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遙か
18
 月曜日、学校へ行くと篠井は自宅謹慎、他の奴らは無期停学の掲示が出ていた。
 停学になった奴らは頻繁に恐喝を行っていたらしく、いい気味だとはっきりと口にする奴もいた。篠井については、皆、なぜ奴らと名前を連ねているのか首を傾げていたが、彼が何をやらかしたにせよ退学ではないことを喜んだ。聞けば篠井は一度暴力沙汰を起こしているせいで、相当危うい立場だそうだ。
 俺はそれからすぐに事情を説明するために職員室へ足を運んだ。しかし担任に、当事者達から話はもう聞いたし処分も決まったから俺に訊くことはなくなったとすげなく追い返され、被害にあっていた奴も学校に来てはおらず、結局俺がいない間に何があったのかはわからずじまいだった。とりあえず、篠井だけが自宅謹慎で他とは歴然と差がつけられていたわけだから、話は間違っては伝わってはいないようだ。

 篠井の謹慎がはじまって1週間ほどたったころ、みんなで篠井の家に様子を見に行ってみようという話が持ち上がった。俺も誘われたが、あの日以来篠井と連絡は途絶えており、なんとなく行きづらくて断った。
 このままだと篠井と気まずいまま転校することになるかもしれないと思ったが、それでもいいように思えた。下手に仲直りしても、別れが辛くなるだけだ。
 だけど嫌な別れ方ほどずっと記憶に残るということを俺は知っていて、篠井のことを早く忘れるためにはわだかまりは解いておくほうがいいこともわかっていた。結局、どうするかを決めかねているうちに遥の結婚式の日も過ぎ去り、篠井がその日をどういう想いで過ごしたのか俺に知る術はなかった。
 
 
 内示が出て父の転勤が確定したころ、季節は秋というよりほとんど冬になっていた。
 皮膚を刺すように冷えきった自分の部屋で、俺は彼女が出来たばかりの東京の友人に布団の中でメールを打っていた。やはりこのあたりの寒さは格別で、風呂から上がった後はすぐに部屋に戻って布団に入らないと、軟弱な俺はすぐに風邪をひいてしまいそうだ。
 東京に戻るということを伝えた後も、何度か他愛もないやりとりをしているうちに遅い時間になってしまった。友人からの返信を待つのはもう止めて寝ることにして、携帯を枕元に置いた。
 目を瞑ると川の音がよく聞こえてくる。
 夏には涼しげだったこの音も、余計に底冷えを感じさせる寒々しいものに変わってしまった。しかし、もうすぐ耳にすることもなくなるのだと思うと少し寂しい気もした。
 ふと川の音に混じって、コツンと何度も硬い音が聞こえることに俺は気づいた。起き上がって電灯をつけてもその音が止むことはない。
 それは今までこの部屋で聞いたことのない類の音で、もしかして鳥でもいるのかとカーテンを開け、―― 俺は危うく叫びそうになった。
 そこは篠井がいた。窓の向こうは川で、そこに人がいるのはちょっとしたホラーだ。
 篠井は指で窓ガラスを叩き、彼の姿が幻覚でないと認識した俺は窓を開けた。
「どうしたんだよ。こんなとこから」
 見ると、篠井は片手にスニーカーとコンビニの袋を持ち、ジーンズを膝まで捲り上げてそれでも水がその端を濡らしている。
「…門から入ったらおばさんたち起こしちゃうかと思って…。これお土産」
「は、早くはいんなよ。冷たいだろ」
 スニーカーとコンビニの袋を受け取り、篠井を引っ張りあげて窓枠に腰掛させてからタオルを渡す。篠井がタオルで足を拭っている間に俺はストーブを点けた。そのストーブは、ここで冬を越すつもりだった母が俺用にと秋口に買ってくれたもので、エアコンよりも効率よく俺の部屋を暖めてくれる。
 ジーンズが乾くようにと篠井をストーブと向かいあわせに座らせ、俺はその後ろの布団の上に胡坐をかいた。
 篠井がよこしてきたコンビニの袋の中を見ると俺がいつも買っている漫画が入っていた。
「もう出てたの?」
「もう12時まわってるからさ。コンビニ行ったら荷解いてるとこだった」
 それきり、ストーブの上にかけたヤカンが微かな音をたてはじめた頃になっても、俺たちの間に会話はなかった。やはりなんとなく気まずい。
 それにしても、なんで篠井は来たんだろう。まずその理由を聞きたかったが、うまい尋ね方が思いつかない。どういう風に言っても、迷惑がっているかのように受け止められてしまうような気がする。
 困り果ててカーテンを開けたままの窓に目を向けると、窓ガラスに篠井の横顔が映っていた。その長い睫が迷うように何度も上下に揺れているのに、彼も同じく気まずい思いを抱えていることがわかり、仕方なく俺から口火を切った。
「…あのさ、なんであの時、あいつだけ教室にいなかったの?」
 篠井は振り向かずに答えた。
「ああ…あいつ、逃げたから」
 我ながら唐突な質問だったかと思ったが意味は伝わったらしい。
「逃げた?」
「うん。俺が『ここは俺に任せてお前は逃げろ』って言ったらさー…普通、そう言われてもすぐに逃げねえよな?」
 漫画に良く出てくるようなセリフに俺はつい吹き出してしまった。一体なんで篠井はそんなこと言ったんだろう。
「まあな。漫画だったらそうだよな」
 俺が笑いながら答えると、篠井は振り返り安心したように笑った。その顔に、自分が彼を不安にさせていたことに気づいてちょっと胸が痛む。
「良かった。亮くん笑ってくれて。…もう怒ってない?」
「なんで俺が怒るんだよ」
「だってさ、俺卑怯ものだったし、亮くんあの時怖かったし…その後来たメールも怖かった…」
「メール?怖がらせるようなこと書いたっけ」
 最大限、気を遣って書いたはずなのに。むしろ俺の方が篠井のそっけない返事が怖かったくらいだ。
「妙に丁寧でさー。…一応謝っとくけどお前なんてもう知らねえって言われてるみたいで…。なんていうか他人行儀?それにみんなが来てくれた時も亮くん来なかったしさ、だから俺嫌われたのかなとか考えちゃって、とにかく謹慎解けたらすぐ会いに行かなきゃって思って」
「え?謹慎解けたの?」
「…うん。昨日連絡来た」
 良かったなと言うと篠井はまた不安げに俺を見た。それで篠井の期待していた返事ではないことにすぐに気づいて言いなおす。
「…俺が篠井のこと嫌うわけないだろ」
 ちょっとした後ろめたさを感じながらそういうと、篠井は嬉しそうに笑った。


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