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20

 その翌日と翌々日は虫干しのアルバイトに追われ、図書館に俺と雨宮が足を運んだのはそれから三日後だった。
 12歳以下は入れないことになっている町内会運営の小さな図書館は、土曜日の午後と日曜日しか開いていない。だから別に間があいても不都合はなかったが、それでもその日が俺は待ち遠しくて、昼間のバイトで疲れているのに夜は眠れない有様だった。
 そうして迎えた土曜の昼下がり、図書館のある隣の町の駅前で雨宮と待ち合わせをした。
 雨宮は先に来ていた。思えば、あのビル以外で雨宮と会うのも、昼間に彼を見るのも初めてだ。
 昼間の街中で見る彼は年相応にみえたが、どこか非日常的な印象を受ける容姿なのだと改めて感じた。
 ちらっとすれ違いざまに雨宮に視線を向ける女の子に気をとられながら駆け寄る。
「ごめん。待った?」
「そうでもない。僕も今来たところだから」
 あまりに使い古された、お決まりのやりとりに俺は思わず笑ってしまった。
「どうかした」
「いや、なんかいまのやりとり、彼氏と彼女っぽくない?」
 俺が言うと、雨宮は気を悪くしたのか何も答えずにぷいと顔を背けてしまい、俺はつい浮かれてつまらないことを言ってしまったと、少し落ち込んだ。
 
 
 子供のころ過ごした街は、結構な面変わりを見せていた。
 あるはずのコンビニがなかったり、代わりのように別の場所にコンビニができていたり、珍しくてついきょろきょろしてしまう。 
 子供の時に憧れていた家がそのままあったりして、興味を引かれることこの上ない。
 雨宮に道すがらの子供のころの思い出を話しているうちにとうとう、あの公園の中の図書館についた。
 低くなった柵の向こうに見える公園は、大きな遊具以外は新しいものが取り付けられていて少し記憶と違っていた。
 近くに団地があるせいか、子供が結構いることだけは変わりがない。
 その奥に足をすすめると、壁が塗りかえられている他は、昔のままの図書館があった。
「一応、ここの入館って12歳までってことになってるんだけど…平気かな」
 入り口の前で俺が言うと、雨宮は何でもないように言った。
「責任者に事情を話せば大丈夫だと思う」
 普通に考えればそのとおりだ。12歳を過ぎているから絶対だめだと思うなんて、つい子供のころに感覚が戻ってしまっていたようだ。
 雨宮は臆することなく、建物の中に入っていった。
 俺もその後に続く。入り口のすぐ傍にある受付にいる人に声をかけると、ちょうど子供たちが本を持ってその後に並び始めてしまったところで、少し待つようにといわれた。
 言われたとおりにおとなしく窓際に雨宮と並んで待つ。
 それにしても、本当に懐かしい。部屋の奥の扉は廃車になった電車に繋がっており、もしも用途が変わっていないならそこは読書室のはずだ。
 興奮したような子供の大きな笑い声がそちらから聞こえてきた。続いてそれをいさめる女の子の声がする。
 俺がここに通っていたころも、読書室が騒がしくなったときにしかるのはもっぱら女の子だった。あの年頃は女の子の方がしっかりしているんだろう。
「――昨日の夜、先生に聞いた。父と最後に会った時のことを」
 突然、雨宮が言って俺は驚いて彼を見た。先生はもう言ったのか。
 どこか緊張して、次の言葉を待った。
「日本を出る前は、父は正常だった。だけど、先生と話した時はたまたま正常だっただけかもしれない」
 俺の期待とは裏腹に、なんの感情もなく雨宮は言った。
 先生の話を聞いても、雨宮の中には何の揺らぎも起きなかったようだ。
「でも、僕の知らない話が聞けてよかった。君が僕に話すようにと言ったと聞いてる。ありがとう」
 礼を言われて、首を横に振る。俺は余計なことをしてしまったのかもしれない。
 酒井先生の言うとおり、あんな事情なんて雨宮が知らなくてもいいことだったのに。それが彼を外へ連れ出すきっかけになるかもしれないなんて、いくらなんでも浅慮すぎた。
 そう思うと気持ちは酷く落ち込んでいった。
「君はここに通っていた?」
 雨宮に尋ねられて俺は頷いた。
「うん。小さいころ、この辺に住んでたんだよ。引っ越して、それから来なくなっちゃって……」
 その時、受付にいるエプロンをした女の人に声をかけられた。
 雨宮が簡潔に事情を説明して、持参した同じ本と交換してもらえないかと話すと、その人は快く承諾してくれた。こんなに簡単に話が済んだのは、やはり町内会運営の気安さゆえだろう。
 礼を言って、本を交換し、俺たちは図書館を後にした。
 
 
 外の自動販売機でホットコーヒーを買って、公園のベンチに並んで腰掛けた。
 もうだいぶ寒さは和らいできているが、それでも外にいるのは寒い。
 寒さにも負けずに遊具で遊ぶ子供たちの姿が見え、在りし日の妹の姿が思い出された。
 雨宮は本を開いた。
 カバーはセロテープでとめてあって、色あせて乾いた古いテープを補強するように新しいテープが幾重にも重なっていた。裏には図書カードを入れる古ぼけた厚紙のポケットと、新しいバーコードのシールが貼り付けてある。
 それらを雨宮は丁寧にゆっくりと剥がし、俺も固唾を呑んで見守る。
 テープが剥がれ、雨宮は折り返しを捲った。
「…どう?」
「あった……」
 そう答えたきり、雨宮は口を閉ざした。
 何度もメッセージをたどるように視線が動く。
 感激しているというより、俺には雨宮がどこか動揺しているように感じられた。
 俺はしばらくその横顔を見ていたが、慌てて彼から視線をはずして顔を背けた。雨宮が泣きだしそうに見えたからだ。
 
 
 
 しばらくして、肩にコツンと硬いものが当たった。
 振り返ると雨宮が俺に本を差し出している。雨宮の目も鼻も赤くなってはなかったから、泣きそうだと思ったのは俺の早合点だったようだ。
 見ていいのかと目で問うと、頷かれたので、受け取って裏表紙を開く。
 予想に反して、彼の母親のものとは明らかに違う、見たことのない筆跡の文字が目に飛び込んできた。
 
 『 昴へ
 ひとつの場所に捕らわれず、いろいろなところへ行って、いろいろなものを見て、たくさんの人と出会ってください。
 それが君の時間を豊かなものにしてくれると信じています。 雨宮 浩 』

 
 それが、いつ、どういう思いで書かれたものなのかなんてわからない。たぶん、ずっと昔に書かれたものだろう。
 姿を消す前に言い残した言葉とまったく逆の言葉。
 だけど、これは、あの本の登場人物ではなく、紛れもなく雨宮浩が彼の息子へ向けた言葉だ。
 ぽつりと雨宮が口を開いた。
「もっと父さんと話せばよかった。また余計なことを言って傷つけてしまうんじゃないかと、父さんと話すときはいつも緊張した。嫌われたくなくて、僕はただ言うとおりにするしかなくて。……もっといろいろ話していれば何かが変わっていたかもしれない」
「うん」
「……ほんとうは、僕は上の高校に行きたかった」
「うん」
 ずっと秘めていた願いを雨宮は口にしていった。
 高校へ行ってサッカーを続けたかったこと、彼の両親の出た大学へ自分も行きたいと思っていたこと、将来は教職か国文学者になりたいと思っていたこと。
 そして最後に雨宮は微かに笑って言った。
 
「それから、君のように僕もどこかに行きたいと思っていた。ずっと」


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