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遙か
3
「…何?」
 平穏な生活もこれまでか。この静寂は間違いなくボスの出方を手下たちが伺っているからだろう。方々から強い視線を感じる…ような気もする。漫画でよくあるシチュエーションだ。俄かに緊張する俺に、篠井は人懐こい笑顔を端麗な顔に浮かべた。
「それさ、次読まして」
 それ、というのは俺の読んでいる雑誌のことらしかった。
「あ、ああ。いいよ。あげるよ」
 ほとんど目を通したし、どのみちいつも読み終わった後は捨てている。だからそれは本心からのことなのに、言葉が詰まったせいか、なんだか脅しに屈して無理やり言わされてるみたいになってしまった。なんとなく悔しい。しかし、ろくに口を利いたこともないのに、突然のなれなれしい態度にはびっくりだ。いや、俺を認識していたことにまず驚くべきかもしれない。
 そんな俺に篠井は小さく笑った。
「読み終わってからでいいよ」
「…もう読んじゃったから」
 言ってしまったからには後にはひけないと、雑誌を差し出す。
 すると篠井は素直に受け取り雑誌を開いた。それが合図かのように教室は音をとりもどし、俺はとりあえずほっとして、やることもなくなったので教科書を取り出してページを捲りはじめる。
 もうすぐ中間テストで、この学校なら自分でも一桁の順位をとれたりするかもという色気が、俺にささやかなやる気を与えていた。
 すると吹き出すような笑い声がして、そんなに笑える漫画があっただろうかと再び顔をあげると、篠井は漫画を読んではおらず俺をみていた。薄い唇ににやにやと笑いを浮かべている。
「何?」
「いやあ、こんな環境でも勉強なんかできる奴っているんだなーって思ってさー」
 こんな環境。大半の生徒が授業を真面目に聞いていないどころか馬鹿騒ぎするような学校でと言うことだろうか。
「環境は別に関係ないだろ」
 言うと篠井は笑いをこらえるように口をゆがめただけで、それ以上何も言わず再び漫画を読みだした。
 教科書に目を戻してから、自分が誰かと教室でしゃべったのが初めてだということに気づく。
 突然声をかけられて驚きはしたが、それほど悪くない気分だった。
 
 
 その日の放課後、転入の手続きのことで事務室に呼ばれた。
 言われるままに手続きを終え、事務室を後にした頃には日がもう傾きかけていた。
 当然もう誰も残っていないだろうと思いながら教室の戸を開けると、突然ぬっと現れた人影にびっくりして息をのむ。
 そんな俺を気にするでもなく、そいつは勢いよく言った。
「あ。あのさ。篠井って親しげに話しかけてくるけどさ、何もしてくれない奴だから変に期待しない方がいいよ」
 それは初日に俺が話しかけても返事をしてくれなかった、漫画を読んでいた奴だった。俺はいまだに彼の名前を知らない。
 そいつは俺と絶対に目をあわせまいとするように俯き加減で、頑なに斜め下に視線を向けたままさらに言った。
「あいつ冷たいから。だから調子に乗るとぜったいに痛い目みる」
 意味がわからない。
 誰が誰に何を期待して、誰が調子に乗るって?いったい、彼は何を言ってるんだろう。
「意味がよく」
 わからないんだけど、と俺が言いかけると、彼は突然ばっと顔を上げた。
 その顔には焦りが滲んでいて、俺はその勢いと表情に押されて二の句が次げなかった。
「口きいたこと誰にも言うなよ、ぜったい誰にも言うなよ。それから、今日俺が話したからって、俺に話しかけてくるなよ」
 そして早口にそう言い放つと彼は俺にぶつかるようにして足早に教室を出て行った。
 後に残された俺は本当にわけがわからず、ぽかんとしばらく突っ立ったままだった。
 
 
 帰り道に、教室で言われたことを反芻していてはっと気づいた。
 もしかして俺は空気になっていたわけではなく、クラス全員からシカトされていただけなのではないだろうか。
 会話を交わしたことを口止めされたことと、話しかけるなと強調していたことを考えるに、たぶん間違いない。
 シカトなんてずいぶん子供っぽい嫌がらせだと思う。しかし、そんな状況の中、篠井は俺に話しかけてくれたわけだ。
 なんだ、案外いい奴じゃないか。
 あの何やら言ってきたやつも、なんとなく俺に忠告してくれてたっぽいし、悪い奴ではなさそうだ。
 さすがにクラス中からシカトされているのかもしれないという可能性は俺を多少へこませた。しかし、絡まれたりするよりもシカトの方がずっとましだとなんとか気を取り直す。
 なによりも、悪い奴ばかりでもないという事実は俺の心を明るくした。
 
 しかし翌日、忠告してくれた奴は学校に来なかった。俺の心の灯りはあっという間に半分になった。

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