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6
 雨宮はハンバーガーと牛丼が嫌いらしい。
 あれから何度か学校帰りに寄らせてもらって、雨宮の部屋の本棚を探索した。その何回目かの時に叔母の頼みを思い出して尋ねてみたところ、食べられないものはないと前置きされた上で、そういう答えが返ってきた。
 ファーストフードが嫌いだなんて、母親の手作りのおやつが毎日出てくるような家庭で育った感じがする。育ちがいい、というか。
 あまりここにいないと言っていたわりに、雨宮はものすごい確率でその部屋にいた。だけど、彼がこの部屋に何をしにきているのかは謎のままだった。
 床に散らばっている本が気になっていたので、俺は雨宮に了承をとってから探しがてらついでに本棚に収めていくことにした。その甲斐あって、床が見える面積は少しずつ増えていき、それが面白いのか雨宮はいつもソファに腰掛けてじっと俺の作業を見つめていた。
 それが、どうにも落ち着かなくて、彼の視線に耐えきれずに俺はある日とうとう雨宮に言った。
「あのー…そんなに見ないでください」
「どうして」
 どうしてと訊かれるとは思わなかったので、俺はしどろもどろになりながら答える
「照れるっていうか…緊張するっていうか…」
 我ながら妙な言い回しだ。だけどそんなにじっと見つめられていると、やっぱりやりにくい。
「わかった」
 雨宮はそういうと、すぐにソファから立ち上がった。そしてまっすぐに望遠鏡の方へ行くと少し重そうににそれを持ち上げ、ベランダに出る。
 このビルの外見から考えるにたぶんベランダがついているのはこの部屋だけで、雨宮がそこへ続くサッシを開くと、外の音と共に海風が吹き込んできた。
 しかし、すぐにサッシは閉ざされ、再び部屋は静寂に包まれる。
 視線から逃れられたことにほっとしてから、しばらく本を探すことに専念した。
 しかし手を動かしているうちに、今度は、もしかして雨宮が俺の言い分に気を悪くしたのではないかとだんだん気がかりになってくる。
 彼の部屋なんだから、彼がどこにいて何をしようがいいはずで、俺が何かいう筋合いがないことだ。
 ベランダの雨宮に目を向けると、身をわずかに屈めて望遠鏡を覗き込んでいるところだった。
 彼の髪とシャツが風に煽られて、彼が風の中シャツ一枚でベランダにでていることに気づく。少し迷ってから、そのあたりに脱ぎ捨てられていた雨宮のコートを手に、俺もベランダにでた。
「あの、そんな薄着だと風邪ひきますよ」
 声をかけてコートを手渡す。雨宮は受け取り、それに袖を通しながら言った。
「ありがとう」
 礼を言われて、なぜか少し不思議な感じがした。
 彼から目を逸らすと、雨宮の傍らの天体望遠鏡が目に入った。
「やっぱり、星が好きなんですか?」
「どうして。前も訊かれた」
「いや…なんていうか…なんとなく?」
 単に話のきっかけにと言ったことを真顔で問い返されて、答えに詰まる。
 雨宮は何か考えるように俯いた。
「別に。やはり特別好きでもない」
「…すみません。何度も同じこと聞いちゃって」
「いや。名前のせいでよく言われることだから気にしていない」
「名前?」
「僕は名前が昴だから。君に名前を言った覚えはないから、君がまた訊いてきたのが少し不思議だった」
 雨宮昴か。
 彼にあっているかどうかはともかく、なんだかちょっと可愛い感じがする名前だ。
「じゃあ、親のどっちかが星が好きとかなんですか」
 言ってから、しまったと思った。うっかり父親を想起させてしまうようなことを口走ってしまった。
 内心慌てる俺をよそに、雨宮は気にした様子もなく首を横に振った。
「違う。枕草子」
 ああ、『星はすばる』という奴か。古典から子供の名前をとるなんていかにも文学者というか小説家っぽい。
 しみじみとそう考えていると、雨宮がこちらを見ていた。その表情はいつもと同じだったけど、なぜか何か言いたげにしているように感じた。
「なんですか?」
 促すと、雨宮は少し黙った後、きっぱりと言った。
「その敬語はやめてもらいたい」
 突然のことにびっくりした。瞬時に考えてみたが、正直、雨宮と気軽に話す自分がうまく想像できなくて戸惑ってしまう。
「同い年だし、とても不自然に感じる」
「え…えっと、でもお客さんなんですし、なかなかそういうわけにも…」
 口の中でもごもごと言っていると、雨宮は言葉を重ねてきた。
「それに、僕はもっと君と親しくなりたいと思ってる。だから敬語はやめてもらいたい」
「……」
 ものすごい直球を投げつけられた気がして、俺は思わず口を噤んでしまった。
 親しくなりたい、なんて面と向って言われたのは生まれて初めてだ。こころなしか顔が熱い。
 いったい俺の何がそんなに気に入ったんだろう。父親の本を知っていたから、なんだろうか。
 それとも俺自身が気に入ったわけじゃなくて、やはり雨宮は会話ができる誰かを欲しているだけ?
 頭の中がぐるぐると巡って、どうにも返事に困っていると、どこかの工場で終業のチャイム代わりに流しているクラシックの曲が遠くから響くように聞こえてきた。
 たぶん、そろそろ帰らなければいけない時間だ。だけど雨宮はじっと俺の言葉を待っていて、俺は慌てて答えを探す。
 雨宮が何か言わないかと思ったが、彼は黙っているだけだった。
 長い熟考の末、雨宮の言いたいことは「敬語をやめろ」ということだけで、親しく云々のところにはコメントを求められていないことに気づき、努力しますとだけ返事をしておいた。

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あきゅろす。
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