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 翌日、いつもより格段に早い電車で集合場所へ向かった。
 別れ際のことはずっと俺の中で尾を引いていて、夕べは水落のことばかり考えてよく眠れなかった。これほど彼に会いたいと思うことは初めてだ。早く会って、いつもどおりのことを確かめたい。昨日からずっと、そのことばかり考えている。
 少し緊張しながら集合場所に行くと、既に水落は来ており、成田たちと話していた。
 挨拶すると普通に返され、とりあえずほっとする。
 俺は一応クラス委員なので各班の点呼の状況をまとめなければならず、そのまま点在するグループを回ることにした。
 水落と成田にそう告げ、鞄を見ていてもらうように頼む。快い返事はもらえたが、水落がいつものように自分も行くと言わないのが気にかかった。たいてい、俺がこうしたクラス委員の仕事をしようとするときは一緒に来てくれたのに。
 その場を少し離れてから水落を振り返ると、水落は俺のことなどまったく気にしないように楽しそうに成田と笑っていた。
 なんで今日はついて来てくれないんだろうと思って、逆に水落が来る必要はないことにすぐに気づく。
 これは俺の仕事なんだし、俺一人でやるべきことだ。気づいてなかったけど、俺はこういうところでいつの間にか水落に依存していたのだろうか。
 こんなことではいけないと気を引き締める。だけど、いつもと違うことにどうしても心細さは拭えなかった。
 
 
 移動中、隣の席の水落はずっと眠っていた。
 俺は逆隣に座った成田たちとトランプしていたものの、水落のことが気にかかってしかたがなかった。彼が身じろぎするたびに視線を向けては、目を覚ましたわけではないことに落胆した。
 せっかくの修学旅行なんだから、少しくらい眠くても起きてればいいのに。
 普段あれほど彼に怯えてるくせに、そんなことすら思ってしまう。現地についてからバスに乗り換えると、ようやく水落は眠るのをやめた。
 俺はあれこれと水落に話しかけ、水落も普通に答えてくれた。それがとても嬉しくて貴重なもののように思えて、俺たちの会話に時折割り込んでくる成田をほんの少し邪魔だと思ってしまった。だけど旅行で機嫌がいいのか、水落はいつもと違って険のない言葉で成田とも会話し、不思議とそれが俺には面白くなかった。
 成田もいつもと違い水落が友好的なことに気づいたのか、観光地について添乗員の後からクラスでぞろぞろと見学している間も、ここぞとばかりに水落の傍から離れなかった。水落の方もそれを嫌がる風もなく、俺にはわからない冗談を言って成田を笑わせてすらいた。こうなると俺は蚊帳の外だ。
 何の話かと尋ねればいいのだろうが、そうすると場が白けてしまうことは承知していたので、とてもじゃないけど口は挟めなかった。成田は俺にも話を振ってはくれたものの、いつの間にか俺は、並んで歩く成田と水落の後ろからついて歩く形になっていた。
 いつもなら水落は強引にでも俺を横に置こうとするから、こんなことははじめてだ。
 二人の声は後ろからだとよく聞こえなくて、会話に参加することはすぐに諦めた。それに無理して二人と並んで歩くよりも、その位置の方が気が楽なことも確かだった。
 後ろからみると水落と成田が話す姿はとてもしっくりときているように感じた。二人とも容姿端麗で、背が高くて、同じ速度で話ができて。もしも俺が成田のようだったら、と思わずにはいられなかった。
 成田のように明るくて、勉強ができて、格好良くて、水落にひるむことのない度胸があったら、俺もきっと堂々と水落と並んで歩けたのに。告白だってきっともっと素直に受け止められただろうし、昨日みたいに気を悪くさせることもなかったに違いない。
 後ろを歩くのを選んだのは結局は自分なのに、卑屈にも俺はずっとそんなことを考えていた。
 
