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5
 その日は大雨のせいか客の入りが悪く、俺が退ける頃合には客はテーブル席に一組いるだけだった。
 あれから、俺は学校の図書室のパソコンで「雨宮浩」の著作を検索してみた。比較文化論、歴史小説、伝奇小説などがずらりと出てきたが、その中に児童書は一冊も無かった。うちの図書室に置いていないだけなのかもしれないが、それにしても他の著作と比べてあの本は浮いているような気がする。
 それに雨宮から借りた本を確認して気づいたことだが、あの本には出版社の記載がどこにもなかった。
 どういうことだろう。
 そんなことを考えながら、瓶ビールを補充しておこうと厨房へいくと、叔母が重箱をとりだしているところだった。
 また注文があったのだろうか。
 叔母は俺に気づくと、思い出したように言った。
「そういや、あんた雨宮さんと知り合いだったの?おととい、あたしがお弁当届けたら、あんたのこと聞かれたんだけど。ちょっと愛想ないけど可愛い顔してるわねえ、あの子。お父さんそっくり」
 あの鉄面皮を「ちょっと愛想がない」で済ます広い度量に内心感嘆しつつ、叔母の言葉にびっくりする。
「叔母さん、あいつの親父知ってるの?」
「あんた、知らないの?結構売れてた有名な作家でね、ここらへんの人なのよね。まさかこのビルに事務所があるなんて知らなかったけど」
「そう…」
 てっきり叔母が雨宮浩と知り合いなのかと思ったが、そうではないようだ。
 それにしても、そういうことだったら、雨宮と小学校か中学校で会っていても良さそうだが覚えがない。
 良くも悪くも目立ちそうな奴だから、きっと同じ学校だったら目に付いたはずだ。私立にでも通っていたのだろうか。
「でも雨宮浩って3年前くらいに、取材旅行先で遭難したんじゃなかったかしら」
「えっ」
「たしか、まだ見つかってなかったと思うけど。…あ、ちょっと、お客様おあいそみたい。ほら、さっさと行って」
「あ、うん」
 内心の動揺を抑えつつ、カウンターに置かれていた伝票を片手にレジに向う。
 雨宮浩が遭難?まだ見つかっていないということは、行方不明ということになるのだろうか。
 そのことに頭を持っていかれそうになりながら、どうにかレジを打ち、客を見送る。
 器を下げて厨房へ持っていくと、叔母は鰤の煮付けを重箱に詰めようとしているところだった。
 そして、はたとその手をとめ、呟く。
「若い子は、煮魚なんかよりハンバーグとかカツとかの方がいいのかな…」
 ハンバーグもカツもこの店にはないメニューなのに、えらい熱のいれようだ。
「ね、あんた、雨宮くんが何好きか知らない?」
 俺が知るわけがない。その通り答えると叔母はしばらく迷ったあと、結局鰤の煮付けを盛り付けた。
「あんた、訊いといてよ。お得意様は大事にしないとね」
 きっと尋ねても別にといわれるだけだと思いながらも、一応うなずいた。
 
 
 案の定、帰りがけに出前を頼まれ、雨宮の部屋へ向った。
 叔母から聞いた彼の父親のことはやはり俺の中で後をひいていて、雨宮と顔をあわせるのはなんとなく避けたかったが、こればかりはしかたがない。雨の音が沈んだ気持ちに拍車をかけるようだ。
 弁当を渡し、今度はきっちりと代金を受け取ると、雨宮がなにやら紙を1枚差し出してきた。手にとってみるとあの本のカバーで、巻数は一巻だった。
「あ、これ…」
「カバーだけ見つかった」
 カバーだけなのかとがっかりする。
「君と会うまでに中身も見つけようとしたけど、間に合わなかった」
 その意外な言葉に感動した。わざわざ探してくれるなんて、ものすごくいい人だ。
 礼をのべてから、しみじみとカバーを眺めていると雨宮が言った。
「そんなに読みたいなら、本棚を探してもらって構わない」
 その言葉に顔をあげると雨宮が俺を見ていた。少し厚いレンズの向こうの動かない瞳が、俺を見ている。一瞬、何を言われたのかわからなくて、しばらくしてその瞳が瞬きをしてから逸らされた時、突然俺は彼の言葉を理解した。
「―― 別に、嫌なら」
「いいんですか?!ありがとうございます!」
 雨宮の言葉をさえぎってしまったのに気づいたが、構わず俺は頭を下げた。
 雨宮の返事はなかったが、思いもかけない申し出に、そんなことは気にならなかった。
 
 
 
 さっそく部屋にあがって本棚を探索させてもらった。驚いたことに、壁の本棚は二重になっていた。
 本屋のカバーがかかっているものも念のため確認しながら、慎重にどうにか1列探し終えたとき、雨宮がなにも言わず本棚をすいと動かし、その奥にまたぎっしりと本の詰まった本棚が現れた時、俺は絶望的な気持ちになった。
「ここにあるだけじゃない」
 奥の本棚を目にして呆然としている俺に雨宮が言った。
「下の事務所にも本棚はある」
「あ、そうなんですか…」
 雨宮の言葉に一気に疲れがおそってきた。途方にくれかけて、本についていた埃のせいかざらついてきた指先をすりあわせる。
 時計をみるともう9時を回っていて、あの本が読めないのは残念だが、ここで粘ってあまり遅くなっても家族が心配するだろうし、雨宮の迷惑になってもいけないと思う。
 雨足は多少は和らいでいるようだし、帰るなら今がいい。
 もう帰りますと告げると、突然、雨宮が俺の手を取った。
 急に他人に触れられたのに驚いたが、そのすこし高い体温に、あたりまえだが雨宮が生きている人間だということを妙に実感した。
 とられた手の中にビルのセキュリティのカードを置かれる。
「あの…?」
「これで君の好きな時に自由に入って探していい」
「でも…」
「僕はあまりここにいない」
 俺の言葉をさえぎる雨宮の声は淡々としていたが、少し強い口調のように感じた。
 それにしても、てっきり彼はここで暮らしているものと思っていたが違うのだろうか。思えば風呂などはないから、ここで生活するのは難しいかもしれない。
「それに盗まれて困るものもない。もっとも、君が盗みを働くとも思っていない」
「いや、でもこんな、困ります」
 そういって、半ば無理やり押し付けるようにしてカードを返す。
 雨宮はおとなしく受け取り、何か考えるように黙り込んだ。せっかくの好意だが、そんな闇雲に信用されても困る。
 少し長いように感じられた沈黙の後、雨宮は口を開いた。
「なら、セキュリティが外れていれば僕がいるから、その時は来てもらって構わない」
 気を悪くさせてしまったわけではないことにほっとして、俺はありがたくそうさせてもらうことにした。


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