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「あー。安心した。これでベンキョーに身がはいる」
 言いながらベッドの上で伸びをする篠井に、最後の一口を飲み込んでから尋ねる。
「篠井は何学部行くの?」
「内緒。…もう食い終わった?」
「あ、うん。ごちそうさま。美味かった」
 なぜ秘密なのかと問い返す間もなく訊かれて答えると、篠井は起き上がりベッドの上に胡坐を掻いた。
 作ってもらったしせめてこれくらいはと皿を片付けようとしたが、篠井にそれを止められてしまった。
「後でやるからいいよ。時間もったいない。それよりさ、ちょっとこっち来て、ここ座って」
 言われた通りベッドに腰掛ける。すると、篠井はいつのまに出したのか小さな皮製の箱を傍らに置いて、その蓋を開けた。中を覗き見ると太さの違う銀色の指輪が二つ入っている。
 もしかしてと篠井を見ると、篠井はにやりと笑って俺の右手をとり、二つあるうちの片方の指輪を俺の薬指に嵌めた。
「これはまだ試作品」
 それはシンプルな何の飾りもないもので、サイズも春先に計っただけあってちょうどよかった。
「すげえ」
 思わずそう漏らして、指輪の嵌った手を前に翳す。篠井が本当につくったものだという驚きと感慨と、それに指輪を嵌めた自分の手というのがどうにも新鮮で、思わずまじまじと見てしまう。
 しかし篠井は不満そうに言った。
「なんかそれ、所帯もちのサラリーマンみたい…。ねえな。外して」
「サラリーマンって」
 あまりの言われように苦笑しながら指輪を外すと、今度はもうひとつの指輪を嵌められる。
 それは、はじめにしたものよりも幅が太く、結構凝った模様が彫ってあった。その細かいデザインに俺は感動すら覚える。
「すごい。売ってるやつみたい。篠井って本当に器用なんだなあ」
「まあね。…でもそれ、あまり亮くんのイメージじゃねえな。もしかするとって思ったんだけど」
 指輪にイメージに合うとか合わないとかあるのか俺にはよくわからないが、その指輪も篠井は気に入らないようだ。
「もうちょっと考える…。でさ、メッセージなんだけど」
 言われてぎくりとする。
 指輪の裏に彫るメッセージを考えるように言われていたものの、俺はいまだ思いついていなかった。
 受験勉強の合間に、学校の図書室で柄にもなく詩集を捲ってみたり、名言集とやらにも目を通したりもした。しかし、借り物のままの言葉にはどうにもしっくり来なくて、だけど自分で考えられるほど俺には文才もセンスもなく、正直言ってそれは俺の頭をずっと悩ませていたことだ。
「あのさ…そのことなんだけど、まだ全然考えついてないんだ」
 おそるおそる白状すると、篠井は事も無げに頷いて、俺から指輪を外した。
 そして何か思うところがあるのか、そのままその指輪を観察するように眺めながら言った。
「そっか。なら、良かった。…考えたんだけど、やっぱりさ、メッセージ彫るのはよそうかなって」
「なんだ…」
 肩の力が抜ける。
 それなら早く言ってくれと冗談めかして言おうとすると、篠井はもう指輪を見てはおらず、存外に真剣な顔をして俺をみていた。
 妙に真剣みを帯びたその瞳に、続けようとした言葉を思わず失ってしまう。
 空調の音の向こうで、外で鳴く蝉の声が遠くに聞こえる。
 篠井の真剣な顔と突然訪れた沈黙に耐え切れず、なんでもいいから口を開こうとした時、篠井が言った。
「……亮くんさ、これからずっと言いたいことは全部、俺に直接言って」
「え?」
「指輪に何も入れないのがそういうメッセージ…っていうか、意思表示?俺は馬鹿だし、思い込み激しいからさ、勘違いとかして亮くん傷つけたりするの嫌なんだ。俺と亮くんは他人だからさ、一回嫌われたらそこで終わりになりそうじゃん?だから亮くんが俺に対して思うところがあったらさ、溜めないで全部教えてほしいんだよね。どんなことでもいいからさ」
「…俺が篠井のこと嫌いになることなんてないよ」
「……それでも。な?」
 強い調子で言われて、それに押されたように頷く。すると篠井は小さく微笑んだ。
 その笑顔に中てられたように一気に顔は熱くなり、改めて篠井は綺麗な男だと思う。
 背は高いし、明るいし、可愛いところもあるし、ほんとうになんで自分を好きになってもらえたのかわからない。
 そんなことを考えていると、なんだかくらくらしてきて、もはや彼の顔を見ていられなくなってしまい、たまらずに俺は俯いた。
「じゃあ、それを踏まえたうえで」
 そう言いながら指輪を箱にしまう篠井の長い指を、のぼせた頭のまま目で追う。
 案外丁寧で、淀みない指の動作にぼんやりと見蕩れながら、その指に触れてみたいという疚しい考えが頭を掠めた時、篠井がなんでもないように言った。
 
「亮くん、さっき、本当は別のこと考えてただろ」

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あきゅろす。
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