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8
 翌日、学校が終わって友達の遊びの誘いを断るのもそこそこに、俺は自転車を走らせて雨宮の家へ向った。
 雨宮が走り書きに気づいているのかどうか、もしも気づいていなかった時に彼がどんな反応を示すのか、一刻も早く知りたかった。
 ビルに着くと、叔母の店はまだ準備中の札がかかっていた。いつも停めているところに自転車を置いて、ちょうどよく一階で止まっていたエレベーターに飛び乗る。
 最上階につきエレベーターホールにでると、いつもとは違う風景に気づいて俺は非常階段へ向かう足を止めた。
 いつもは暗い「オフィスアマミヤ」と書かれたガラスの向こうには灯りが点いていた。ドアの向こうからは人の話声や笑い声も聞こえる。
 インターホンを押してみようか迷ったが、観念して今日のところは帰ることにした。きっと雨宮に客が来ているんだろう。なら上に彼がいるとも思えないし、邪魔するのも悪い。
 踵を返してエレベータを待っている時、通路の奥のトイレから水音がした後、人がでてきた。
 それは体格のいい無精ひげをはやした精悍な顔立ちの男で、俺に気づくと眉をあげそれからにっこりと笑った。そうすると鋭い面差しが和らいで、とたんに人好きのする印象に変わる。
「もしかして雨宮ジュニアの友達?」
「あ、はい」
「あいつ呼んできてやろうか?君、名前は?」
 言われて少し考えてから、早くこの走り書きのことを伝えたいと思ってそうしてもらうことにした。
「吉野です。よろしくお願いします」
 男はまるでハリウッド映画に出てくる登場人物のように片眉をあげてにやりと笑ってから、中へ入っていった。
 しかしすぐにドアから顔をのぞかせて俺を手招きする。何かと思って近づくと、肩をぐいと抱かれて中へ入るよう促された。その男の手は俺の肩を包めるほど大きくて指はごつくて、何か格闘技でもしている人なのかもしれないと思う。
 初めて入ったオフィスの中は図書館のように本棚がフロアの片側に壁と垂直にずらりと並んでいて、もう片側には無骨な広いテーブルと、ホワイトボードが置かれていた。
 そのテーブルの周りを、年配の男性が二人と、OLっぽい女性が一人、それと20代半ばくらいの男性が取り囲んでいた。
 みんな手には缶ビールや缶チューハイを持っていて、テーブルには多分つまみ代わりのポテトチップスやするめの袋が広げられている。雨宮の姿を探すとそのテーブルが置かれたスペースの奥にあるソファに腰をおろしていた。
「あら、高校生?!」
 女性が酔っているようなほがらかな声をあげた。
「ほら、連れてきてやったぞ。吉野君」
 俺の肩を抱いていた男が雨宮に声をかけた。雨宮はソファから立ち上がって、すこし早足でこちらへ来た。わざとらしく慌てた様子で男が俺の肩から手を離す。
 雨宮は俺たちの前で立ち止まり、男の方をちらりとみた。
「友達連れてきてやったのに、なに怒ってんだよ」
 からかうような口調の男の言葉に俺は目を見張った。俺も早足でこちらへくる雨宮の不機嫌さはなんとなく感じていたが、俺の後ろの男もそれに気づいたことに驚いたからだ。
 この男は雨宮と親しいのかもしれない。もしかしたら、俺よりも。
 そう思うと、なんだか面白くなかった。
 自分と雨宮との付き合いなんてそう長くもなく濃いものでもないのに、どうしてかこの男は俺より雨宮のことを知っていると思うと胸の中がモヤモヤする。
 客観的に考えて、きっと雨宮とこの男は俺よりずっと古い知り合いなことは間違いない。なのになぜ自分がそんな風に思うのかわからなかった。
 そんな風に自分の気持ちをもてあましている俺に、雨宮が発した言葉が胸につきささった。
「別に。それに彼は友達じゃありません」
「……」
 友達じゃなかったのか。
