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5
「な、なんでっ?! なんで?」
 動揺のあまり言葉に詰まった上、同じ単語を繰り返してしまった。
 俺は馬鹿だ。すぐに反応せず少し考えてから口を開けばよかったのに。これじゃ焦っているのが丸わかりな上、図星だと白状しているようなものじゃないか。
 しかし、一度口から出た言葉は取り返しがつかず、もはや黙って篠井の反応を待つしかなす術はない。
 焦る俺とは対照的に、篠井は落ち着き払った様子だ。
「んー、なんとなく? ききたいことっていうより、なんか俺に言いたいことがありそうだなって思った」
「ないよ。ない」
 特に確信があって言ったわけじゃないことがわかったのに、俺はまたも同じ過ちを繰り返してしまった。
 俺は焦ると同じことを二度繰り返すのが癖なんだろうか。とにかくもう黙っていたほうがよさそうだ。
 一応否定はしてみせたものの、やはり納得させることはできなかったらしく、篠井は強い口調で言った。
「言えよ。俺にできることなら努力するからさ」
「……」
 言えるはずがない。
 遥が篠井のそばにいるのがどうしようもなく不安で、遥の気持ちが篠井に向いた時のことを想像していたなんて。
 そんなのはどうすることもできないことだし、遥は篠井にとって、きっと一生大切な人には変わりなくて、それは誰にも咎めることのできないことだと思う。だから俺がどうこう言えることじゃない。
 たぶん俺が正直に言えば、これから篠井は遥の影をまったく匂わせず、それどころかはじめからなかったように振舞ってくれるような気はする。
 だけど不思議なことに、そうして欲しくもないという思いも確かに自分の中にあるのだ。
 その矛盾を説明することは俺には難しく、篠井を混乱させることも、遥に嫉妬している小さい人間だと思われることも嫌だった。
「もうちょっと……」
「ん?」
「もうちょっと俺が大人になったら言う…。今は……」
 こんな言い方で納得するわけがないと思ったが、篠井は何も言わず、ただ、ため息をついた。
 強情な俺に怒ったのかと恐る恐る顔を上げて彼を見ると、彼は天を仰ぐように上を向いていた。
「まあいっか。俺たちこれから付き合い長いよね?」
「……うん?」
「語尾あげんなよ。不安になるじゃん」
 そう言って俺をみて笑う。
 その笑顔は綺麗で、どこか愉快そうで、それなのにいつか土手で泣いていた篠井が喚起された。
 篠井をあんな風に泣かせるようなことだけは絶対にしたくない。この先、篠井がこんな風に笑っていてくれるなら、なんでもしようとすら思えた。
「亮くん?」
「あ、篠井の方は、俺になんかない? 直して欲しいこととか、して欲しいこととかさ」
 篠井はぴたりと止まって、視線をさまよわせた後、俺を見て何か言いたげに口を開いたが、すぐにためらうように閉じ、また視線を宙に向けた後、結局は俺から視線を外して言った
「……んーと、浮気しないで、みたいな?」
「浮気?」
 言いにくそうにしていたにしては、なんとも普通な意見だ。
 それと同時に嘘だと思った。さっきはなんで篠井に嘘を吐いたのかわかったのか不思議だったが、もしも自分が今の篠井のようだったら無理もないと思う。
 ごまかしているのが手に取るようにわかる。
「…本当は違うだろ」
 そう言ってやれば、てっきり自分のように焦るかと思ったのに、篠井は肩をすくめて決まり悪そうに笑うだけだった。
「あー。やっぱりわかっちゃった?」
「ほんとはなに?」
「……言ったら亮くん、絶対ひくから」
「ひかない。約束する」
「んー……。それ言われちゃうとさ、内心ひいてんのに無理してるんだろうなとかって考えちゃうんだよね。俺って」
 そう言われてしまっては、聞き出すのは諦めるしかなさそうだ。
 だけど、これからまたずっと会えないんだから、このままにしてはいけないとすぐに思い直す。
 篠井が言えないのが俺の方の問題だというのなら、多少強引に聞き出しても構わないだろう。
 もしも篠井が感傷的だったり突拍子もないことを言い出したとしても、笑ったり戸惑ったりせず受け止めよう。
 そう決心して、しつこいほど何度も言うように促すと、はじめはのらりくらりとはぐらかそうとしていたが、やがて根負けしたのか篠井は言った。
「……じゃあ、ヒントだけね」
 篠井はまた革の箱を手にとって、俺に向って手招きをした。
 その箱にヒントがあるのかと、少し前にかがんでその手の中を覗きこむ。
 瞬間、耳元に温かいものが触れた。
 くすぐったさに肩をすくめると同時に小さい音を立ててそれは離れ、反射的にその音の方へ顔を向けると、そのまま口接けられた。
 突然のことに驚いて身をひこうとしても、いつのまにか背中にまわされた手がそれを許さず、ただされるがままになる。
 もう俺は何も考えられず、ただひたすら自分の呼吸と動悸と戦うしかない。
 息が苦しくなった時に少し解放されやっと口が開けたと思ったら、篠井の舌が入り込んできて口腔を探られる。
 初めての感触にいよいよ頭の中は真っ白になって、俺はかたく目を閉じた。

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