内心ため息をついた。 茜姫は浮かない顔をしており、厭世的になっているのが手に取るようにわかる。 気が晴れない様子の茜姫に、雪華はあえて明るく声をかけた。 「よいお天気でございます。お庭へ出てみませんか?」 「ううん…」 「ああ、そうでした、先日旦那様からいただいたご本はお読みになってみてどうでしたか?」 「読んでないわ…」 「では、昨日届けられたあの桃色のお召し物を羽織ってみては?まだ袖をお通しではないでしょう?あれはきっと茜姫さまによくお似合いだと」 「…雪華」 茜姫はそこでようやく雪華を振り返った。 そして弱々しくほほ笑んだ。 「ありがとう。わたしは大丈夫」 「茜姫さま…」 誰もが良縁だと思うこの輿入れなのだが、中には反対している人がいた。 それは茜姫本人だった。 「お父さまがさっきおっしゃっていたの。宮中から内定の使者が来たそうよ」 「さようでございますか…」 「気が進まないわ…。どうしてわたしが…」 「茜姫さま」 雪華は茜姫のそばに近づくと、彼女に向かってもう何度言ったか知れない言葉を今もまたかけた。 「ご心配は杞憂でございます。捷隆さまは大変素晴らしい方だとか。茜姫さまはきっとお幸せになれます」 「そうかしらね…」 「……」 輿入れの話が出て以来、茜姫はめっきり落ち込んでしまっていた。 いつ見ても浮かない顔をしており、この話に気乗りがしないことは誰が見ても一目でわかる。 美しい目元が、いつもかげっている。 だが、本人の気持ちとは裏腹に、周囲の準備は着々と進む。 街の噂もすぐに、茜姫で決定したというものに変わった。 [次へ#] [戻る] |