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作品1藤宮さま


「隕石が落っこちてくればいいのに」

不穏な台詞とは正反対に、神田の髪を梳くリナリーの手つきは静謐で密やかだった。またか。神田は諦めて眼を閉じる。
アクマを壊して、壊して、仲間を殺されて、殺されて、太陽が昇って、沈んで、月が浮かんで、沈んで、リナリーは泣いて、神田は冷めて、また太陽が昇って、アクマを壊す。昨日と今日で何が違うのか。今日と明日で、明日と明後日で何が違うのか。問われたら神田は答えない。そんな当たり前の質問どうでもいい。けれど、リナリーは果敢にも証明つきで答えようとする。昨日はデザートにソルベを食べたの、でも今日はペーシュメルバだったわ。ねえ、ほら、違うでしょ。幼子の必死な、でも周囲に大して影響出来ない我が儘のように。
神田にとっては自分とその延長が全てだ。自分の身体、意志、目的、武器、打算、教団の人々、脳裏のあの人。咀嚼する現実は神田次第で違う味がする。神田は経験としてそれを悟っていた。
リナリーにとっては自分と教団の人々が全てだ。名前も知らない、言葉も交わしたことがない、そんな探索部隊のひとりさえリナリーの一部だ。だから、毎日毎日彼女は不遜に削り取られていく。なのに何事もなかったように地球は回り、戦場は燃えて、昨日と代わり映えしない今日が過ぎていく。リナリーにはそれが耐えがたい。誰も耐えろなんて言っていないのに。抗えなんて尚のこと。

「氷河期が来ればいい。ワクチンがない強力なウィルスが蔓延しちゃえばいい。世界中の火山がいっぺんに噴火すればいい」
「…本気か?」
「え、」

リナリーの指先が動かなくなる。何でもない、続けろ、と神田は不作法に言った。彼女の指は次は怖々と動いた。

「銃やナイフがなければ、動物も人間も撃たれないし、刺されて死んじゃうこともないわ」
「武器がなければ守ることも出来ない」
「あら。『敵を倒すため』じゃないのね」
「そういう気分だ」
「ねえ、神田。私はそんなに純粋じゃないし、だからお馬鹿さんでもないわ。本当はちゃんと分かってる」

リナリーの掌が離れ、一拍置いて彼女の腕が神田の首に回される。ひやり。冷たい。白磁器を思わせる色、肌触り。掴めば最後砕けてしまいそうだ。否、いっそ吐息ひとつで。神田は押し黙り、リナリーの腕の輪の中で動くのを止める。

「世界の終わりを待つ必要なんてない。答えは簡単、捨ててしまえばいいんだわ。神田も、兄さんも、教団のみんなも、イノセンスも。ね、そうでしょう?」

本気か、と神田は再度尋ねた。本気よ、とリナリーは即答した。彼女の細い指が、皮膚の薄い掌が神田の首に絡みつく。軽く込められる力に神田は瞼を下ろす。

「こんなに、こんなに苦しいなら全部捨ててしまえばいいのよ。昨日も今日も明日も要らない。笑顔も涙もなんにも要らない!」

指が食い込む。爪が食い込む。気道が狭まる。耳鳴りがする。脳髄が痺れ、指先も痺れる。しかしこの程度で神田は死ねない。それはリナリーにとって幸か。それとも不幸か。見極める前にしかし、彼女の両手は離れてしまった。
ゆっくり振り返ると、リナリーの人形のような頬を涙が伝い落ちていた。小さな唇が戦慄く。どうして、神田。零れた問いには答えず、神田は無言で彼女を抱き寄せた。

「ねえ、神田、どうしてなの。どうして私は何も捨てられないの。苦しいって分かってるのに、捨てたら楽になれるのに、それでも私は全部持っていたいのよ」

淡々と、切々と、リナリーは泣き濡れた声で訴える。神田は黙したまま彼女を抱きしめた。小さい。薄っぺらい。そして脆い。それでも、リナリーは抱えるものをひとつとして捨てない。彼女はそれを弱さだと思っているが、神田はそれこそが彼女の強さの源泉だと思う。神田の世界は神田の意志如何であるように。

「昨日もお前はそうだった。きっと今日も明日もそうだろう」

その所為で苦しむのなら、だから、神田は何度だってリナリーを抱きしめるだろう。リナリーがリナリーである限り、神田が神田である限り。

「お前がそういう奴だから…前だけ見て戦っていられる。少なくとも俺は」
「うん。…うん」
「それから、俺を殺すなら一息でやれ」
「ごめんね。もうしないわ」
「何回だってやればいい。それでお前が楽になるなら」
「今日の神田は優しいのね。明日は雨かな」

ふふ、と潤んだ瞳でリナリーは笑った。何故だろう。リナリーの肌は冷たいのに、触れる涙は温かかった。リナリー。神田はただ一度彼女の名前を呼んだ。



(世界はずっと廻っていくの)
(いつか全ての人に優しくなるまで)



啜り泣く明日と忘れたふりをする今日と途方に暮れる昨日と





あきゅろす。
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