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遙か
16
 結局、あの夜、俺は一睡もできなかった。もちろん隣でのんきに眠る篠井のせいだ。
 彼の整った綺麗な寝顔を見ていても、女の子としたいようなことをする気はさっぱり起きず、だからこれは過ぎた友情を取り違えているだけだと混乱する自分に言い聞かせてみたりもした。しかし、そう思う一方で彼が遥の夢を見ているかもしれないと思うと俺の気分は酷く落ち込み、そのたびに何かを思い知らされ、頭を抱えるはめになった。
 篠井は良くわからない奴だし、人を振り回すし、すぐ拗ねるし、なにかっていうとすぐ遥がとか遥にとか言うし、もっと言ってしまえば、悪い人間ではないがいい人間だとはっきりと言い切れない奴だ。
 でも、彼が泣いたり悲しい思いをするのは心の底から嫌だと思う。そしてできることなら、彼がまた泣くようなことがないように、自分がなんとかしてやりたい。
 彼の中を占める大きな存在に自分が太刀打ちできないことも、なり代われないこともわかっている。
 この気持ちに名前をつければ、さぞかし厄介で救われないことになることも。
 だけど俺はたぶん篠井が好きなんだろうと思う。
 たとえ違ったとしてももうそういうことでいいと半ばやけになって結論をだした時には夜が明けていた。
 俺の気も知らずに家の片付けがあるからと早朝帰っていく篠井の背中に、なるべくこれから遥のことを気にしないようにすることを密かに誓った。
 そうしなければ、いつか自分が嫌な人間になってしまう気がした。
 
 
 遥の結婚式も近い土曜日、相変わらず篠井は図書室にやってきた。篠井は勉強には関心をまったく示さなくなっていて、もはやここには遊びに来ていると言ってもいいくらいだ。
「亮くんは大学行くの?」
 篠井と話しながら、課題を片付けていると突然きかれた。
「うーん。たぶん」
「どこ?何大学?東京の大学?」
「東京の大学かなあ。選択肢多いし、両親の実家も東京だし。どこいくかは具体的にまだ決めてないけど」
 両親からは大学に入ったら一人暮らしするように言われている。きっと、まだ父親の転勤の可能性があるからだろう。
「……東京の友達と一緒のとこ行くの?」
「え?…いや特に。あいつの進路とか知らないし。…篠井はどうするの?」
 俺が尋ねると篠井は逆に問いかけるように俺を見た。
 あまりにまっすぐな視線になんだか緊張してしまうのは、やっぱり俺が篠井を意識しているからなんだろう。
「えっと、なにか悩んでるんだったら、先生に相談してみたら?」
 彼の中の迷いを察して、真摯に言ったつもりだったのに、篠井は面白くなさそうに口を尖らせて言った。
「センセーに相談?斉藤クンと同じ大学に行けますかって?」
 俺はその言葉にびっくりして篠井を見た。俺がどの大学のどの学部に行くかも知らないのに、なんで俺と同じ大学にということになるのかわからない。
 でも正直、心のどこかで、俺と同じところと言ったのが嬉しくないわけでもなかった。たとえそれが冗談でも。
「亮くんが行くとこ決めないと俺も決めらんないよ」
「…もうちょっと真面目に考えた方がいいよ」
「考えてるよ。でも同じとこに行くほうがめんどくさくないし、この先つきあいやすいだろ。もしかして俺が一緒のところに行ったらやだ?」
 つきあうという表現に内心動揺する。そんな可能性なんて微塵もないと自分はわかっているつもりなのに、恋というのは厄介だ。シナプスが狂っている気がする。
「冗談はともかくさ、きちんと自分がやりたいこと考えて進路決めなよ。面倒だとか言わずに」
 取り繕って俺が言うと、篠井は困った顔をしてため息をついた。
「冗談じゃないんだけどなー」
 どうやら大学へ行くことは本気で考えているようだ。悪いことを言ってしまった。
「ご、ごめん。…でも本気で大学行くつもりならやっぱり少し勉強したほうがいいよ」
 俺の言葉に篠井はどこか照れたように伏し目がちに視線を逸らし、ぽつりと呟く。
「…実は家で夜にしてる。ちょっとだけど」
 驚いた。篠井が勉強を続けているなんて知らなかった。図書室では俺を構うだけだし教室では騒いでるだけだから、知らなくて当たり前だが。
 篠井が勉強するのを止めたのは、てっきり遥の影響から彼が少しは抜け出たからだと思っていたがそうではなかったわけだ。
 彼の中の遥の存在の大きさを改めて思い知った気がして、気にしないと決めたはずなのに面白いほど気分は沈んで行く。
 ―― 遥はいつになったら篠井を解放するんだろう。
 別にそうなったからといって篠井が俺の方を向くわけでもないのに、俺はどうしてもそう考えずにはいられなかった。
 

