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アイデンティティーの崩壊寸前


彼は、絶対に愛してるなんて言わない




夕暮れの屋上──…それは、あたし達の秘密の時間、場所



「好き、って言って」


「ヤダ」

そこで交わされる会話はいつもと何ら変わり無くて……でも、あたしにとっては、何よりも大事な問いかけだった。


「じゃあ、愛してるって…」


「もっと、無理」

なのに、当の彼はいつもの調子で、そうノラリクラリと追求をかわしていく。


それは…すごく、虚しい事だった。



「……まだ…言ってもらったことない」


「何が?」

弱々しくなる言葉尻を叱咤しながらそう言ったあたしに、彼は手にした雑誌から目を離さぬまま、素っ気なく答える。



「…"好き"とか"愛してる"って……付き合ってから、まだ一度も…」

"冷たい"とも取れるその態度が、どんどんとあたしの心の中を凍りつかせていくのだ。



「わざわざ、そんな事言う必要があるの?」


「……っ」

初めて雑誌から目を逸らしてあたしを見た彼は、驚く程に鋭く冷ややかな瞳をしていて…思わず、泣きそうになる。



どうして…?ただ、"好き"という一言を言ってくれるだけでいいのに……


何で、そんなに──……




「…………じゃあ…もう、いい」


それは、一種の賭だった。


“押してダメなら引いてみろ”

逆に言えば、もうその方法しか、自分の心を救い出せる道が見つからなかった。



「…何?」

あたしの声のトーンがいつもと違う事に気付いたのか、流石の彼も膝に置いていた雑誌をパタンと閉じ、真剣な面持ちで見つめ返してくる。


鳶色に澄んだ彼の瞳に愛しさが込み上げて来て…慌てて顔をそらし、次に言うべき言葉を必死に模索した。



「……別れ、る…」

"好き"って、言わないのなら…"愛してる"って、言えない程度の関係なら……いっそ…



「あっそ、分かった」


「え…」


───…しかし、予想以上にあっさりとそれを承諾した彼に、戸惑いよりも先に呆然とした。


なん、で…?何で、そんなに簡単に割りきれるの……?

あたし達の関係って、そんなものだったの…?



けれど、そんな衝撃にうちひしがれるあたしを取り残し、彼は夕焼け色に染まった屋上を後にする。



──…残ったのは、重い鉄扉の閉まる音と、悲しいほどに耳に残る静寂




「…う…っ…」

引き裂かれんばかりの胸の痛みに、目尻からとめどなくしょっぱい涙が流れた。


…本当に、これで良かったの……?これが…本当に、あたしが望んでいた事なの…?


次から次へと溢れてくる自身への投げ掛けに、あたしは力無く首を振る。



「……ちが、う……こんな、の…こんな…の……違う…ッ」

すごく情けない事だけど、失ってから気付くものがあるって…本当に、身に染みて分かった。


だから、あたしは弾かれたように走り出し、校舎内へと続く錆びた鉄扉を開け放つ。



今なら…今なら、まだ取り返しのつく事もあるかもしれない…っ



「I love you」


「え──…」

でも、扉を開けた瞬間…目の前に立ちはだかっていた人物に驚き、何より言われたそのセリフに頭が真っ白になった。


それは…何度、"その声"でそう言ってくれる事を望んだものなのか──…




「…これで、いいんだろ」


あまりの不意打ちに、感動を通り越して呆然とするしかないあたしに、彼はどこか不満げに…そして、無愛想に言う。


…そんな彼の耳は、夕日のせいなのか、いつもより少しだけ赤い気がした。



そして、言葉も出せずにいるあたしに対し、彼はまたぶっきらぼうにこう呟くのだった。





「…別に、嫌いじゃない」



"I love you"の訳し方



「…別に、嫌いじゃない」








2009.11.30*まいみ*僕の罰君の罪

お題;"I love you"の訳し方はちみつれもん様提出






あきゅろす。
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