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遙か
最終話
 篠井は俺の手を離すと、黙って指輪を拾い上げた。
 そして指輪を確かめるように見て、驚いたように目を見開く。俺は必死で思いつく限りの言い訳を考えながら、篠井を泣きたい思いで見つめた。 
 篠井はしばらく指輪を見つめていたが、やがて自分のジャケットのポケットにしまった。
「ご、ごめん…あの…」
「時間だいじょぶ?」
 俺の謝罪の言葉がまるで聞こえないかのように篠井は言い、俺は慌てて携帯の時計をみた。
「え、あ、そろそろ駅に向わないと」
「じゃ、いこっか」
 そう言って篠井は俺の鞄を肩に掛けなおすと駅の方へ歩き出す。
 その後を追いながら、篠井が指輪のことに触れようとしないのが不思議だった。捨てろと言った指輪を持ち続けていたことに怒っているのかと思ったが、横に並んだ篠井の表情からはなんの感情も読み取れず、いったい何を思っているのかわからなくて不安な気持ちにさらに拍車がかかる。

 駅につくまで篠井との間に会話はなかった。
 こんな間際で気まずい思いをして別れを迎えてしまうことに気分は落ち込んだが、もう俺にはなす術もない。もう一度改めて謝った方がいいだろうか。
 無人駅なので篠井もホームまで来てくれて、並んでふきっさらしの古ぼけたベンチに腰をおろす。
 座るとそれはひんやりとしていたが、俺の心もそれに負けないほど冷たい風が吹き荒れているようだった。
「…亮くん」
 突然呼ばれて俺は弾かれたように篠井をみた。しかし篠井は俺には顔を向けずに俯いていて、俺は決まり悪くなって視線を前に戻す。
「…何?」
「髪、染めたんだけど、どう?」
「…え、似合うよ」
 突然明後日の方向のことを聞かれて、俺は戸惑いながら答えた。とにかく篠井から話しかけてきてくれたことと静かな口調に安堵する。
「前の方が良かった?」
「あれも似合ってたよね」
「もっと明るくしようかなとも思ったんだけど。春にしてたくらいにさ」
「…篠井だったらなんでも似合うよ」
 以前は篠井の金髪が気に入っていたことを思い出した。夏に篠井が遥の好みに合わせて暗い色にしたときは残念に思ったが、次第にその色も彼に馴染んでいって、今の色も彼の明るいイメージにあっているように思える。つまりは俺は篠井ならどうしていたっていいんだろう。
 篠井は小さく息をついた。
 それが呆れたため息に聞こえて、思わず顔がこわばった。
「亮くんてさ、俺が何聞いてもそんな感じの返事するから、俺にあまり関心がないのかと思ってたんだけど…」 
 その言葉に篠井を見ると篠井はいつのまに取り出したのかまた指輪を眺めていて、俺は思わず息をのむ。
 篠井がゆっくりと俺をみた。
 そして俺の手首をとり、手の平に指輪を乗せる。篠井の冷たい長い指が俺の手を包み込むようにして指輪を握らせるのを俺は呆然と見つめた。
「亮くん、これもってて。亮くんは告白してくれた女の子の名前もなかなか思い出せないような奴だからさ。俺のことをずっと忘れないように。…やっぱ亮くんの言うとおり俺の名前も彫っておけばよかったかな」
 俺が篠井を忘れるわけないのに馬鹿なことをいう。だけど篠井が俺に自分のことを忘れてほしくないのだと思われていることが嬉しくて心が震える。

 その時、電車の来るアナウンスが響いた。
 もう想いが叶わなくてもいい。この想いを告げさえしなければきっと篠井はずっと俺の友達でいてくれるんだから、いつか大人になった時に、過去のものとして告白するのも悪くないかもしれない。
 篠井に促されてベンチから立ちあがりホームの端に立つと、遠くで警笛が響いた。篠井はまだ小さくみえる電車を一度振り返ってから、俺に向き直り首を傾げた。
「んー、やっぱりはっきり言っておこ。亮くん天然だし、遥に指輪渡せなかった時みたいに後悔したくないし」
 その言葉に顔をあげると、篠井は笑顔を浮かべて俺をみていた。
「俺、亮くんが好き」
「……」
 あまりに突然のことで何も言えず俺はただ篠井を見つめた。
 しばらく見詰めあった後、篠井は再び口を開いた。
「亮くんに彼女ができたら嫌だって思う意味で好き。この先、亮くんに俺と同じ気持ちになる奴が出てきたらって思うだけでどうにかなりそうになるし、亮くん見てるとすげえ触りたいと思うし、亮くんの側にいたいし、亮くんにも俺の傍にいてもらいたい。遥がさ、旦那連れてきた時、遥にむかついたけど、旦那にはなんとも思わなくてむしろ遥の良さがわかる奴なんだって思っただけだけど、亮くんに彼女がいるかもって思った時、俺すげえ嫌だった。亮くんには俺しかいないって思ってたのに、亮くんに友達がいるのが嫌で、彼女がいるのがもっと嫌で、そいつらのこと羨ましかった」
 後から後からあふれ出る言葉に、返す言葉が出てこなかった。でも、もしも何か言えたとしてもホームに入る電車の音で彼には届かないかもしれない。
 電車が速度を落として消えていく音の中、篠井の真摯な声が響く。
「できればいつか亮くんにも俺と同じ気持ちになってもらいたい。そういう意味で好き。…わかる?」
 ドアが開き、篠井は問いかけた癖に俺の返事を待たずに、誰も乗っていない車両に肩を押すようにして俺を乗せた。
 鞄を渡されて受け取ると篠井は早口で、だけどはっきりと言った。
「俺さ、亮くんに会いに行くから。それで、その時に亮くんに指輪あげる。亮くんがいらなくても、俺が亮くんに似合うと思うやつを俺が選んで亮くんにあげる。返事はさ、それからでいいから」
「篠井、俺…」
 やっと声が出たとき、ドアが閉まった。
 そして電車は走りだし、照れたように笑って手を振る篠井から遠ざかっていく。ドアのガラスに顔を寄せてぎりぎりまで彼の姿を追っていたが、やがて彼の姿は見えなくなり、俺はドアに背を向けて寄りかかった。
 足から力が抜けて、そのまましゃがみこむ。膝を抱えると、自分の鼓動が速い速度で鳴っているのが聞こえた。
 夢なのかと思うほどあっという間の出来事だった。だけど俺の手には遥の指輪があって、紛れもなく現実だということを教えてくれる。
 電車の振動に揺られたまましばらくそうしていると、ジーンズのポケットに入れた携帯が短く震えた。
 みると篠井からメールが来ている。
 『亮くんの指輪のサイズがわからない』
 その短くてそっけない文面に俺は少しだけ笑ってしまった。
 俺だって自分のサイズなんて知らない。遥の指輪を自分の指に嵌めてみたが、やはり俺の指では入らず、これではなんの目安にもならないだろう。

 次に会った時に一緒に買いに行こうと返せば、彼の告白の返事になるだろうか。
 その約束はいつになるかわからないけれど。
 遙か遠い日の約束を守り続けた篠井なら、必ず果たしてくれるような気がした。
 
 
 
 おわり

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あきゅろす。
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