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 水落と「つきあう」ことになって、あの歌が聴けなくなった。
 告白された夜、どうにも眠れなくて気分転換にと聴いたら反射的に水落のことを思い浮かべてしまい、羞恥に耐え切れず叫び声をあげ、それを聞きつけた母親に部屋に様子を見に来られるという失態を犯したからだ。自宅だからよかったものの、もし人前でまたそんなことになったら、不審人物になってしまうことは間違いない。
 つきあうようになっても、今までと変わらないと思っていたのに戸惑うことばかりだった。
 一緒に登下校するのも、時々放課後遊ぶのも以前と変わっていないのに、なんとなく漂う空気が違う。甘い、というのだろうか。たとえば同じ雑誌を覗き込むときの水落の顔の位置が近い気がするし、視線を感じて顔をあげると決まって水落と目があった。
 水落に柔らかに微笑まれるたび、照れというのか羞恥というのか、そんな感情が襲ってきて、どうにも身の置き所がなくなる感じがした。
 そのうち、修学旅行の日はどんどん近づいていって、水落の思惑どおり俺は成田たちと水落と同じ班になった。
 成田たちは自由行動の日は、ちょうど同じ日に修学旅行へ行く近くの女子高の二年生の女の人たちとあちらで落ち合って遊ぶそうだ。中学時代からの意中の先輩がその中にいるらしく、失敗があってはいけないと成田は暇があればガイドブックをめくっていた。
 その一方で成田は俺たちが一緒にいかないのを気にしているようで、提出しなければならない班別の自由行動の計画表を作ってくれた。でっちあげとはいえ、なかなかポイントを抑えた、効率のいいまわりかたのように思えたので、本当にこの通りに行動しようかと水落にいうと水落は首を横に振った。
「人が多いところばかりじゃねえか」
 見れば確かにメジャーというか、名所ばかりで人は多そうだ。
「あ、そうだね。先生に見つかったら班行動してないのばれちゃうかも」
「……そんなの、見つかったところでどうとでも誤魔化せるけど」
 じゃあ何が問題なのかと水落を見ると、彼は照れたように俺から目を逸らしてつぶやいた。
「……全然二人きりになれないのがいやだ」
「……」
 こういうとき、ほんとうになんで俺ごときにそこまで、と思ってしまう。
 それはさておき、二人きりになれるような場所が観光地にそうあるわけがない。頭脳明晰な水落とは思えない意見だ。
「…えっと、あの、じゃあ、どっか適当な…あの、あんまり有名じゃない神社とか公園とかいく?」
 しかし俺が水落に逆らえるはずはなく、頭を絞ってもごもごとそういうと、水落は嬉しそうに頷いた。


 
 修学旅行を翌日に迎えた日の休み時間、成田が俺のところへやってきた。
 水落はちょうど先生に呼ばれておらず、いつも水落が座る前の席に成田は腰を下ろした。
 成田がこうしてやってくる時は、大抵水落絡みだったから、珍しいことだ。
「松岡、俺の作ってやった計画書役に立った?」
「あ、うん。ありがとう」
「お前たち、あの通りまわる?一応、俺たちとかち合わないよう作ったんだけど」
「いや、あれ参考にして、もうちょっと人が行かないようなとこにも行ってみようかってことになって」
 俺の言葉に成田は興味をひかれたようだった。
「へえ。それ水落の趣味?それともお前?」
 尋ねられて水落の提案だと答える。すると成田は含んだところのあるように頷いて言った。
「ふーん、あいつけっこう渋い趣味なんだな」
 実は趣味どうこうの話ではないのだが、どうとも答えられなくて俺は黙るしかない。しかし、成田は気に止めた様子はなく、机に肘をつくと俺の方に身を乗り出すようにして言った。
「あのさあ、お前と水落、仲がいいのってやっぱ同じ県出身だから?同じ県同士でしかわからない、通じるものがあるとか?」
「なにそれ」
 突飛な意見に驚いた。もっとも俺と水落の共通項といったらそれくらいしかないわけではあるけど。
「成田だって水落と仲いいじゃん」
 俺がそういうと、成田は口をとがらせて不服そうに言った。
