ふたりの時間/1
週末、いつものように藤堂はやってくる。今日はバイト先の歓送迎会とやらで、普段よりずっと遅い時間だけど。
日付も変わりかけた頃で、それをすまなそうにしながら帰ってきた。こちらもよく都合が悪くなり断ることもあるので、そんなことは気にしなくとも良いのに、藤堂らしいというか。
「あれ、佐樹さんまだ起きてたの?」
リビングのソファでぼんやりとしていたら、風呂から上がった藤堂が不思議そうに目を瞬かせていた。
「ん」
30分くらい前、風呂へ向かった藤堂に、先に寝るからと言ったのは確かに自分だ。でも寝ようと思いつつも全く動けずにいた。
「どうかしたんですか?」
「いや、別に」
首を傾げる藤堂は、珍しくソファでごろりと横になる僕を、酷く訝しげな顔で見つめる。
「なにもない」
でも、そんな風にじっと見られると変に胸の辺りがざめく。
自分と同じく、Tシャツにスウェットというラフないでたちで、藤堂が濡れ髪をタオルで拭きながら自分の家を歩く、そんな当たり前過ぎる姿はだいぶ見慣れてきたが、なんとなくいまだ違和感を感じる時がある。一緒にいる実感はあるのに、時々日常に彼がいることが不思議に思えるのだ。
それでいて――ただいまと、帰ってくる藤堂の姿に、たまらなく胸が熱くなる時もある。
「幸せ過ぎて怖いってやつ?」
「……? 今なにか言いましたか?」
「なんにも」
ぽつりと呟いた僕の独り言に振り向く藤堂は、ほんの少し疑いの眼差しを向けてくる。
けれどそれに気づかぬふりをして、僕はソファのクッションを抱き寄せ藤堂から視線をそらした。
「佐樹さん、誰か来た?」
泊まりに来た時の決まりごとのように、冷蔵庫の中を確認すべくキッチンに入った藤堂が、ふいに立ち止まり、シンクに視線を落としながら首を傾げた。
「あ、悪い。コップそのままだった」
その視線と藤堂の言葉に、僕は慌てて身体を起こす。使ったコップを洗わず、シンクに置きっぱなしでいたことをすっかり忘れていた。
「それはいいですけど」
「……えっと、明良がちょっと来た」
怪訝な表情を浮かべる藤堂に慌てて来訪者の名を教えると、じっとシンクをみつめ小さく首を傾げる。
「なにかありました?」
「え? なにかって」
「なんだか今日は落ち着きがないから」
「そんな、ことは」
こんな時、鋭い藤堂の感覚が恨めしい。僕は言葉に詰まり視線を泳がせてしまった。
すると途端に藤堂は目を細めて僕を窺い見る。そして僕は更に右往左往と視線を動かしてしまうのだ。
「あの人にまたなにか、変なこと吹き込まれてないですよね」
「変な、ことじゃないけど」
足早に僕の元へ歩み寄る藤堂に思わず身が縮こまる。別に悪いことをしているわけじゃないし、変なことなど考えているわけではないのだが。
「なに言われたんですか」
「……」
床に膝をつき、僕を覗き込む藤堂の顔が歪む。これは多分怒ってるんじゃなくて、隠し事をされて拗ねているのだろう。
自分も明良と藤堂にしかわからない話をされるのは好きじゃないから、その気持ちはよくわかる。そしてそんな顔を藤堂にされると僕は弱い。
「あのさ」
「なんですか?」
「藤堂は……その」
言い澱む僕に藤堂の視線が和らぐ、ゆるりと持ち上げられた手で優しく髪を梳かれ、やたらと心臓が忙しなく鳴った。
しかしこのまま黙っているわけにもいかず、僕は意を決して言い澱んでいた言葉を発する。
「……やっぱりセックスしたい?」
「え?」
小さく驚きの声を上げた藤堂が、ものの見事に固まった。瞬きも忘れたぽかんとした表情は、藤堂に僕が告白した時にみたそれと全く一緒だ。いや、今はそれより酷いかもしれない。
