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 式が終わり教室に戻って席につくまで、俺は誰とも口を利くことはなかった。
 今度はそれは気にならなかった。というより、それどころではなかった。
 あまりのショックに打ちのめされていたからだ。同じクラスの、しかもかなり目立ちそうな男に、かなりマナーの悪いことをして注意を受けた。その事実だけで、新しい生活のスタートに躓いてしまったような気がする。100%自分が悪いからだということが、また余計に辛い。
 担任が来て、ホームルームがはじまった。
 はじめに出欠を兼ねた自己紹介をさせられた。出欠をとるということは、どうやら入学式の前にホームルームらしいものはなかったようだ。一日目からの遅刻に気づかれなかったことに少し安心する。
 自己紹介は無難に終わり、臨時のクラス委員に、俺の二つ後ろに座った水落が指名された。
 総代で新入生代表の挨拶をするような奴なんだから、まあ妥当だろう。
 しかし、水落はあの涼やかな、よく響く声で言った。
「お断りします」
 クラスの空気が少し緊張した。まさか水落が断るなんて思わなかったからだろう。押せば引き受けるという雰囲気すらなく、まさに取り付く島がないという感じだ。
 担任も少し驚いたようだったが、気を取り直したように仕切りなおした。
「んー、そうか。じゃあ、出席番号一番…」
 こういうとき、はじめの方の苗字でなくてよかったと思う。一番はじめでも最後でもない、真ん中より後ろになる姓は俺の宝物と言っていい。
「…って芸がなさすぎるな。今何分だ?25分か。じゃあ、出席番号25番、松岡佳宏」
 突然名前を呼ばれ、俺は固まった。
「松岡?」
「……はい」
 返事をするなり集まる注目に、頭の中が真っ白になる。
 そして、引き受けてくれるかという担任の問いかけに俺は頷くことしかできなかった。
 
 
 
 クラス委員の最初の仕事は帰りの号令をかけることだった。
 面倒なことになってしまった。臨時と言っていたから、たぶん次のLHRで正式なクラス委員を決めるのだろうが、なんとなく、なし崩しに続投になる気がする。嫌な予感ほど良く当たるものだ。
 朝の一件もあいまって、なんだか余計に疲れてしまった。気疲れといった感じだろうか。
 まだどこかよそよそしさを残すやりとりばかりの教室で、今日はもう帰ろうと身支度をしていると、俺の斜め後ろの、すでにずいぶん打ち解けて話していた奴らの中の一人が声をかけてきた。
「松岡だっけ?災難だったなあ、クラス委員」
 突然、話しかけられて振り返ると、机に浅く腰掛けた少し派手な感じの男が笑って俺を見ていた。
 正直に言えば、声の大きそうな少し苦手なタイプだ。自己紹介では、たしか成田とかいっていたような気がする。
 その言葉に頷いたら最初に任命を断った水落への当て付けのように受け止められないかと考えて、返事を躊躇してしまう。松岡と水落という名前の関係で席はすこぶる近い。
「……えーと…」
「総代はお勉強でいそがしいんかね?しょっぱなで断るなんていい度胸してるよな。まあ、がんばれよ」
 どうにも返事しにくいご意見だ。とはいえ、成田は俺に同情してくれているのは間違いないので、彼の気も悪くしないようにしたい。しかしあまり機転の利かない俺はあいまいに言葉を濁して笑うことしかできなかった。
 その時、入学式の壇上で聞いた涼やかな声が響いた。
「―― 災難だと思うんなら、てめえがやってやればいいじゃねえか。親切面して嫌味なんか言ってんじゃねえよ。低脳が」
 ぎょっとして水落の方を見る。臨戦態勢という言葉が頭の中をよぎるほど、きつい冷ややかな目をして成田を睨みつけている。
 睨まれているのは俺ではないのに、その視線にすくみ上がった。
 それにしても、なんて好戦的な奴なんだ。そして顔と言葉遣いがあっていない。そんな綺麗な顔をしてるんだから、もっと美しい言葉で話して欲しい。
「…ああ?」
 案の上、挑発的に言われた成田は気分を害したようで、不穏な返事をしながら、机に下ろしていた腰を上げかける。
 なんてことだ、成田も沸点が低い奴だったなんて。
 喧嘩というか殺伐とした空気はものすごく嫌いだ。逃げ出したい。
 だけど、臨時とはいえクラス委員なのだからなんとかしなければならない。
 俺は思い切り息を吸った。
「…あ、あの!」
 力んだあまりボリュームを間違えた。
 大きな音に反射的に反応するように、二人が同時に俺を見た。視線を受けて心が萎みそうになるが、内省に陥る前に早口で言う。
「お、俺だいじょうぶだから…。あのさ、俺、今日の遅刻の罰だと思ってがんばる」
「は?遅刻?お前、何言ってんの?」
 成田が眉根を寄せて、おかしなことでも言われたかのように大げさに語尾をあげて言った。
 まあ、俺の遅刻は誰にも気づかれてなかったわけだから、その疑問はごもっともだ。そして俺のことを覚えてないのかそれとも呆れたのか、水落は黙ったまま俺を見ている。
「ええと、今日、俺…」
 遅刻してきたと説明しようとしたとき、天の助けがきた。
「一組のクラス委員、担任が職員室来いってさ!」
 廊下側の窓が開いて、そう大声で呼ばれ、俺ははじめてクラス委員になってよかった、と思った。
「あ、あの、呼ばれてるみたいだから…。とにかく俺は大丈夫だから。ごめん。それじゃ」
 

 職員室へ行くと、担任から社会準備室から補助教材を運んでおくように言われた。
 量があるから誰かに手伝ってもらうようにと言われたが、殺伐としたままかもしれない教室にすぐに戻るのが嫌なのと、まだ頼めるような友達がいないので、それはためらわれた。
 まあ、何回かに分けて運べば、一人でできるだろう。
 そう思いながら職員室を後にすると、前の廊下に水落がいた。
 職員室に用かと思いその前を通りすぎようとすると、思わぬことに声を掛けられた。
「おい。担任なんだって?」
「え…?」
「担任に何言われたのかって訊いてんだよ」
 怖い。もう少し優しく尋ねてほしい。
「あ、あの…社会の教材、運んどくように…って」
 俺がぼそぼそと言うと、水落は予想外のことを言った。
「手伝ってやるよ」
「えっ」
「手伝ってやる。社会準備室だろ?たしか3階だよな」
 そう言って背中を向ける。
 貴方が怖いので結構です、などと俺にいえるはずもなかった。


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あきゅろす。
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