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遙か
9
 金曜日、待ち合わせ場所に現れた篠井をみて驚いた。篠井の耳にピアスはひとつもなく、彼のトレードマークのように思えた金髪は落ち着いた茶色に染められていた。
「どうしたの、その頭」
 すっかり別人のような篠井に思わず尋ねた後、髪を染めたとしか答えようがないことに気づいてすぐに付け加える。
「もしかして、彼女の趣味?」
 案の定というか、篠井ははにかんだように笑って頷く。
 なんというか、とことん一途な奴だと思う。ここまでくると、もうため息しかでない。
「変?」
「いや、似合うけど…」
 その髪の色は篠井から軽薄な印象を消し去り端正な顔を際立たせていたが、俺は内心落胆を覚えていた。陽に溶けるような彼の髪の色を密かに気に入っていたのに、もったいないと思う。
「行こうぜ」
 そんな俺の心を知るはずもなく、篠井は上機嫌にそう言って先にたって歩き、俺は見慣れない後姿を追った。
 篠井の濃い色の髪は真夏の強い陽射しにも負けずに色を残し、俺はそれを見上げてながら篠井の彼女のことを少しだけ恨めしく思った。
 
 
 ブランドの店は、どうして入り難い作りになっているんだろう。
 デパートのリノリウムの床はそこからは毛足の長い絨毯になっており、聳え立つショーウィンドウによって隔離されているかのようなその一角は、実に近寄りがたい雰囲気を醸し出している。遠くから中を覗けば、客の数よりも店員の方が多くて、まるで店全体で入ってくるなと言っているようだ。
 気後れする俺とは逆に、篠井は迷うそぶりも見せずにさっさと店の中に入って行った。慌てて俺もその後に続く。
 篠井は臆することなく店員を呼び、俺が申し訳なく思ってしまうほどあれこれと指輪をショーケースから出してみせてもらった。
 どうやら俺が言ったことに従ってシンプルなデザインものに的は絞っているようだったが、案外優柔不断なのか、同じ価格帯のいくつかの指輪を前にすると途方にくれたように俺をみた。
「どれがいいのかわかんない。斉藤、決めて」
 いったい何を言い出すのかとびっくりして断ったが、篠井のあまりに困りように俺はしかたなしに並べられた指輪を見比べた。
 しかし、俺にこんな大事な役目を任せていいのだろうか。篠井自身が決めたほうが彼女も喜ぶだろうに。
 結局、俺にも決められず、店の人に25歳くらいの女の人に一番人気のあるものを尋ねた。すると、この中では小さな石が嵌め込まれたプラチナのものが一番出ていると教えてくれて、それを聞くなり篠井はあっさりとそれに決めてしまった。
「このタイプでしたら、裏に14文字まで文字をお入れすることもできますよ。お二人のイニシャルですとか、記念日の日付ですとか…メッセージを入れるかたもいらっしゃいますけど。どうなさいますか」
「あ、じゃあ、えーと、彼女の名前で。遥って入れてください」
 勢いよく言う篠井に、店員はにっこりと笑って、念のためにこちらにもお願いしますと記入用紙とボールペンを差し出した。
 ばつの悪い顔をして篠井はそれを受け取り、書き方の説明を一通り受けてからペンを手に取る。
 店員は工房の予定を確認してくると言い残してどこかに行ってしまい、俺はすることもなくなったので篠井が記入しているのを眺めつつ言った。
「彼女、はるかって言うんだ」
 篠井はぴたりと手を止めて口を尖らせると、気まずそうに俺から紙を隠した。
「…見るなよ」
「見てないよ。さっき篠井が言ったんじゃん。…あのさ、自分の名前もいれるんなら、下の名前の方がいいんじゃない?名字じゃなくってさ」
「やっぱ見てるじゃん!見るなってば」
 からかうと素直に反応するので、ちょっと面白い。
 それから店員さんが戻ってくるまで、彼女のことをいつもどう呼んでいるのか、彼女にはどう呼ばれているのかからかいながら尋ねてみた。
 篠井から答えは得られなかったが、照れているのかわざとしらんぷりして俺から目を逸らす篠井はちょっと可愛かった。
 
 
 
 指輪は加工してしまうので返品や交換はできないこと、それと文字を入れるのに1週間かかることを説明されてから俺たちは店を後にした。
 その後ファーストフード店で遅い昼食をとってからデパートと街をあてもなくぶらつき、俺の家についた頃にはもう陽はすっかり暮れていた。
 父は出張中でおらず、篠井と俺と母で食べる夕食は意外にも楽しかった。篠井は母に愛想良く接し、母もそんな篠井のことが気に入ったようだった。
 夕食を食べ終わって交代で入浴を済ませてから、篠井と居間でテレビを見ていると母が俺を呼んだ。
「亮くん、お客様用のお布団運んでくれる?こっちに用意してあるから」
「あ、うん」
 腰を上げかけると、ちょうど電話がかかって来て母がそれに出てしまったので、俺は再び腰を下ろした。すると篠井が何か言いたげな顔でにやにやして俺をみていた。
「…なんだよ」
「『亮くん』、だって。亮くーん」
 母は頼みごとをするときだけ俺を君付けで呼ぶ癖がある。別におかしな呼び方だとも思えないが、篠井はからかうように何度も亮くんと連呼した。もしかしてデパートで俺がからかった仕返しのつもりなのだろうか。
 だけど、そんな調子で呼ばれているうちに、言われてみれば確かにちょっと子供っぽい呼び方のような気がしてきて、なんだか、だんだん恥ずかしくなってきてしまった。
「もう、やめろよ」
「嫌ですー。そうだ、俺もこれから亮くんって呼ぼうっと」
 そういって篠井は愉快そうに笑った。
「亮くーん」
「……」
 あまりにしつこいので無視してテレビを見てると、篠井はまたいかにも楽しそうに俺の名前を連呼した。
「亮くん、亮くん亮くん亮くん、亮くんってばー」
 ちょっとうるさく思いつつ目を向けると、篠井は途端に口を噤み俺をみて笑った。
 いつもとはちょっと違うように感じる笑顔に思わず戸惑うと、篠井はぽつりと言った。
「今日は、ありがとな。いろいろ」
「え……いや…」
 そんな風に改めて礼を言われると途端に照れくさくなって何を言ったらいいのかわからない。すると話を終えたらしい母が戻ってきて、いったい誰と何を話してきたのか、突然篠井に言った。
「ねえ、篠井君ちってもしかして商店街にある美容院?」
「あ、そうっす」
 初耳だ。そういえば商店街の中に家があると言ってたっけ。
「篠井の家って美容室なんだ」
「うん。お袋と姉ちゃんと二人でやってんの」
「今度髪切りに行くわね。隣の奥さんが薦めてくださって」
 それを聞いて母の電話の相手は隣のおばさんだったと見当がついた。隣のおばさん相手だと母はいつも30分は話しているのに、今日は5分で済んだのはやはり篠井がいるからなんだろうか。
「サービスするようにいっときます。あ、姉ちゃんじゃなくて母ちゃん指名した方がいいっすよ」
 そう言う篠井に、母は笑って台所へとむかいながら言った。
「それ、お隣の奥さんも言ってたわ。遥ちゃんに頼むと若い子と同じ調子で梳かれちゃうからねって。…亮一、お部屋戻るとき麦茶持って行きなさいね」

 母の背中に返事をしながら、篠井のお姉さんと篠井の彼女は同じ名前なんだ、と思った。それしか思わなかった。
 だからそう言おうと思って篠井を見て、俺は言葉を失った。
 篠井の顔からは血の気が引いていた。そして俺と目が合うとぎこちなく逸らし、泣きそうな顔で唇を噛んで俯く。
 
 篠井は素直な奴だ。素直すぎてきっと隠し事なんてできないに違いない。
 今の篠井はまるで嘘がばれた子供のようだ、と思った。

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あきゅろす。
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