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11
 雨宮の手はエレベーターに乗った時に放された。
 おかしなことに俺の体温はすっかり上がりきってしまい、鼓動も少し早くなっている気がした。
 男同士なのに何で自分がこんな風に動揺しているのかわからない。
 女の子とも手なんか繋いだことがないからかもしれない。きっと他人の体温なんかそう感じることがないせいだろうと自分に言い聞かせる。
 最上階について階段を登り、久しぶりの雨宮の部屋に入って驚いた。
「片付いてる……」
 やはり盛大に散らかってはいるが、俺が来ていたころよりはるかに部屋は片付いていた。もしかして、本に書かれた母親の教えを守ったのだろうか。
 革張りのソファや窓際の望遠鏡、ぎっしりと詰まった本棚、それらは変わらない。
 雨宮は俺に向き直ると、いつもより一層固い声で言った。
「悪かった。君に、申し訳ないことをしたと思っている。反省した。いや、今もしている」
 立て続けに言われたことに、言葉もでなかった。しかし俺が惨めになる余地もないほどの真摯な謝罪の言葉は、俺を少し落ち着かせた。
 俺が勝手に雨宮と友達だと思っていて、雨宮の方はそうではなかったというだけなのに、ここまで謝られることもない。
 俺だって今までの非礼を彼に謝らなければいけない。
「そんな、いいよ…。俺だって」
「僕は貴重な君の時間を無駄にしてしまった。許されることじゃない。だけど許してほしい」
 時間?
 微妙に雨宮の言葉に掛け違いのようなものを感じる。
「本を隠すなんてどうかしていた。だけどどうしようもなかった。自分でも」
 その言葉に俺は思わず言った。
「…それじゃないよ」
 探していた本を隠されていたことなんて今まで忘れていた。雨宮はぴたりと口を止め、そしてじっと俺を見つめる。
 俺はすぐに自分が失敗したことを悟った。じゃあなんだと聞き返されるに決まっている。そしたら俺は口にするのも恥ずかしい理由を言わなければならなくなる。
 案の定、雨宮は聞き返してきた。
「なら、僕を避けていたのはなぜ?まだ三巻が残っている。なのに君はずっとここに来なかった。下の事務所で会った時も慌てて帰った。あの本に君はもう興味がなくなった?」
「え…いや、そういうわけじゃ…」
「僕はずっと君に会えなくて寂しかった」
 息が止まりそうになった。相変わらず独特の言い回しをする奴だ。
 そういうことを言うから俺がつい勘違いするんじゃないかとつい責任転嫁しそうになる。
「あ、雨宮ってストレートだよね。言うこととか」
 俺は話題を変えようと、常々思っていたことを言った。雨宮はしばらく口を閉ざしてから言った。
「母に、思ったことと感じたことははっきりと言葉にするようにと言われて育ったせいかもしれない」
「へえ」
「僕は感情が表に出にくいようだからと。――君は僕のそういうところが嫌になった?」
 話がまた戻されて、俺は観念した。
「雨宮さ、酒井先生に俺のこと友達じゃないって言っただろ?あのさ、俺は雨宮のこと、友達だと思ってたんだ。だから、なんていうか…勝手に悲しいっていうかやるせないっていうのかな、なんかそういう気持ちになっちゃって…」
 雨宮の癖が移ったのか、いらないことまで言ってしまう。何がやるせない、だ。それに言葉にしてわかった。要するに俺は拗ねてただけじゃないか。
 そう思うと恥ずかしさに雨宮をまともに見られなくなる。
「…僕が親しくなりたいと言っても君は何も言わなかったから、君が僕を友達だと思ってくれてたなんてわからなかった。だから友達だと言ったら君に悪いと思った」
 雨宮はそういうと、言葉を切ってから俺をみた。
「すごく嬉しい。ありがとう」
 はっきりとそう言った雨宮は、今まで見たことがないほど優しい顔をしていた。思わず見蕩れてしまう。
 ―― これは、もしかして、雨宮は笑っているのだろうか。
 しばらくの放心の後に、そう気づいた途端、急に焦りに似たようなものが湧き上がってきて、俺はそれに押されるかのように口を開いた。
「あ、あ、あのさ、本の裏のメッセージ気づいてた?」
「いや。知らなかった。君のおかげだ。ありがとう」
 そう言って雨宮はまた礼を言い、俺の顔は一気に熱くなった。
「…部屋が結構片付いているのって、お母さんのメッセージ読んだから?」
「そう。それと君の真似をして三巻を探しながら片付けてみた」
 見つかったのかと訊くと、雨宮は首を横に振った。
 雨宮に促されて、並んでソファに腰をおろした。
 会話は途切れてしまい、妙な気恥ずかしさが残るまま、俺はなぜか沈黙が怖くて慌てて話し始めた。
「雨宮、アフリカ行ったことあるの?」
「無い。なぜ?」
「なんかお母さんのメッセージにブルーマウンテンがどうとか書いてあったからさ」
 俺の言葉に雨宮はようやく思い当たったのか軽くうなずいた。
「あれはオーストラリア。それに、コーヒーの産地のブルーマウンテンはアフリカではなかったはず」
 間違った知識で物を言ってしまった。照れ笑いをする俺に、雨宮は淡々と続けた。
「オーストラリアのブルーマウンテンズはユーカリの森が大気中にだすオイルで景色が青みがかってみえるところ」
「あ、そうなんだ」
「小さい頃、父が一度だけ僕と母を取材先に呼んでくれた。どうしても見せたい景色があると言って。現地で日が昇る前に出発して行ったけど、僕には景色が特別青く見えなかった。普通の明け方の色に見えて、僕はとても眠くて、これなら宿で寝ていたほうがよかったと、それをそのまま父に伝えた」
 小さい頃の話とはいえ、なんて奴だ。はっきり思ったことをいうのにもほどがある。
「父は何も言わなかった。だけど、その後、僕は母に『思っていても言っていいことと悪いことがある』と叱られた。今でもあの時のことは後悔している。僕は父の気持ちを考えていなかった」
「お母さん、あまり雨宮に似てないみたいだね」
「そう。明るくて気の強い人だった。それと少しだけ執念深いみたいだ」
 昴に青いと言わせたいとメッセージに書いてあったことを思い出した。
 
 
 
 それからまた俺は雨宮の部屋に時々いくようになった。
 二巻のメッセージには三巻にもメッセージを残すとあったらしく、雨宮も一緒に本棚を探すようになった。
 もう部屋に探してない本棚は残りわずかになっていた。それでも本は見つからなかった。

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