 その日は篠井に家まで送ってもらうことになった。
 しかし俺が定期を教室に忘れてしまい、教室に寄らなければならず、誰もいない廊下を連れ立ってあるく。もう陽はかなり短くなっていて、廊下はすでに薄暗い。
 篠井の後に続いて教室に入ろうとした時、篠井が突然立ち止まって俺は危うく篠井の背中にぶつかりそうになった。
「どうしたんだよ」
「んー。いま、教室まずいみたい。取り込み中」
 そう言って篠井は教室の扉をそのまま閉めた。そして俺の腕をとって歩き始める。
 その時、教室の扉のガラス窓ごしに見えた光景に俺は思わず足を止めた。しかしすぐに篠井に腕をひかれ、半ば引きずられるようにして歩き出す。
「…ちょっと待てよ、なんだよ、あれ」
「前からよくあることだよ。馬鹿だなあ、あいつ。いまさら学校なんか何しに来たんだか」
 俺が見たのは、以前、俺に篠井について忠告してきた奴と、それを威圧するように取り囲む集団だった。
 集団の隙間から一瞬だけ見えたそいつは、髪は乱れていて真っ青な顔で俯いていて、そこで何が為されようとしているのか容易に想像はついた。
「と、止めないと。なんとかしないと」
 戻ろうとする俺の腕を、篠井は強い力で引っ張って歩く。
「いじめみたいなのにはさ、他人が関わらないほうがいいんだって。もう帰ろうぜ。月曜の朝、亮くんちまで迎えにいってあげるからさ」
 いま見たことを他人事のように言う篠井を信じられない思いで見上げた。
 俺も聖人君子というわけではないから、ああいう場面を見て見ない振りをすることは理解できる。俺だってもしも一人だったらそうしてしまうかもしれない。
 篠井の言った「いじめには関わらないほうがいい」という言葉だってわかる。
 ただ、いまこの目でみたことに何の関心も感情も示さず、そのまま立ち去ることに後ろめたさすら見せない篠井が信じられなかった。
「関わらないほうがいいって…なんで…?」
 俺の言葉に篠井は前を向いたまま首をわずかにかしげた。
「えっと…なんだっけ…。ああいうの止めると今度は自分がいじめられるから?」
「いじめられるって…篠井が?」
 自分は周りから一線ひかれているのだと言っていた篠井の言葉とは思えなかった。
 篠井自身が本当にそう思って言っていることとは思えず、誰かの考えをそのままなぞらえているかのような口調に彼への不信と不安が増していく。
 篠井が肯定するのを俺は望んだ。仲裁したことの報復に怯えるのが、篠井自身の本音であることを願った。
 しかし篠井はつまらなそうに返す。
「んー、俺はあんな奴らどうとでもあしらえるけどさー。むしろ、やれるもんならやってみろって感じだけど」 
 呆れたように少し笑ってから、俺がいま一番聞きたくなかった理由を篠井は言った。

「遥がそう言ったから」


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