黒幻の影を踏み潰す(沖田+近藤)
「先生、時折ね、猫が訪れるんですよ」
「猫?」
「そう、全身真っ黒で、鈴をちりんちりんって鳴らしながら、僕の枕元まで来るんですよ」
それは寝言を呟く様な口振りで、瞳は虚ろに虚空を写し出していた。
すっかり削げ落ちた頬の肉が痛々しく、正直真っ直ぐに見つめるのが心苦しかった。
しかし、それでも総司から視線を逸らす事をせず、彼の言葉一つ一つを噛み締める様に耳を傾ける。
「その猫の、目が、僕を見下す様で、憐れむ様で、僕、その猫嫌いなんです」
「そうなのか」
「だからね、斬ってしまおうと思ったんですよ、もう見下されないように、憐れまれ無いように」
「…………」
「でもね、斬れないんですよ、刃は届いてる筈なのに、幾ら振っても、振っても。いつの間にか庭のあの木の下まで降りて、何処かへ行ってしまうんですよ」
ついと示した指の先へと視線をやると、一本の松の木が静かに其処に佇んでいた。
まるで熱に浮かされた様に喋る総司は、何処か畏れを抱いているかのように瞳を揺らしていた。
「ねぇ、先生」
「なんだ総司」
「僕はもう遣えない人間になってしまったのですか」
「…っ、何を言い出すんだ総司」
「もうすぐこの痩せこけた腕は刀を振るう事も出来無くなってしまう、僕はもう…」
「総司っ」
落雷が落ちた様な激しさを含ませた、張りのある野太い声で、幼子諌める口振りで総司の名を呼ぶ。
「なぁ頼むからそんな事を言ってくれるな。お前は治る、まだ俺の傍で、沖田総司は必要なのだ」
瞼が熱い。
しかし此処で涙を流す訳にはいかない。
今にも震えそうな声音を腹に力を入れて、揺らぐ事の無い音を紡ぐ。
「ねぇ先生、僕は、黒猫を斬る事が出来るでしょうか」
「……あぁ、出来る。必ず」
昔、不安な事があると勇に必ず問いただして来た。
そしてその不安を払拭させる様に、優しく笑みを浮かべ、己より一回り小さい彼の頭を撫でる事が二人のやりとりであった。
総司に宿る病は刻一刻と蝕んでいる事は誰の目にも明らかであったが、しかし、諦める事など考えもしなかった。
「そろそろ休め総司」
「帰ってしまうのですか、先生」
「ん?お前が寝付くまで此処に居るぞ。そうだ久々に昔語りでもしようか」
「ふふ、聞かせて下さい」
「じゃあ何を話そうか」
「そうだな、じゃあ…――」
昔話に花を咲かせる中、それをひっそりと覗く猫の影があった。
そっと此方を覗いていたが、ふと背を向けていづこへと消え、その影に誰一人として気付く事は無かった。
後書き
前も黒猫ネタ書きましたが、もう一度挑戦したくて…
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