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遙か
12

 中学生の頃、一度だけ友達の前で泣いたことがある。
 俺には好きだった女の子がいて、なんと幸運にもその子から告白されたのだが、それは俺が転校でその学校を去る最後の日だった。
 『ずっと好きだった』と既に過去形で話す彼女と、彼女を密かに想うだけで何もしなかった自分と、そのせいで逃してしまった時間が惜しくて悔しくて、帰り道、いつも一緒に帰っている友達の前で俺は感傷めいたことを口走り、思わず泣いてしまったのだ。
 その時のことを思い出すと、今でも身が焦げるかと思うほど恥ずかしくて、奇声をあげて七転八倒することができる。
 とにかく最後の日がそんな感じだったから、なんだか恥ずかしくてその友人に連絡しにくくなってしまい、そんな俺の思いが伝わってしまったのか、次第にあちらからも連絡は来なくなっていつの間にか交友は途絶えた。
 自分にはそんな経験があったから、もしかしたら篠井に避けられてしまうかもしれないと危惧したのだが、それはまったくの杞憂だった。むしろあれから篠井はよくうちに遊びに来るようになったほどだ。
 とは言っても、どうやら目当ては一度返してしまった漫画らしくて、うちに来るたび篠井はそれを一冊ずつ読んだ。俺がまとめて貸してやると言っても、少しずつ読むのがいいと言ってとりあわず、暇を見つけては俺の部屋へやって来た。
 孤独だった夏休みの前半とは逆に、終わりは篠井との時間で埋まった。
 足がないからこの辺りに全然詳しくならないと俺がぼやくと、篠井はバイクでいろいろなところへ連れていってくれた。
 山の方にある観光用の牧場施設や、名水と有名らしい湧き水のあるところや、夏休み最後の日には、なんとなくダムを見に行った。
 俺はダムを近くで見たのは初めてで、その大きさに思わず見入ってしまった。
 晩夏の空と周囲の山を映すダムは、人の手が創ったものとは思えないほどの荘厳さで、俺は感動すら覚えた。
 ダムを眺めながら、俺は夏休みの前半はずっと一人で、それがいかにつまらなくて退屈だったかを冗談めかして篠井に話した。
 だけど、篠井のおかげで終わりはすごく楽しかったと礼を言うと、篠井は嬉しそうに笑った。
「でもさ、亮くんて一人が好きそうだったじゃん。転校生うぜーから無視とか言ってた奴ら、拍子抜けしてたよ」
「別に好きなわけじゃないんだけど…」
「一人でも毅然としててさ、俺が話しかけたときもさ、『環境は関係ない』とかかっこいいこと言っててさ」
 そんないいこと言っただろうか。よく覚えていない。
 実はクラス中に無視されていることにしばらく気づいてなかったと言うと、篠井は声を立てて笑った。
「すっげー天然だな。良く生きてこれたよ」
「別に天然じゃないよ。…まあ、シカトされてるのに気づいてもさ、篠井が話しかけてくれたから大丈夫だったっていうのもあるよ」
 篠井と、すぐに学校には来なくなってしまったがあの忠告してくれた奴の存在には救われた。
 篠井は照れたように笑って、ダムの手すりに手をついて乗り出した。彼が俺の部屋に初めて見たときに川を見るために窓から身を乗り出していたことを思い出す。
 あれからまだ半月ほどしか経っていないのに、もうだいぶ昔のことのようだ。
「俺ね、シカトだけはしないんだ。遥がさ、あいつも中学の時いじめられてたからなのかな、集団でシカトは卑怯なことだからするなって言ってさ」
 篠井は自分の行動原理を説明するとき、必ず遥の名前を出してきた。
 もうその頻度といったら、ここにいる篠井という人間は遥が作り上げたといっても過言ではないと思えるほどだ。
 思えば遥が大学に行けと言ったから俺と篠井は一緒に勉強するようになったわけで、そう考えれば、俺と篠井の関係も遥が作ったもののひとつなんだろうか。
 できれば、彼自身の意思で近づいてきてほしかったと思う。
 俺が篠井と取引めいたことをしたくなかったのは、たぶん彼と友達になりたいと思っていて、そして、できれば篠井にもそう思っていて欲しかったからなのだろう。
 だけどいまさら何を願ってもどうしようもないことだ。
 ずっと篠井は遥が望むように生きてきて、そのおかげで、俺は篠井と友達になれたのだから。
 だけど俺はそれが少しさびしいことのような気がした。
 
 
 篠井に家まで送ってもらって彼を見送った後、部屋に戻って机の奥にしまった指輪を出して眺めた。
 この行動も大人になったら七転八倒ものかもしれないとわかってはいたが、なんとなく自分の指に嵌めてみる。
 銀色の細い指輪は、小指にはめると緩く、他の指だと第一関節か第二関節までしか入らない。
 思えばこの指輪を買った日から、篠井との間が急速に縮まった気がする。
 それも遥が絡んでいるからだと思うとなぜか胸が痛んだ。
 篠井にとっては、大好きな人との約束を果たせなかった印のようなものだろうに、俺にとってはその指輪はものすごくかけがえのない、大切なもののように思えた。


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