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遙か
15

 あのメールの一件の日から、篠井は彼の友達と話している最中に、しきりに俺に話を振ってくるようになった。
 授業中に堂々と私語をする度胸はやはり俺にはなく、なるべく手短に答えるだけだったが、それでもそのやりとりが功を奏したのか俺は篠井の周りにいた奴らとも話すようになった。もう冗談を交わせるほどだから、友達と言っていいと思う。
 その中には間違いなく不良と言っていい者もいたが、バンドをやっていてなりが派手なだけで中身は案外普通な奴もいた。てっきりクラス全員とんでもない不良だと思っていたので、話してみなければ見えないこともあるのだと俺は実感した。それを正直にみんなに言うと、「本当に悪い奴は学校なんてこない」と笑われた。言われてみればその通りだ。
 そして俺は周りからも「亮くん」と呼ばれるようになった。篠井が呼んでいるからだろう。
 ともかく、みんなと多少馴染めたことで、学校でだいぶ息がしやすくなった。なんだかんだ言って、自分は結構、気を張っていたんだと思う。
 篠井は図書室にまた顔を見せるようになった。だけど勉強しに来たというわけではなさそうで、以前の熱心さはどこへいったのかただ俺と話をしにきているようなものだ。
 その日も篠井はやってきて、俺の隣でとりとめもないことを話しはじめた。
「亮くんさー、みんなに亮くんって呼ばれんの嫌じゃない?俺がはじめに亮くんって呼んだときすっげー嫌がってたじゃん」
 それは篠井がからかったから嫌がっただけで、俺自身はその呼び方自体は別に構わない。だけど篠井には大事なのか真面目な顔で言った。
「亮くんが嫌ならみんなに言ってやめさせるよ?」
 自分は呼んでいる癖に、何を言っているのかとつい笑ってしまう。笑われて、てっきり拗ねるかと思った篠井は、困ったように眉根を寄せるだけだった。
「…そういえば、篠井ってみんなに君付けで呼ばれてるよな」
「ああ、俺1コ上だからじゃん?」
 驚いて篠井をみると言いにくそうに篠井は視線を逸らした。
「俺、実はだぶってんの。前にさ、姉ちゃん捨てた男ボコりに行ったっつったじゃん。その事でいろいろあってさ。…だからみんなどっか一線ひいてるでしょ、俺と」
 言われてみれば一部の生徒は篠井を恐れているというか、篠井に遠慮している感じがする。俺にカンニングを持ちかけた一派が特にそうだ。
 だけどいつも篠井の周りにいる奴らは、本当に篠井を慕っているように俺には思えた。
「そうかな。みんなに好かれてる感じがするけど」
 俺が言うと篠井は戸惑ったように首を傾げた。
「そう……なのかな?みんな俺がヤクザまがいの奴と問題起こしたこと知ってるからさ、それでちやほやしてんじゃない?」
 もしかしたら、そういう奴もいるのかもしれない。俺が転校してきた日、篠井と周りの奴らを王様と臣下のようだと感じたことを思い出す。
 だけど篠井の周りはいつも笑いが絶えなくて、みんながみんな打算や恐怖だけから彼の周りにいるとは俺には思えなかった。なんていうか、篠井は寄せられる好意に鈍感というか猜疑心が少し強いような気がする。
「周りにいつも人がいるっていうのは好かれてるってことだよ。転校してきたとき、俺篠井に真っ先に目がいったしさ、やっぱり…」
 篠井自身に魅力があるから周りに人がいるんじゃないかと続けそうになり、なんだか恥ずかしい表現のような気がして俺は口を閉ざした。
 なにが魅力だ。何を言ってるんだ。
 俺の続きを待つ篠井を誤魔化すために、俺はさもいま思いついたというように声を上げた。
「あ、そうだ。俺もみんなに倣って篠井君って呼ぼう」
「えー、やだよ、下の名前でいいよ」
 もちろん俺が言ったのは冗談だったが、嫌がっているような篠井に亮くんと初めて呼ばれた日のことを思い出した。これは、復讐の機会が巡ってきたのかもしれない。
「決めた。篠井君て呼ぶ。いいだろ、篠井君」
「なんだよいまさら。やだってば。そう呼んでもぜったい返事しねぇ」
 篠井は拗ねた表情をして、机に上体を伏せた。
「なあ、篠井君」
 俺が呼びかけても篠井は顔を伏せたまま微動だにせず、だけど意地でも返事をするまいという気概だけはしっかり伝わってきてちょっと笑ってしまう。
「篠井君、近いうちに、家に夕飯食いにこない?母さんが篠井君に会いたいって。どうかな、篠井君。篠井君が来てくれたらその日はカニ鍋にするんだって。だめかな、篠井君」
 俺の姑息な言葉に篠井はしぶしぶ顔だけ俺の方に向けて、不貞腐れたように、その呼び方をやめたら行くと返事をした。
 
 
 
 以前、篠井が遊びに来た時は蛙の声がうるさかったが、今は虫の音が耳に心地いい。
 この辺りは東京より秋が寒い気がする。山からの風を遮るものがないせいだろうか。
 篠井は土曜の夜やってきた。相変わらず明るく母と話し、初めて会う父とはサッカーの話で盛り上がっていた。俺があまりスポーツ関係には興味がなくていつも冷たいので、父は高校生とサッカーの話ができることをすごく喜んだ。
 夜のスポーツニュースが終るまで父は篠井を離さず、結局篠井は泊まることになって、俺たちが離れに戻ったのは日付が変わった頃だった。
「亮くん一家はいいな。みんな亮くんみたいで」
 俺の部屋に戻るなり、篠井は布団にねころんで、よく意味のわからないことを言った。父の飲んでいた日本酒の匂いに酔ったのか、かなり篠井は上機嫌なようだった。
「みんな俺みたいって、なにそれ」
「みんな優しくてのんきな感じ。亮くん、お父さんサッカーあんなに好きなのになんでいっしょに観てあげないんだよ」
「だってサッカーって観てるとヒヤヒヤするし長いじゃん。漫画で充分だよ、サッカーは。それにしても篠井がサッカー好きなんて知らなかったな」
「俺も別にそれほど好きじゃないよ。…遥がサッカー好きだから」
 久しぶりに篠井の口から聞いた「遥」という名前になぜか胸が痛んだ。
「遥といえば、亮くん、何色が好き?」
 なぜ遥と言えばなのか良くわからなかったが、俺はとりあえず考えた。なにかの性格診断とかだろうか。
「んー…。白かな…」
 篠井は俺の答えに不機嫌そうに眉を寄せた。何かまずいことを言ったのかと俺はすこし焦る。
「ざっけんなよ」
「え、なんで?本当なんだけど」
「それじゃ白髪じゃん!」
 叫ぶように言う篠井に、俺ははじめて髪の色の話なんだと気づいた。
「ああ、髪の話?」
「結婚式が終れば好きにしていいって言われたからさー」
 ぶつぶついう篠井に俺は改めて考えなおした。初めて会った頃の金髪が俺は気に入っていたが、今の色も見慣れれば、多少のひっかかりは感じるものの彼の顔立ちに似合っているように感じる。とどのつまり、顔のいい奴はどんなのだって似合うものなのだろう。金だろうが茶だろうが黒だろうが。
「篠井だったらどんな色でも似合うよ」
 俺が言うと、篠井はその答えが不満なのかしかめ面になった。篠井のしつこさはもうすでに知っていたので、話題の転換をはかる。
「…お姉さん、いつ結婚式なの?」
 篠井は寒くなったようで布団の中に入りながら答えた。
「11月の頭。ここんとこずっと家中片付けで大変なんだよ。姉ちゃんの旦那が今度、引越してくるからさ。俺と姉ちゃんの部屋交換したり、納戸片付けたり、そしたら母ちゃんが茶の間と自分の部屋も模様替えしたいとか言い出して」
「え、お姉さん、同居なの?」
「姉ちゃん一人娘だからねー」
 当たり前のようにそう言う篠井が少し哀しく思えた。
 彼の母代わりの人が彼を妹の子として見ているというように、篠井も自分をそう位置づけているのだろうか。
「俺が広いほうの部屋つかってたからさ、そっち二人で使うことになったんだけど、隣の部屋でも家具とか運ぶのすげえ大変なのな。みくびってた」
 そう言って篠井はあくびをひとつした。連日の力仕事で疲れているのだろうか。
 俺は寝ようか、と言って電器を消した。
 暗闇に虫の音とかすかな川の音だけが響く。
「こないださ、亮くんの夢みたよ」
 さっきとは違うトーンの声で篠井が呟くように言った。
「川原でさ、手繋いで歩いてる夢。はじめはさ、手繋いでるの遥だったのに、いつの間にか亮くんに替わっててさ…だけどなんか手を繋いでるのが遥じゃないことに納得してんだよね、俺…」
 彼自身が遥の結婚を受け入れ始めているという暗示の夢なのかもしれないと思ったが、それは篠井には言えなかった。
 篠井は、俺がまだあの指輪を持っていると知ったらどうするだろう。
 思い出として手元に残しておきたいというか、なんの関心も示さないか、あるいはやっぱり遥に渡すというか。どれかのような気がする。
 やがて篠井の寝息が聞こえてきて俺も目を閉じた。
 それにしても、好きな人が別の人と隣の部屋で過ごすことになるというのはどんな気持ちなんだろう。
 平然と言っていた篠井の気持ちがわからなくて、想像してみた。壁一枚隔てたところに好きな人とその人の想う人がいて、自分は一人で――。
 
 想像しかけたところで、俺は思わず起き上がった。
 心臓が痛いほど高鳴って、顔が熱い。隣で眠る篠井が見られない。
 
 俺が想像したのは、俺が、壁一枚向こうにいると想像したのは――。
 顔も知らないはずの遥と、篠井だった。

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あきゅろす。
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