 
 一日目の観光と夕食を終え、着いたホテルはものすごく大きくて古かった。
 ホテルは貸切りではなく別館には一般の客も泊まっているので、くれぐれも迷惑をかけないようにと再三注意を受けてから、班別に割り振られた部屋に移動した。
 入浴を済ませた後は館内で自由行動だ。班のみんなは土産コーナーに行こうとか、ホテルを探検しようとか話していたけど、クラス委員と班長を兼任している俺は、班長会に出席しなければならなかった。
 集まりが悪くて予想より長引いた班長会を終えてから部屋に戻ると、部屋には成田と水落しかいなかった。
 二人は窓際に置かれた椅子に向かい合って座り、トランプをしていた。ほんとうに、いつもとは感じが違ってずいぶんと仲がいい。
「……あの、他のみんなは?」
 おずおずと声を掛けると、成田がトランプを切りながら答えた。
「隣の部屋に麻雀しに行った。お前もトランプやる?」
 せっかくそう言ってもらえたのに、俺はつい断ってしまった。
 水落も誘ってくれたなら入ったかもしれないが、何も言われないし、なんとなく二人の間に入り難い。
 俺の返事を聞くとすぐに成田は二人分のカードを配りはじめ、俺も何もせずに部屋にいるわけにもいかないので、しかたなく鞄からレポート用紙を出した。旅行中の感想や記録をレポートとして、後日提出することになっており、暇つぶしを兼ねてそれを片付けることにした。テーブルは成田と水落が使っていたので、既に敷かれた布団の上にうつぶせになる。
 しかし、日程表を見ながら文字を書いているうちに、なんだかだんだん眠くなってきてしまった。
 二人がカードを捲る音も単調で眠気に拍車をかけ、どうにも抗えずに俺はそのまま枕に突っ伏すようにして目を閉じる。
 そのまましばらく意識を失っていたようだったが、毛布らしきものを掛けられた気配で目が醒めた。
 遠くから、成田のからかうような声がする。
「水落くん、やっさしー。かっこいー」
「寝てんのに気づいたんならお前が掛けてやれよ。まったくてめえは気がきかねえな」
 そう言いながら遠ざかる水落の声に、いっぺんで目が覚めた。
 水落が毛布を掛けてくれたことがすごく嬉しくて堪らなくなった。なんだか安堵で泣き出しそうなほどだ。
 礼を言いたいけど、せっかく掛けてもらったのに起きるのももったいなくて、俺は姑息にもそのまま寝た振りをすることにした。
「松岡、よく寝てるなあ」
 タイミングよく成田が言い、狸寝入りがばれないかヒヤヒヤしたが、しばらくまたカードを捲る音だけが室内に響く。
 その音と毛布の暖かさに再びうとうとしかけたとき、成田の声がした。
「…あのさ。単刀直入に聞くけど…お前って男が好きなの?」
 思わず目を開く。
 俺は誰にも言っていない。そう思った。眠気などどこかに吹っ飛んで、ドキドキと心臓がなる。なんで成田が知っているんだろう。
「誰にきいた?」
「この間、自由行動のとき会う先輩たちと会ったんだけど、後輩の子も来てて、その子がお前と同じ中学だったんだと。…で、まあ、その子にこそっと」
 身じろぎできないまま聞き耳を立てる俺とは対照的に、抑えたように低く笑う水落の声がした。
 笑ってる?
 俺がそう思うと同時に成田が言った。
「お前、なに笑ってんだよ」
 その焦れたような声にやはり水落は笑っているのかと知ってほっとする。彼にとっては余裕の出来事のようだ。もしもこれが俺だったら動揺のあまり失態をおかすことは間違いない。
「おい」
 強い調子の成田の呼びかけに、ようやく水落は笑うのを止めた。
「……うん。まあ、そうだな。女も大丈夫だけど男もいける、そんな感じ」
 あっさり認めた水落にも驚いたが、水落の言った内容にも驚いた。
 女も大丈夫?初耳だ。ゲイってそういうことだっただろうか。
「さすがだな」
 俺が聞いた時は天地がひっくりかえるかと思うほど驚いたが、成田はそんな風に流した。
「でさ、前にお前、好きな奴がいるとかって話になったじゃん」
「いつ」
「なんか体育のあとにお前がプレイヤー落してさ」
 そう言うと成田は声を潜めて尋ねた。
「…ここだけの話、あの相手って男なの?女なの?」
「………」
「教えろよ。いいじゃん。誰にも言わないからさ」
 水落はどうするんだろう。無視するんだろうか。…それとも、俺の名前を言うんだろうか。
 そう思うと心臓がどうにかなりそうだった。
「……まさか、俺じゃねえだろうな」
「馬鹿か?自惚れんのもいい加減にしろ」
「冗談だよ。…松岡は知ってんの?……っていうか、もしかして松岡?」
 突然核心に触れられて、俺の心臓はいよいよ止まりそうになった。
 不思議なことに、俺は何かを期待して水落の言葉を待った。改めて彼の口から俺のことが好きだと成田に言うのを聞きたくて、ドキドキしながら続きを待つ。
 しかし水落はなんでもないように成田に言った。
「まさか」
 ありえないことのように即座に否定した水落に冷や水をかけられた気がした。
「まあな。松岡はねえよな。別の学校?年上?…男か女かだけでも教えろよ」
 会話はそのまま続けられ、消灯時間が迫って別の部屋に行った二人が戻ってくることで会話は打ち切られた。
 俺はずっとまんじりともせず、水落の冷ややかな否定の言葉を頭の中で繰り返した。
 まさか、って。
 心が萎んできしむように痛んだ。
 きっと俺とのことを公にするわけにはいかないから、だからとりあえず否定しただけなんだとそう言い聞かせた。
 それでも水落に否定されたのが悲しくて、仕方なかった。
 たった三文字の言葉に、今まで彼に優しくしてもらったことがすべて嘘のように思えてきてしまって、それでも明日になって水落と話せばきっとそんな風に感じていた自分が馬鹿だったと思えるとそれだけを信じて朝を待った。
 

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