 思わず俺は俯いた。雨宮に友達じゃないとはっきりと言われたことがただショックだった。
「お前さー、そういう言い方はないぜ?若いうちはな、言葉を一言交わせばもう友達ってなもんなんだよ。二人とも同い年くらいだろ?あーあ、吉野君、俯いちゃって可哀想に」
 庇ってくれるのはありがたいが、ここで俺に振らないで欲しい。情けないが惨めで涙が出てきそうだ。
 それにしても、俺と話すのが楽しいとか来てくれないのが嫌だとか言っておいて、友達じゃないなんて酷すぎる。
 でも、雨宮は思ったことしか口にしない奴だから、きっとそれは彼の本心なのだろう。
 そう思うと余計悲しかった。
「可哀想?」
「そうだよ。だって吉野クンの立場ねえじゃねぇか。お前のこと友達だって言ってくれたんだぜ。吉野くんの方は。なあ、吉野クン?」
 この男はきっと親切で人見知りなどしない、はっきりとした気持ちのいい人間なのだろう。だけど、いささか無神経だ。
 屈辱に似た感情と逃げ出したい衝動で言葉もでなかった。
 この場にいることがもう我慢できなくて俺は息を吸い込むと、プライドを総動員して震えそうになる声を抑えて言った。
「あ、あの、俺もう帰りますから。あの、これ、裏表紙の見返しのところ、走り書きがあったから…、それじゃ」
 雨宮に本を押し付けて早口にそういうと、俺は彼の顔を見ずに踵を返してドアへ向った。
 まだゆっくりしていけば、というあの男ののんびりとした声がしたが、それには聞こえない振りをしてガラス戸をあけてエレベーターに乗った。
 エレベーターのドアが閉まると一気に気が緩んだのか目の奥が熱くなって、慌てて奥歯を強く噛み締めた。
 いい気になってた自分がいけない。きっと、雨宮と親しくなれたと、彼が自分に好意を持っていると思い上がっていたのがいけないのだ。
 あそこにいた人たち全員が俺たちのやりとりを聞いていたこと、あの男の同情めいた口ぶり、雨宮の言葉。
 それらを思い返すと惨めで悔しくて、消えてしまいたくなった。
 その衝動のまま俺は叔母の店の横においた自転車に乗り、強い風に向って力任せに自転車を漕ぐ。
 家についたころはクタクタで、あがる息を抑えているうちになんだかどうでもよくなっていた。
 もう、あの部屋に行くのはもうやめようと思う。
 読んでいなかった巻は読んだわけだし、あそこに用はなくなったはずだ。三巻が読めなかったのは残念だけど仕方がない。
 そう心に決めて俺は自宅に入った。
 
 
 それから俺は叔母から雨宮への出前を頼まれても断ることにした。
 雇われている身分で正当な仕事を断るなんてとんでもないことだが、身内の甘さゆえかそれとも何かを察したのか、叔母はそれを許してくれた。
 雨宮の部屋への出前には、いつも俺と入れ違いでシフトにはいる大学生が引き受けてくれて、一度交代のときに顔をあわせたときに、「上の男の子に吉野君が病気かって聞かれたから元気だって言っておいたよ」と言われただけだった。
 バイトを終えるとき、上を見上げる癖がついた。
 いつも雨宮がいる部屋は他のフロアより狭いしベランダがついているせいか、下からはほとんど見えない。
 それがわかっても俺はついあの部屋を見上げてしまい、そのたびに行かなくなったことを後悔した。
 自分のつまらない見栄とプライドを守ることを選んだせいで、俺が部屋に来なくなるのは嫌だと言っていた雨宮をあの部屋で一人にしているのかと思うと、なんだか酷いことをしているような、胸が掻き毟られるような妙にせつない気分になり、俺はそれを誤魔化すかのようにそのまま視線を空に向け星の灯りを探した。
 だけど地上の灯りのせいか、やはり、それもここからはよく見えなかった。

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