アイザキガカリ
12
「ファーストキスだな。そうだろ?」
不意に相崎の声がして俺は顔をあげた。見ると相崎はいたずらっぽく笑っている。
ファーストキス。誰の?俺のだ。
からかうような声とその表情に俺は冗談だったのだと判断して肩の力を抜いた。
「…そうだよ。ひどいよ。男とだなんて。冗談きついよ」
俺は笑った。だが、たぶん相当に引きつっていることだろう。
なんとか笑えはしたが、身の振り方がわかった安堵からか、まだ残る動揺からなのか内心は泣きだしそうだった。
相崎の口から笑いがすっと消えた。
「…冗談?」
その低い声とむっとしたように細められた目に混乱した心が凍りついた。
――やばい、間違えた
そう思った。
冗談ではなかったと判断できた場合の正解が俺にだせるとも思えないが、相崎の声と表情からはっきりと自分のとった態度は間違いだったと感じた。
どうしようどうしようどうしよう傷つけた?
「えっとさ、あの…」
何か言わなくてはと思うが、何を言ったらいいのかわからない。
そんな俺を相崎はじっと見つめている。綺麗に整った顔からはなんの感情も読めず、俺はますます焦った。
「あの、えっと……」
口の中でもごもごと呟きつつ、きょろきょろと視線をさまよわせては目の前の相崎を伺う。
情けなくも俺はそれを何度も繰り返すことしかできない。
こういうことは初めてで、どうしたらいいのかわからない。そんな間も相崎は俺をあの綺麗な瞳で見つめている。
「…ごめん」
俺が悩んだあげく言った意味ある言葉はそれだった。
「…ごめん?」
「えっと、冗談とか言っちゃって、ごめん」
言うと相崎は意外なことを言われたように目を見開いた。
「そっちかよ」
呟いて口の端に笑みを浮かべたのをみて俺はほっとした。
相崎は恐ろしいほど整っているせいで少し冷たい印象を受けるが、笑うととたんに柔らかい雰囲気になる。
「お前はな、」
相崎は微笑を浮かべたまま目を伏せる。長い睫が頬に陰を落とし、俺はそれを綺麗だと思った。
「ファーストキスって単語を聞くたびに俺を思い出すんだ。これから先、死ぬまでずっと」
いったい何を言い出すのか。
別にファーストキスに憧れていたわけでもないから、たいした…と言い切るには何かが割り切れないが、たいしたことではない。だって、はじめてキスしたのが同性となんて巷ではありふれてそうな話じゃないか。
そう頭では思うのに心臓は勝手に早鐘を打つ。
「そう考えると俺は重罪だな」
目を上げてにやりと笑う相崎に、俺は勢いよく首を横に振った。
「いいや!気にしなくていいよ」
「そうか?」
「うん!」
やはり勢いよく頷いて俺は立ち上がった。
「あのさ、俺、そろそろ帰るよ」
相崎の返事をきかず俺は鞄を掴むと玄関へむかった。相崎は後からついてくる。
「今度はいつ来る?」
訊かれて靴を履きながら考える。来週からテスト準備期間に入り、その後はすぐにテスト。
先生はテストが終わるまでボランティアは無しだと言っていた。
だから頼まれるとしたらテストが終わったその日か、テスト休み明けの終業式…だいたい3週間から1ヶ月後くらいだろうか。
玄関で相崎にそう答えると相崎は眉をしかめた。
「ずいぶん先だな。まからねえのか」
「なんだよ、それ」
相崎の言い振りがちょっとおかしくて俺は思わず笑ってしまった。
すると相崎もあの綺麗な微笑みを浮かべた。
帰りのバスの中でぼんやりと考えた。
あれは本当に冗談だったのかもしれない。なぜなら相崎は別に愛の告白をしたわけではない。
帰り際の会話だって、好きなら帰るといったときに多少は引き止めるなりするだろうし、来るのがかなり先だと言った時だって、長いとは言っていたけど個人的に誘うとかするものじゃないだろうか。
だからきっと彼女がいないといった俺をからかっただけなんだ。
あんな奴が俺みたいなつまらない人間、好きになるはずないじゃないか。
実際に顔をあわせたのだって今日でたったの二回だし、一体どれだけ惚れっぽいのかっていう話になる。
俺はため息をついてから、もうこのことについては考えまいと心に決めた。
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