「いや、気遣わず話せるし、時々すげえむかつく口叩かれる以外は話もあうんだけどさー…。なんつーか、微妙に壁を感じるっていうか」
「壁?」
 俺が水落に多大に感じていることを、成田も思っていたなんて意外だ。
「俺、あいつのことなにも知らないんだよな。よくコーヒー飲んでるとかは知ってるけど、コーヒーが好きだとかって実際に本人から聞いたことがないっていうか…。うまくいえねえけど」
 それを聞いて自分の間違いに気づいた。俺が水落に感じている壁は多分、俺の卑屈さとか気弱さが作り上げているもので、成田が感じているのはおそらく水落側の問題だ。
 そう言われて見れば俺も水落のことをあまり知らないことに気づいた。正義感が強くて、口が悪い。それは俺が彼を見て受けている印象だけで、水落から中学時代のことなんて聞いたこともないし、何が好きだとか嫌いだとか趣味はなんだとかも知らない。
 もっとも尋ねたところで、いつも話をそらされるだけだったから、いつの間にか口にしないようになったのもあるけど。
 …そこまで考えて、ひとつだけ好きなものを聞いたことがあるのを思い出した。……俺だ。
 告白されたときのことを思い出してしまって叫びだしそうになるのをどうにか堪える。それと同時に、成田が思いついたように言った。
「あ、そういえば、ひとつだけ知ってるわ」
「な、なんで知ってんの?!」
 驚愕のあまりつい叫ぶように言うと、成田はぽかんとした顔をして俺を見た。
 しかし、なぜ成田が知っているのか。周りにばれるようなことは絶対にしないと言っていたが成田は別なのだろうか。相談してたとか?いや、ありえない。でもどうして?
 考えをめぐらせていると、成田が言った。
「なんか前、体育の後にあいつプレーヤー落としてさー…。覚えてねえ?っていうかそのときお前いたっけ?」
「あ」
 歌のことだと気づいて、俺は決まりの悪さに俯いた。恥ずかしい思い違いをしてしまった。
 すると、ガコンと何かを蹴ったような音がして、驚いて顔をあげると、水落が不機嫌な顔をして成田の後ろに立っていた。
「てめえ、松岡いじめてんなよ」
「いじめてねえよ」
 俺だったら恐れをなしてしまうだろうに、成田は軽い感じでそう返し、水落の方を振り返って言った。
「あ。あのさあ、今日、修学旅行で会う女の子たちと遊ぶんだけど、お前らも来る?」
「行かねえ。っていうか、てめえと違って暇じゃねえ」
 しかし、よくこんな相手がさも怒りそうな口をきけるものだ。たとえば、どんなに相手に腹を立てていたとしても俺にはこんな風にはできない。しかし成田は言われなれているためか、呆れたような表情を浮かべただけだった。
 そしてそのまま俺に視線をむける。
「松岡はどうする?」
 訊かれて、俺が口を開くよりも早く水落が言った。
「松岡も行かねえ」
「お前にきいてねえよ。松岡、まじでどうする?」
 軽く水落をいなし、成田は改めて俺に尋ねてきた。
 誘ってもらえたのは嬉しいが、知らない女の子と遊ぶなんて、正直、俺にとっては気が重いだけだ。体のいい断りの言葉を探して、何気なく成田の後ろに立った水落に目を向け―― 俺は言葉を失った。
 水落はさっきまでの不遜な表情と違って、不安そうな、どこか頼りない表情を浮かべて縋るように俺を見ていた。
 行く気なんてまったくないのに、水落のあまりにらしくない顔に胸が痛む。
「や、やめておく」
 せっかくだけどとか、用があるからとか、考えかけていた文句はふっとんで、直截な言葉が口からすべりでた。
 成田はあっさりと、じゃあまた今度といい、自分の席に戻っていった。
 その後姿を見送ってから、再度水落の方を伺うと、水落は成田の座っていた椅子に腰を下ろし上機嫌に言った。
「今日、帰りどっか寄ってこうぜ。旅行の準備済んでんだろ?」
「え、う、うん…」
 頷きつつも、なんで俺ごときにいう思いは益々深まる。
 だけどその一方で、誘いを断ったことで彼を安心させられたらしいことが不思議と嬉しくもあった。

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