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Short Story
1
徳川本陣へと少数精鋭で切り込んだ幸村は、見事に黄金の装束を血に染めることが出来た。片膝を突き、なんとかこの場を凌ごうともがく家康に、止めをと槍を振り上げた瞬間である。甲高い金属音と共に、敵へと吸い込まれるはずの刃は阻まれた。勝利を確信していた瞳には、血で汚れた黄金ではなく、目に焼き付くような蒼が視界いっぱいに広がっていた。
考えずとも誰かわかる。その色を纏う人間を、幸村は一人しか知らない。政宗だ。
驚きで身体の動きを硬くしている隙に、刃はそのまま弾かれ政宗が数歩後ろへ下がり家康との距離を縮めた。一つだけの瞳が、一瞬だけ家康に向けられる。だが、視線をそらされたからと言って手を出せるわけでもない。柔軟で、しかし堅固な構えは意識は幸村のほうへ集中しているということを窺わせる。

伊達が徳川と同盟。

事前の情報でそのことを知らされていたとは言え、事実として視界に飛び込んで来た光景に、二槍を握る手が脱力しかけるのを、幸村は必死でこらえた。
彼は、心から愛する女性に刃を向けれるほどに残酷な男ではなかった。
一線を越えたことなどは無い。ただ、今思えばあれは互いに想いあっていたのではないかと、ときどき幸村は錯覚することがある。尤も、もしそうだったとしてもどうしようもない。彼女は一国の主で、当時彼は武田の一武将。今でこそ、総大将の肩書きを頂いてはいるが、それだって分不相応だと思っている。それだけでなく、今は敵同士だ。
さほど遠くもないが、すでに過去の話だ。もう、こうなってしまってはどうすることもできぬ、と瞬きよりは少し長い時間目を瞑り、気持ちを切り替えた。目の前にいるのは、敵、なのだ。

睨み合いはなおも続いた。
政宗が一人でいるのは考えにくい。きっと、近くに右目もいるはずだ。一人だけ家康の危機に突出してきたのかもしれなかった。もしそうなら、間もなく後続の部隊が到着するはずだ。そうなれば、この緊迫した空気は一気に徳川側へと有利になってしまう。戦場全体も、この場も。

(退き時か・・・)

前に進むだけが全てではないと言うことを、今の幸村は知っている。
大きく後ろへと跳び、間合いを広く取った後に槍を収め徳川の本陣を後にした。程なくして、見慣れた橙が現われる。幸村が本陣へと突入したと聞いて駆けて来たのだろう。

「大将なんだから、前みたいに前線に立つのは危険だぜ旦那」

佐助は、以前とは笑みの数も言葉の軽さも少なくしていた。以前とはもちろん、信玄が倒れる前を意味する。
追っ手がかかった様子が無いのを確認してから、佐助が鳥を呼んだ。武田の本陣まで飛ぶのだ。
空から見下ろす戦場は、ただの武将であったころと何もかわらない。だが、幸村にはそう見えなかった。否、頭ではわかっている。変わったのは、己の立場だけだ。だというのに、心の持ち様が違うと、こんなにも印象は変わる。
その視界に入る戦場の、徳川の本陣を振り返ってみる。ああ、変わってしまったものはあそこにもあったか、と視線をすぐにそらした。そこには、家康に肩を貸す政宗の姿があった。

徳川と伊達の同盟の話と一緒に、そういえば婚約の話もあったな、と、またひとつ、幸村の中で炎が消えた。

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あきゅろす。
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