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19
 件の虫干しの日は、それから翌々週の週末の良く晴れた寒い日に行われた。
 アルバイトは、大学生の人たちと俺と雨宮で10人ほどで結構な大人数だ。だけど本棚の数からすればそれでも足りないくらいかもしれない。
 はじめに酒井先生はアルバイトを集め、手順のほかに、本は丁寧に扱うこと、本を扱う前には手を洗うこと、火気厳禁であること、怪我に気をつけることを言い、最後に、あの本を見つけたら雨宮に言うようにと付け加えた。
 いよいよ作業に取り掛かる段になり、割り当てられた本棚に向かう。
 作業は基本的に二人一組で、俺はもちろん雨宮と組むことになった。
 本棚の本を台車に載せて、それを窓際と廊下に搬入されたオープンラックに順序よく並べていく。単純だが結構な重労働だ。
 ただ、幸いにも上の階とは違って、たいていの本はカバーがかかっていなかったので、あの本を探すのには表紙をチェックするだけで済んだ。
 何回目かに廊下のオープンラックのところまで本を運んだ時、追加のオープンラックの搬入の件で呼ばれて雨宮はどこかに行ってしまった。
 仕方なくしばらく一人で台車の本をラックに移す作業をしていると、酒井先生がやってきた。
「よお、久しぶりだね」
「あ、どうも…」
 先生に頼まれたこと結局していなかったことを思い出す。
 だけど雨宮の事情を聞いたからには、外に出ろとはどうしても言えそうにない。
 先生には、やっぱりできないと謝るべきだろうか。それとも、まだこれからだとごまかしてしまおうか。
 あれこれと思案する俺に、そんなことは忘れたかのように先生は言った。
「いや、人手集まってよかったよ。今回逃したら出来なくなるところだったからさ。俺しか音頭とるのいないんだよな。偉い先生って、基本的に預けっぱなしでさ」
 切り出された世間話に安心した。自分から言うは止めておこう。
「できなくなるって、本の虫干しって、なんか条件でもあるんですか?」
「いや。単に、俺来月からずーっと海外だから」
 そういえばコーヒーショップで話したときに、大きな仕事がどうとか言っていたような気がする。それだろうか。
「仕事ですか?海外ってどこに?」
 興味がわいて尋ねると先生は人好きのする笑顔を浮かべた。その表情に台詞をつけるなら、よくぞ聞いてくれましたという感じだ。
「どこかはまだ決めてない。とれた航空券しだいかなあ」
「えっと、仕事なんですよね?」
「そう。終の棲家を求めて世界の街を気の向くままに巡るんだ。少なくともスポンサー向けの企画書にはそう書いてある」
「少なくともって…」
 外国へいくのは仕事のはずなのに、どこか他人事のように内容を語るのが不思議だ。
「本当は俺自身が適当にどこかに行きたいから行くだけなんだよね。コンセプトとかは後付」
 そう言って先生は笑った。
 そんな先生が少し、あの本にでてくる父親と重なる。
 今は、雨宮に関しては案外気配りのできる、理にかなった大人だと思っているけど、やはり先生のイメージはあの父親だ。おおらかで、明るくて、自由な感じ。
 なんとなく先生に尋ねてみた。
「先生はどうして、どこかに行きたいんですか?」
 酒井先生は眉を変な風にゆがめて、信じられないものをみるような視線で俺を見た。
「変なこときくなあ。桃太郎やらマルコじゃあるまいし、気ままな旅に理由なんてないだろ。…いや俺の場合はあるか、飯の種だ」
 はじめは心底不思議そうに言ったのに、最後には難しそうに眉根を寄せてつぶやく。
 なんだかあの本の主人公から答えをもらえたような気がして、俺は少し笑ってしまった。
 旅に理由なんてない。行きたいから行くだけなんだ。あれこれ理由を探してた自分が馬鹿らしくなるほどの簡潔な答えだ。
 先生は笑われていることが腑に落ちないのか怪訝そうに俺を見て、突っ込まれる前にと慌てて俺は話題を変えた。
「そういえば、あの、雨宮のお父さんと先生って喧嘩したんですか?」
 それは以前、先生がうちの店に来た時に他の人と話していたことだ。ずっと気になっていた。
 しかし、自分に話されたわけでもない偶然耳にしただけのことを尋ねるのは、かなり失礼なことだと言った瞬間に気づく。
 案の定、先生は少し驚いたようだった。
「え?なんで知ってるの?ジュニアから聞いた?」
「…すみません。あの、前にうちの店に来たときそんなようなことを…」
「ああ、喧嘩なんて言ったっけかな。よく覚えてるね。喧嘩っていうより、無視っていうか構ってもらえなかった時期があってさ。…俺がいけなかったんだけどね。誤解されるようなことしてたから」
「誤解?」
 聞き返すと先生は少し黙り込んだ後、周りに人がいないことを確かめるように視線をめぐらせた。
 廊下には俺たちしかいなかったが、先生はそれでも声を潜めて言った。
「昴にはぜったい言うなよ。雨宮先生はさ、俺と奥さんのこと勘繰ってたんだよ」
 その独特の言い回しのせいか内容を理解するのに少し時間がかかった。
 勘繰っていたというのは、雨宮のお母さんと先生が…ということでいいのだろうか。
