最終回 それから、照明がいくつか通された薄暗い渡り廊下を水落と手を繋いで部屋に戻っていった。 それこそ誰かに見られでもしたらと思ったが、水落が手を離そうとしないし、廊下は見通しがいいから誰か来ればすぐにわかるだろうと腹を括る。 渡り廊下の途中で水落が言った。 「これから先、何があっても、お前は俺が守るから」 それに頷いたものの、いったい何から守るつもりなのかという問いかけは飲み込んだ。 きっと今の水落にとっては周りは敵にしか見えていないんだろう。周囲は、たとえ成田ですら、俺と水落を傷つけるものだとしか今は思えなくなっているのかもしれない。 そんなことはないと言うことは簡単だし、それは俺の本音でもあるけど、俺は何も言う事ができなかった。 彼は実際に辛い思いをしてきていて、俺はそうではないことがただ悔しい。いっそのこと中学から水落と一緒だったら良かったのにとすら思う。 「それから」 続けて言われて、はっと意識を彼に戻す。 「俺、お前の修学旅行台無しにしたな。…ごめん」 らしくなく、しおらしい表情で言う水落に俺は狼狽した。 「いや!そんな、あの、結果的には良かったのかなとか思うし…」 もごもごと口の中で呟いてから、なぜ良かったのかと訊かれないことを祈る。尋ねられたら少し恥ずかしいことになりそうだ。 その祈りは天に届いたのか、水落はいつか二人でまた来ようと言っただけだった。それに頷いてから、俺は気になっていたことを切り出した。成田のことだ。結局、成田は水落に暴言にもとれる言葉を投げつけられたまま、わけもわからず部屋に取り残されたままで、いきさつを考えても成田にはきちんと水落から謝ったほうがいいと思う。 「あのさ…水落」 「うん?」 聞き返す水落の声は優しくて、俺はどこか安心して思い切って言った。 「あのさ、俺なんかよりも、成田に謝ったほうがいい…と思うんだ」 聡明な水落ならそれだけですべてを察してくれるだろうと思ったのに、水落はきょとんとした顔をしていった。 「謝る?どうして?」 それに少なからず驚愕を覚えつつ、俺は自分の考えを口にした。 水落が成田が想いをよせる先輩を悪くいうような表現を使ったこと、さっきはそれで成田の気分を害してしまったと思うこと。 それらを多少回りくどく説明したのだが、水落はどこか腑に落ちないように「お前がそういうならそうしてもいい」と言っただけだった。 部屋に戻ると、すでに全員寝静まっているようだった。 みんなを起こさないように息を潜めて自分の布団へ行く。すると、自分の布団が不自然に盛り上がっていることに気づいた。不審に思って掛け布団をめくるとそこにはなんと折りたたまれた座布団が詰め込まれていた。それが、先生が見回りに来た時のためのカムフラージュだと気づいて水落の方をみると、彼の布団も同じように座布団が入っているようだ。きっと成田が寝る前にやってくれたんだろう。 水落は常夜灯の明かりでもわかるほど不機嫌な顔をして、隣の成田の背中をあろうことか足の先で軽くつついた。 「おい」 どうして眠っているのをわざわざ起こすんだと思ったが、驚いたことに成田からはすぐに返事があった。どうやら成田が眠っていると思ったのは俺の早合点で、水落は成田が起きていることに気づいていたようだ。 「……なんだよ」 「明日話しがある。…それと」 そこで言葉を切って水落は迷うように視線を揺らし、はっきりとした声で言った。 「悪かった」 まさか水落が今謝るとは思っていなくて、思わず固唾をのんで布団に正座したまま見守る。 成田はしばらく何も言わず、やがてふて腐れたような声で、ああ、とだけ返事をよこした。 翌日は最後の見学地に向かって、朝からバスで結構な長距離を移動することになっていた。 それにしても眠い。そうでなくても寝不足なのに、バスの振動がさらに眠気を誘う。この先、多少辛かったことは忘れ去ったとしても、自由行動での遅刻の件と総じて寝不足だったことはきっと一生忘れられない思い出になるだろう。 「眠い?」 あくびをかみ殺したことを、隣に座る水落に気づかれてすかさずそう尋ねられた。 「うん。ちょっと…。ごめん。寝てってもいい?」 言いながら俺は一番後ろの成田たちがいる席を振り返った。ちょうど一人分空いている。 「ここにいる」 水落は俺の考えがわかったのか、先んじて言った。 「…でも」 俺が寝たら水落は退屈するだろうし、それに正直、成田ともっと話して欲しいという気持ちもあった。話があると言ってはあるものの、今日水落と成田はまだ一度も会話らしい会話をしておらず、俺はずっとそれが気にかかっていた。あれほど水落と成田が仲良くするのに嫉妬していたというのに、我ながら現金だとは思うけど。 「行かない。お前の寝顔見ていたいから」 そういって体ごと俺の方を向いた水落に驚いて、思わず体を引いてしまう。 「や、あの、見ていても特に面白いものでもないっていうか…。…き、緊張するから」 うろたえながらあわてて言うと、水落は少し笑って姿勢を戻した。 「冗談だよ。…っていうか、実は俺も眠い……」 そう言いながら水落は腕を組んで目を閉じた。 目を瞑った顔まで綺麗なことに感嘆しつつ、安心して俺も眠ることにする。 だけどつい、いろいろ考えてしまって、眠気は確かにあるのに頭がさえて寝付けそうにない。バスの振動の音や、周りの話す声や笑い声に混じって遠くで誰かと会話するガイドさんのよく通る声に気をとられてしまう。 突然、バスのスピーカーから小さく音楽が流れてきた。 そういえばバスでの長距離の移動の時に、BGMを流すことになってその係を決めたことを思い出した。 しばらく耳を傾ける。どうやら誰でも知っているようなヒット曲ばかりを集めたものらしく、聞き覚えのある曲ばかりだ。 もしかしたら、そのうち俺の好きなあの曲も流れるかもしれない。 音楽を聴きながら、ぼんやりと考える。 水落が成田と何をどう話すつもりなのか、あいにく皆がいるところでは聞けそうもないから、成田と水落が二人で話すときには俺もついていくことにしよう。 そして、もしも水落が不穏なことを言い出したら、その時は俺ががんばって間に入ればいい。きっと俺の声と気持ちは水落に届く。 これからずっとそんな風に俺は、切って捨てるかのような水落の後をついて、取り成したり周囲に謝り倒したりすることになるのかもしれない。 だけど、そうして過ごすうちに、いつか世界が水落にとって再び優しいものになるといい。 情けないことに俺にはそれを約束できるわけもなく、ただそばにいて願うことしかできないけど。 でもせめて気の弱さは少しでも返上して、水落を傷つけないくらいの強さを身につけていこうと思う。 すぐには無理かもしれないけど、少しずつでも。 そう心に決めて、優しくて切ない恋の歌を待ちながら俺は瞳を閉じた。 おわり [*前へ] [戻る] |