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作品1仲沢さん


生きている人間は数えられない。 (ひとり) わたしたちはいつも、死んだ人間の数を数える。 (ふたり) 生きている人間の鼓動は聞こえないのに (さんにん、よにん) 死んでしまう人の音だけはよく聞こえる。 (じゅう、にじゅう・・) ほら、また


確かだったあの繋がりの名前すら
今はもう思い出せないでいる

― シュレディンガーの恋人―



首から、大きな脈動を聞いた。これほど、わたしを魅了する音はない。オーケストラによる荘厳なクラシックも、荒々しいギターを掻き鳴らすロックンロールも、それほどわたしを誘惑しない。あなただけだ。いつも、わたしの中で鳴り止まないのはあなたの音だけ。血が流れる音は、静寂が訪れる前のノイズに似ている。長いキスの後の余韻のようにも聞こえる。

(それが、幼馴染のすることではないと)

(気付いたのはいつのことだっただろう)


風が通るあいだに視線が合う。彼の黒目のもっと奥の、上質の宝石のような濃い色を射止め、睫毛の長さを測り、肌のきめまで数える。神田の目線が移動するまでの時間はほんの数秒。神田だけなのかもしれない、それともキスをしようとする時はみんな、そうなのかもしれない。
(わたしが知るはずもない) ただその瞬間、確かに彼の目はわたしの唇を見咎める。血が通うのを初めて知ったように、そこが熱で溢れた。視線は落ちたまま動かない。神田が一度、まばたきをした。ひとつ間を置いたのは、わたしのためか、呼吸のためか。

(まるで、こいびと、みたいだなあ)

長いキスを終えて、息を整えながら俯いた。頬を撫でてくれる手は大きくて、添えただけで指先が簡単に耳に触れていく。いとおしくて堪らないふうに手のひらに口付けたら、神田はわたしの額に唇を寄せた。たくましい肩を撫でて、女のそれとはまったく違うなあなんて、今さら当たり前のことを思ってときめく。噛み付きたいほどの気持ちを我慢していた。

「怪我は治った?」
「知ってるだろ」

シャツのボタンをひとつ外して、その胸に走る歪を見る。傷は、痕さえない。逞しい体をゆっくり撫でながら、神田の瞳に欲情が映るのを見ていた。映り込んだわたしに憚ってか、躊躇いも見える。

「お前は」
「へいき、もう痛くない」
「そうじゃなくて」

彼の瞳には憂いがあった。わたしたちにとって何が痛みなのか、彼は声もあげられないほど理解している。平気なことは何ひとつない。それでもあなたに大丈夫だと嘘を吐く。


ずっと悲しいのにいつまでも泣いていられない。
ずっと淋しいのに未だに愛していると言えない。

(ひとつ)

(ふたつ)


死んだ人間を数える、生きている人間は数えない。
体に残る傷痕を数える、こころの痛みは数えない。

わたしたちは現実に正直で、悲しみには無頓着だ。

回した腕から温かさが広がって、少しの罪悪感は影のように濃くなってすぐ暗闇に消える。

「わかってるなら慰めて」

すぐに応えてくれる神田の腕は、世界でいちばん優しい温度を保っている。何も聞いてくれない、何も言ってくれない。不干渉だけが唯一わたしたちを守る。

(痛みなら癒えるだろう)

(隙間なら埋まるだろう)


わたしたちはもう幼馴染という関係性ではくくれなくなってしまった。だって、抱き合うための幼馴染なんて、聞いたことないもの。けれど、恋人と呼べるはずもなかった。ただひとこと、愛しているとも言えないのに。

(誰にもわたしたちを数えられはしない)

それは、わたしでも神田でもどちらでもいい。どちらかがこの均衡を崩してしまえば、そうしたらわたしは、幼馴染としての神田も、恋人としての神田も、両方失ってしまうような気がしているのだ。
欲張りなわたしはどちらの神田も占有する。

(わたしたちは一体何なのかしら)

ときどき、彼を愛するために生きているのか、わたしが生きるために愛しているのか、分からなくなる。それくらいわたしたちは凡庸で、万能で、滑稽な関係だ。生きることと愛することは似ている。服を着るように花が咲くように葉が枯れ落ちるように自然で、こんなにも近くに在ることを知っている。





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