「藤堂? ……うわっ」
凝り固まった藤堂の目の前で手のひらを振ったら、急に腹の上に藤堂の頭が乗った。
驚いて肩を跳ね上げた僕に対し、大きなため息と共に肩を落とした藤堂は、首を傾け戸惑っている僕をじっと見る。
「すっかり忘れてました。佐樹さんはいつもうぶなくらい可愛いくせに、そういうとこストレートというか、はっきり言うというか」
「ば、馬鹿。三十路過ぎた男がそんなこと恥ずかしがって言う方が気持ち悪いだろ」
思春期の中高生じゃあるまいし、もうそんなことを口にして恥じらう歳でもない。再び深いため息をついた藤堂の頭を撫でつつ、僕は彼の髪を梳いた。
「じゃぁ、なにを悩んでたんですか」
「……そういや、ちゃんとそういうの真面目に考えたことなかったなぁと思ってさ。いつも僕がはぐらかしたり、逃げたりしてたから」
こちらを窺うみたいに目を細める藤堂に、そうポツリと呟いたら、ますます重たいため息を吐き出されてしまった。
確かに何度かそんな雰囲気になり、そういうことも意識しろと藤堂に言われたが、実際泊まりに来て横で何事もなく寝ていると、そんな事すらすっかり忘れてしまうのだ。
「全く、佐樹さんらしいと言えばらしいけど」
しばらく人の腹の上で、ため息やらブツブツ独り言やらを吐いていた藤堂が、おもむろにソファに乗り上げて来た。
「な、なんだ?」
突然身体にのし掛かるように跨られ、起こした身体を再びソファに戻される。軽く押し倒されたようなその状況に、一瞬怯んでしまうが、見下ろす藤堂の表情はほんの少し呆れ気味だけれど優しかった。
身構える僕に苦笑しながら、藤堂はじっとこちらを見つめてくる。その視線を戸惑いつつも見返せば、やんわりと頭を撫でられる。
「前から気づいてはいましたけど、ホント佐樹さんって色事に興味ない人ですよね」
「……かな?」
確かに言われてみれば、淡白かもしれない。歳と共にというのもあるけれど、昔から別にがっつくこともなく、しなければしないでも困らないタチだ。
「藤堂は、やっぱりしたい?」
「それを俺に聞きますか?」
「あ、悪い」
ふっと困惑した表情を浮かべる藤堂に、思わず苦笑いで返してしまった。
「だって、明良が」
「あの人がなに?」
「一緒に寝ててなんにもしないのは若いうちにヤり過ぎて、性欲薄れてんじゃないか、なんて言うから……あ、もちろん冗談でだぞ。それに実際そういうこと何回かあったし、いや、僕が逃げたから悪いんだけど……って、やっぱり僕が悪いのか。我慢させてたよな」
急に細められた目に慌ててフォローするが、藤堂の額に刻まれた眉間の皺が徐々に深くなり、空気がふいにひんやりした気がする。
藤堂が珍しく本気で怒った。どっちに怒ったのかわからないが、多分きっと明良?
「あいつ冗談ばっかりだから」
フォローにもならないが、そう言って僕が苦笑いを返すと、藤堂は眉間に皺を寄せたまま大きなため息を吐き出した。
「一回、あの人……シメて良いですか」
明良と藤堂は意外と仲が良いけれど、あの明良だから藤堂を怒らせることは少なくなくて、容赦なく殴り飛ばされることがしばしばだ。
「うーん。とりあえず怪我がない程度で」
それだけ藤堂が素を見せているのだから、気を許しているんだろうと信じているが……たまにあいつはMなんじゃないかと思ってしまう。いや、明良の場合は相手を怒らせたり、困らせたりして楽しんでいるだけだろうから、有り得ない話だけど。
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