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 父が以前住んでいた家に行こうと言い出したのは、母の誕生日に近い日の朝だった。
 その日は母の誕生日に近い日で、父は母を驚かせようと以前から密かに計画していたらしい。
 父は大家さんに電話して、未だ借り手のついていない川の側の家に入る許可を貰っていると得意そうに言った。
 かつてあの家でガーデニングに勤しんでいた母は、手放しでそれを喜んだ。母は、引越してからというものずっと、手塩にかけた花が咲くところを見られないことにがっかりしていたから、なおのこと嬉しかったのだろう。
 それから慌てて支度をして、数時間をかけて車で来た久しぶりの川の側の家の庭は、大家さんが手入れをしているのか雑草もそれほど目立たず、夏の花が咲き乱れていた。
 なかなか見事なものだ。
 母は一通り俺と父に花の名前を説明してから、デジカメで花の写真を撮りはじめた。
「これからどうするの?」
 そんな母を横目に父に尋ねると、全て母しだいだといわれた。
 母の行きたいところがあればそこに行くし、母の希望が特に無いようなら、ここから車で30分ほど行ったところにある観光地に行く予定だそうだ。
 やはり篠井に会う時間はなさそうだ。こんな機会はめったにないので残念だが、急だったことだし、何より今日は母が主役なので仕方がない。
 その時、門先に人影が差した。
「あら、やだ!やっぱり!斉藤さん!」
 聞き覚えのあるその声は、この家の隣に住むおばさんのもので、気が合うのか母はだいぶ仲良くしてもらっていた。
 母は歓喜の声をあげ、二人はものすごい勢いで話はじめた。
 東京の家のこと、春におばさんに送ってもらった苺のこと、おばさん曰くその苺を作っている農家の娘さんの作るフルーツケーキが美味しくて今度店を出すらしいこと。
 短い間にも話題はくるくると変わり、これは長くなりそうだと俺と父と顔を見あわせる。
 すると、それに気づかれてしまったのか、おばさんが言った。
「ここじゃ暑いし、よかったらちょっとウチに寄ってらっしゃいよ。せっかくだからお昼も食べていったら。ね、ご主人も亮一くんも」
 母はそうしたいけどと答えながら、こちらを伺うように見たが、父は遠慮がちに言った。
「でも突然お邪魔するのも申し訳ないですし…」
「ご迷惑でなかったらぜひいらしてくださいな。ちょうど高校野球もはじまりますし、うちでご覧になっていったら。今日、いいカードみたいですよ」
 高校野球という単語に、ああ、これは父の心が揺らぐだろうと思った瞬間、父が言った。
「そうですか?じゃあお言葉に甘えて。な、亮一」
「あ、それなら俺、ちょっと友達に会って来たいんだけど」
 篠井に会えると決まったわけではないが、つい口からでた。
 父は、それならいい頃合になったら電話すると言ってくれて、俺は懐かしい家を後にした。
 
 
 さてどこに行こう。
 入道雲が空の端を覆い、蝉の音がうるさいまでに聞こえる中を歩きながら考える。
 うだるような暑さのせいか、昼時のせいか、あるいはいいカードという高校野球のせいか、人影はまったく見えない。
 照り返しの強いアスファルトの上を一人で歩いていると、去年の夏が思い出された。
 一人で過ごしたこと、途中からは篠井と過ごしたこと。あれから一年経ったのかと思うと感慨深い。
 篠井とは春休みに彼が東京に来て以来、会っていない。
 頻繁に短いメールは交わしているけど、あまりに篠井のメールはそっけなく、時々不安になることはある。だけど、まあやりとりは途切れていないのだから、順調と言えば順調といえるのかもしれない。
 篠井にメールしようか迷って携帯をとりだしたが、強い日差しのせいで画面が良く見えず、すぐにしまう。
 とりあえず暑さをしのぐために、コンビニに向って国道を歩いていると、俺を追い越したバンがすぐ先で止まった。
「亮くん!」
 その車の後部座席を降りて俺を名前を呼んだのは、かつてのクラスメイトで最後の方は割りとよく話していた奴だった。
 俺も小走りで近づいて、再会を喜ぶ。
 彼は家が酒屋で、その配達を手伝っており、観光地の旅館に納品に行く途中だということだった。
「もしかして亮くん、篠井君ちに行くとこ?」
 そう尋ねられ、なんとなくあてもなく歩いてましたとは答えづらくて俺は曖昧に頷いた。
「篠井君ち、商店街だよな。よし、通り道だから乗ってけよ」
「…え、でも」
「こんな暑い中歩いてると熱中症になるぜ。ほら、早く。配達の途中だから時間ねえんだよ」
 そう言いながら彼は歩き出し、断るすべもなく俺はその後を追った。
 
 
 酒屋の店名の書かれたバンに乗せてもらい、商店街に続く道の入り口のあたりで降ろしてもらった。
 クラスメイトとそのお父さんにお礼を言ってバンを見送ってから、篠井の家を探しながら歩く。
 昼間なのに、シャッターを降ろしている店が結構多い。数少ない開いている店先からは、高校野球の実況が漏れ聞こえてきて、商店街という賑やかな響きに反してすごく静かな感じがした。
 この景色を篠井は毎日見て過ごしているのかと思うと、少しくすぐったいような嬉しいような不思議な気持ちがする。
「あ、あそこかな…」
 篠井の家と思わしき美容院は、古いスーパーマーケットの斜向かいにあった。
 そこは三階建てで、一階は店舗のようで、その前には3台自転車が止まっている。二階へ続く外の階段の下に作られた駐車場に篠井のバイクが見えた。まちがいない。きっとここが篠井の家だろう。
 篠井はどこへ行くにもバイクだから、もしかすると今日は家にいるのだろうか。
 俺はとりあえず、その斜向かいのスーパーに入り、入り口のところにあった小さな休憩スペースで携帯を出した。
 篠井にメールしてみようと思ったのだが、文面に迷う。
 突然、迷惑じゃないだろうか。
 会えないかとメールを送ったところで、もしも篠井に用事があったりしたら、却って気を遣わせてしまう気がする。
 どうにも悩んでしまって、自動販売機でお茶を買ってベンチに座り、なんどもメールを打っては直しを繰り返す。
 とりあえず今何をしているか探りを入れてみよう。
 そう思いついて気を取り直して打ち始めたとき、目の前に陰が差した。
 顔をあげると、そこにはスーパーの袋を片手に二つ提げた篠井がいた。

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