陰日向/3 一番奥まで来ると、そこは若干本棚に明かりを遮られて薄暗い。戸惑いながら藤堂を振り返るが、表情を見る前に腕を引かれてしまい、近くの棚に背中を押し付けられた。 「な、なに……」 思わず大きな声を出しかけるが、咄嗟に藤堂の手で口を塞がれてしまう。驚きながらも藤堂を見上げれば、ふっと目を細め優しく微笑まれた。 「この辺の本を確認してもらえますか」 いまだ僕の口を塞いだまま、少し大きな声で話す藤堂の意図がわからない。僕はじっと彼の目を見つめながら、訝しげに首を傾げた。 「俺がなにも感じてないと思ってます?」 しばらく藤堂を見ていると、ふいに内緒話をするかのような声音で耳元へ囁かれる。優しいその声に、思わず肩が跳ね上がった。 「……なに?」 「俺がなにも気にしてないと思っていますか」 「え?」 やけに真剣な面持ちで目を覗き込まれるけれど、話の流れが見えずよく理解出来なかった。 「佐樹さん、意味がわからないって顔に書いてます。どうしてわからないんですか」 呆れた顔でため息をついた藤堂の手が、力尽きたみたいに口元から離れていった。 「あ、悪い」 肩を落としてうなだれるその姿が急に小さく見えて、僕はここが学校だということも忘れ、思わず藤堂の頭をいつものように撫でてしまった。 相変わらず藤堂は自分の言葉を最後まで、ちゃんと口にしてくれない。いや、僕の理解力が足りなすぎるだけか。 「頭悪くてごめん」 「佐樹さんは俺のものですよ」 「……」 ふいに顔を持ち上げた藤堂に目を瞬かせると、髪を撫でていた手をいきなり掴まれた。そしてそれは瞬く間に背後の棚へ縫い付けられてしまった。 「藤堂、待った」 一瞬何が起きたかわからず目を見張ってしまったが、徐々に藤堂に触れられている手首や心臓の辺りが脈を打ち、やたらと痛くなってくる。 自分たちが恋人同士であるという前に、ここが学校であり、なおかつ数メートル先にはそれを知る由もない生徒がいる……その現実に、僕は軽いパニックに陥りそうだった。 「藤堂っ」 「しっ、あんまり大きな声出すと変に思われますよ」 緊張のあまり喉に力が入り、上擦った声が思いのほか室内に響いた。しかし咄嗟に藤堂が口元を抑えてくれたおかげで、零れそうになった声は全て吐き出す前にせき止められた。 「……だったら」 そんなに顔を近づけて話さないで欲しい。どうしてくれるんだこのポンコツな心臓。 「俺は佐樹さんが思ってる以上に嫉妬深いですから」 「嘘だ。さっきは全然余裕そうだったのに」 二人の話に便乗するくらい、藤堂はしれっとした顔をしていた。ちっともそんな素振りは見せなかった。 「もっと俺が慌てた方が良かった? 俺だって……言いたいですよ、佐樹さんは自分のものだって言いたいです」 「藤堂?」 珍しく余裕のない顔で僕を見る藤堂に、不謹慎にも胸の辺りがキュンとした。 本当は自分もわかっている。あんな状況で藤堂が彼女たちにおかしな反応をしたら、余計に話がややこしくなってしまう。この関係もバレてしまうかもしれない。だからさっき藤堂がした対応は正しいのだ。 「言っても良い? 貴方を誰にも渡したくないって」 「駄目だ、言うな。僕はまだお前と離れたくない」 けれど僕もあの時、嫉妬をしていた。人目もはばからず彼を見つめることができる彼女たちが、正直疎ましかった。これは自分のものなのだと、本当は僕も言いたかったんだ。 「……佐樹さん」 「手、離せ。抱きしめたい」 僕の言葉にひどく安堵した表情を浮かべる、そんな藤堂が愛おしくて仕方がない。 そっと離れていった手を、ほんの少し名残惜しく思いながらも、僕は藤堂の背を強く抱きしめた。一瞬だけ大きく脈打った耳元の心音が、更に藤堂への想いを募らせる。 「好きだ」 そう呟いて僕はぎゅっと指先に力を込めた。そしてまるでそれが合図であるかのように、藤堂の手が僕の両頬に触れ、胸元へ埋めた顔を持ち上げる。 一体自分はなにをやっているのだろうと、ふいに理性が頭を過ぎるけれど、どうしても僕は藤堂を前にしてそれを保つことが出来ない。 ゆっくりと近づく彼に、自然と瞼は閉じられた。 「……ぅ、ん、藤……堂」 触れ合う唇が優しくて、口内を弄る舌が熱くて溶けそうで、鼻から抜ける声を必死で抑えようとする度、息苦しくなって更に縋ってしまう。けれど強く縋りつくほどに、口付けは深くなっていった。 「佐樹さん、愛してるよ」 「……ん」 静かに離れていく目をじっと見つめて、優しい笑みと満ち足りた言葉をもらい、胸の重さはすっかり拭い去られた。 けれど――この場からどうやって現実に戻るのか。それが今僕にとっての大きな問題だ。 「なんだか、僕は……駄目な先生だよな」 藤堂のことになると、周りが見えなくなる自分がいる。それでは駄目だとはわかっているけれど、やっぱり僕は彼に弱い。 「……先生としては、ね。でも俺とこうしてる時は他のこと考えないでください」 「頼むから、これ以上僕を駄目な大人にしないでくれ」 そんな風に、至極幸せそうな顔で笑われると、全部どうでもいい気がしてくる。 いつでもこうして一緒にいられるわけじゃない。人の目ばかり気にしなければいけないことが多い。 だから――こんな瞬間は時間が止まってしまえば良いと、僕は思ってしまうのだ。 [陰日向/end] [*back] |