「もちろん、そんな事実はまったくなかったよ?むしろ、そんなことありえないって思ってたから、無視されるようになるまで先生が悩んでいたことに気づけなくてさ。今思えば、先生の留守中に奥さんに飯食わせてもらったり昴の授業参観に行ったり、間男と思われてもしかたないことしてたよ。俺は」
 そう言って先生は後悔するように、視線を下に向けた。
 父親が姿を消す前、先生を無視するようになっていたと雨宮は言っていた。
 それは先生が本にでてくる父親のモデルだからかと漠然と思っていたけど、もしかしたら違うのかもしれない。
「でも誤解は解けてるんだけどね。先生がいなくなる時、空港で先生のこと捕まえてさ、搭乗時間ぎりぎりまで話して。……その時に、自分が帰るまで昴を頼むって言われたから、昴に関しては、本当になんとかしてやりたいんだよ。このままじゃ先輩にあわせる顔がない」
 先生の言葉にひっかかりを覚え、尋ねた。
「……それって雨宮のお父さんがいなくなる時のことですか?」
「え?うん。そう」
 雨宮浩が遭難する前、最後に会ったのは酒井先生だ。しかも雨宮浩は、雨宮のことも酒井先生のことも認識している状態だったようだ。
 もし、雨宮が自分を責めているのが、判断力がおかしくなった父親を最後に送り出したからだとすれば――。
「雨宮は、そのこと知ってるんですか?」
「知らないよ。言えるわけねえだろ。親の色恋沙汰なんて、君だって聞きたくないでしょ?」
「言ってください。それ、雨宮に教えてあげてください」
「ええ?」
「お願いします」
 俺の言っていることを飲み込めていないような先生に思わず詰め寄った時、冷たい声が後ろから響いた。
「吉野」
 どうしてその声を冷たいと感じたのかはわからない。いつもの雨宮の抑揚のない声だ。
 だけどその声にも、振り返ってみた彼の表情にも、俺には彼が怒っている、と感じられた。
「何怒ってんの、お前」
 酒井先生も何かを感じたのか、少したじろいだように言った。
「別に。怒っていません」
 いつかも聞いたようなやりとりを交わすと、酒井先生はあきれたようなため息をついて逃げるようにどこかへ言ってしまった。
 どこか不機嫌そうな雨宮と取り残されてしまって、とたんに居心地の悪さを感じる。
 それをごまかすために俺は作業に戻った。雨宮も台車に載った本に手を伸ばす。しばらく何も言えず、雨宮も何も言わず、ただ作業に没頭した。
 それにしても、先生と話していただけなのに、こんなに不機嫌になられるなんて落ち込んでしまう。
 俺がため息をつくと、雨宮がぽつりと言った。
「先生には一応、恋人がいる。別れたりよりを戻したり、忙しい付き合い方だけど」
 その言葉に俺は手を止めた。
 雨宮を見ると本を手にしたまま、どこかきまずそうに視線を逸らす。その伏せた視線に彼が隠している想いが見えた気がして、俺は思わず尋ねてしまった。
「…雨宮は、それ辛くないの?」
 すると、雨宮がこちらを向いた。
「僕?どうして。先生の恋愛なんて僕には関係ない」
 どうしてかというと雨宮が先生を好きだと思っているからだなどと言えそうもないほど、意外そうに雨宮は言った。
 唐突に、雨宮が酒井先生のことを好きだというのは、ひどい思い違いだったと気づいた。
 良く考えれば俺の考えは普通じゃない。男が男をなんて、そう考え付く発想じゃない。
 そう思うととたんに羞恥で顔が熱くなった。
 すごく穿った見方をしていた自分が恥ずかしくて、だけどなぜか違ったのが嬉しい気もして、それが不思議だった。
 
 
 しばらくして、大学生のバイトの人が雨宮に声を掛けてきた。
 君が探しているのはこれかといわれて差し出されたのは、まさしくあの本で、その懐かしい表紙に小学生のころを思い出す。
 雨宮は受け取り、大学生の人に礼を言ってから、ゆっくりと裏のカバーを取った。
 横から覗くのも無粋な気がして、俺は作業を続けながらその様子を見守る。
 雨宮はほんのわずかに眉根を寄せ、カバーを全部はずして、ぐるりと本をみた。
「どうしたの?」
「メッセージが無い」
 本を差し出され受け取って確認してみたが、手書きのメッセージはどこにもなかった。
「これには書かなかったのか…」
 ぽつりという雨宮の声からは沈んだ気持ちがにじみでていた。
 かける言葉が見つからず、カバーを受け取って本につけようとしたとき、そのカバーの表紙の方の折り返しに何か書いてあるのに気づいた。
 「寄贈 雨宮 浩」と書いてある。
「雨宮、これ……」
 雨宮を呼んでそれを見せると雨宮は顎に手を当てて何かを思い出すかのように目を閉じた。
「そういえば、一冊、どこかの図書館に寄付したと言っていたような気がする」
 図書館。
 息が止まりそうになった。
 俺があの本と出会ったのは――。
「そこ知ってる、かもしれない…」
 雨宮に告げるのは確かめてからのほうがいいとわかっていたのに、止まらなかった。鼓動は早鐘をうち、信じられない偶然に声が震える。
 雨宮が怪訝そうに俺をみたが、俺には不思議と確信があった。
「きっと、メッセージを書いてある本は図書館にあるんだ。たぶん雨宮のお母さんは手元に残す本を間違えたんだよ」
 俺が言うと雨宮はやはりしばらく怪訝そうにしていたが、やがて、そそっかしい人だったからありえるかもしれない、とつぶやいた。

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