5 うちの学校の修学旅行は一年生の秋に行われる。 海外ではなく国内で、私立なのにと文句をいう奴もいたが、それでも実行委員の選出などがはじまると、クラス全体がどこか浮わついてきた感じだ。 旅行の詳細な日程が発表された翌日の土曜日、とつぜん水落に言われた。 「なあ、修学旅行の自由行動、二人で周ろうぜ」 「え、あの、二人で?自由行動って4〜5人でのグループ行動じゃなかったっけ」 水落と向き合うことを決心したものの、やはり染み付いた習慣なのか、その申し出につい臆してしまう。自由行動といったら結構な長時間で、しかも慣れない土地で水落と二人きり。想像するだけで、気が張りつめそうだ。 「成田たちが三人だからあいつらと組むことにしておけばいい。あいつら、あっちで知り合いの女と会うっていうから、自由時間になったら別行動で」 そして水落はちょっとためらいがちに、実はもう成田に話はつけてあると言った。 それを聞いて、俺は少し考えた。ほかでもない俺とまわりたいと思って手回しまでしてくれるんだから、ここはありがたく思うべきだ。それに水落と真の意味で仲良くなるいい機会かもしれない。規則を守らないのは気になったが、成田は頭と要領がいい奴だから、ばれることはないだろう。 いろいろ考えた末、腹を括ることにした。どちらにしろ誘われたら承諾するしかなかっただろうが、一応、自分に水落と行動しようとする意志があることに意味があるのだと思いたい。 俺が承諾すると、水落は笑って嬉しそうに言った。 「楽しみだな」 斜に構えていてどこか冷めたところのある奴だと思っていたけど、修学旅行が楽しみなんて、やはり中身は俺と同い年だ。上機嫌な水落が微笑ましく思えて、俺は本格的に水落に歩み寄ってみることにした。唾を飲み込んでから、思い切って言ってみる。 「あ、あの、水落」 「ん?」 「あの、忙しくなかったらっていうか、嫌じゃなかったら、あの、今日の帰りにでも買い物に少しつきあって欲しいんだけど。俺さ、水落の家の近所まで行くし、手間も時間も全然とらせないから。あの、都合が悪かったらぜんぜん断っていいから」 保険をかけまくった台詞を言う間、水落の目はとても見られなかった。緊張に、いてもたってもいられなくて、手にしたボールペンを用もないのに弄くる。 不意に、以前、成田が水落を放課後遊びに誘ったときに「放課後までお前とつきあってられるか」と断わられていたことを思い出した。成田はその時、「もう一生てめえは誘わねえ」と冗談めかして返していたが、俺は絶対そんな風に流せない。たぶん、たっぷり今晩一晩は落ち込むだろう。 「……買い物って何」 「あ、あの、修学旅行に持ってく鞄。中学の時使ってた奴、壊れちゃって…」 断るなら早く断ってくれと思いつつ口早に説明する。 「…俺の家の近所は店ないから」 ああやっぱり断られたかと一瞬思ったが、続けられた言葉は意外なものだった。 「どうせなら、もっと都心のほうでようぜ」 学校の最寄り駅から、いつもと違う路線の電車に乗ってデパートや専門店の立ち並ぶ街へ行った。 ファーストフードで昼食をとってから水落につれられてデパートやら路面店やら見てまわった。結局予算と折り合いがつかず、全国展開しているスポーツ用品店で買ったけど、足を向けたことのない店を水落と見てまわるのは意外にも楽しかった。 水落は店員とはごく普通に丁寧語で会話していて、穏やかな言葉遣いと口調の水落を見ていると実に心が安らいだ。買い物をしている間も、水落は終始笑顔で、いつもこうしていてくれればいいのにとひそかに思う。 その帰りの電車は、空いているのはシルバーシートだけといった程度の混み具合で、俺と水落は車両の端のドアのそばに立った。 「なんかさ、微妙な空き方してるときって席空いてても座れないんだよな」 すっかり今日の水落に心を許した俺は、気負うことなく彼と話せるようになっていた。 「なんで」 心底不思議そうに聴かれて俺はおずおずと答えた。 「えっと、お年寄りとかに譲るの、恥ずかしいっていうかちょっと勇気がいるからさ。ついはじめから立つ方を選んじゃうっていうか」 実に情けない理由を話すと、水落はお前らしいと笑っただけだった。 それにしても、スムーズに席を譲れる人が本当にうらやましい。俺なんて、もごもごと口の中で言うか、降りる振りをして立つのが関の山だ。正直に言うと、寝た振りもしてしまうこともある。 電車が駅に着いて俺たちが立っているのとは反対側のドアが開き、何人かが乗り込んできた。 同い年くらいの、制服を着た女の子が一目散にシルバーシートに腰を下ろし、あっという間に電車の席はすべて埋まった。 電車が動き出してから、なんともなしにその女の子のほうをみていると、彼女は鞄から大きめな鏡を取りだして、前髪をいじったり瞬きしたり、自分の顔を見始めた。なんだか見ていてはいけないものの気がして目を逸らすと、杖をついたお年寄りが彼女のそばに立っていることに気づいた。彼女以外はシルバーシートに座っているのはお年寄りか妊婦さんで、傍から見て譲るべきなのは誰かは一目で判断がつく。 とたんに嫌な感情がわきあがる。譲ってあげればいいのにと思いつつ、俺もそうするのが苦手なこともあって、心の中といえども彼女を糾弾するのに妙な後ろめたさがあった。 彼女はお年寄りに気づいてないだけなんだ。それか、本当は体調が悪いとか。 そう心の中で、なんの解決にもならない言い訳を並べ立てる。ああ、こういうときの自分が本当に嫌いだ。 その時、水落が動いた。まっすぐに女の子のところへ向かう。 突然前に立った影が気になったのか、女の子が鏡から目を離して水落に目を向けた。はじめは怪訝そうだった顔が、すこしぽかんとした後、花が開いたように笑顔になるのが劇的だった。 鞄の中にさりげなく鏡をしまう彼女に水落は言った。 「具合悪い?」 「え?ううん。ぜんぜん元気」 恥じらいと期待を含んだような可愛い声だ。 声に劣らず顔も可愛い子だけど、俺といるのにナンパもないだろうと思ったとき、よく通る声で水落は彼女に言った。 「なら、てめえの顔なんて見てないでさっさと席譲れよ」 俺も、周りの人もぎょっとしたように水落を見、杖をついたお年寄りだけが、いいんですよ、と戸惑ったように水落に言っていた。しかし水落はお年寄りを無視して彼女になおも言う。 「優先席だろ。そこ座ったからには優先して譲れ。そこら中に書いてあるじゃねえか。それともお前は日本語が読めないのか?」 さっきまで笑顔だった女の子は顔をこわばらせて黙って立ち上がり、俺が立っているのとはドアをはさんだ反対側に足早に来た。 おろおろするお年寄りに何か言って席に座らせ、水落は俺のほうに戻ってきた。 周囲は妙な空気になってしまい、気にした感じがないのはたぶん水落だけだ。実に涼しい顔をしている。逆に女の子の表情は硬く、水落に話しかけられた時の笑顔と比べるとかわいそうになるほどだった。 俺はおずおずと彼女に声をかけた。 「あの…ごめんね。ありがとう」 彼女は俺のほうをちらりとみて、小さな声で、別にとだけ言った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |