HEAD
2(R15)
 寝起きのせいか珍しく歯切れの悪い臨也に促されるまま靴を脱ぎ、玄関に揃えて臨也の食卓につく。手際良く作られたフレンチトーストの甘い香りに腹が鳴った。
「人間らしい食事が珍しい?」
 笑われても、腹も立たなかった。
 それは紛れもない真実だ。どうせ静雄の食事など実家を出て以来この方、来る日も来る日もファーストフードかコンビニ弁当である。それに不都合を感じたことはなかったけれど、いざできたての手料理なんかを朝から見てしまってはどうしようもない。やっぱり、こういったものに飢えてはいたのだと思った。
「俺ね、君がいてすごく驚いたんだ」
「──悪かった」
 腹が膨れたら、謝罪の言葉も素直に零れた。どんな理由があったにせよ、そしてまた記憶に残っていないにせよ、呼ばれてもいないのに侵入したのはきっと静雄だ。
「うん、でもね…嬉しかったんだ。どうしてかわかるかい」
 そしてまた、臨也も常になく素直だった。これは彼が寝起きだからなのだろうか。もしそうであるなら、臨也は平和のためにももっと睡眠時間を増やすべきだと思う。
「いや…わからねえ」
「俺もわからない。俺達はあんなにも憎み合っていたのにね」
 憎み合っていた、それは確かだ。それは全てではなく一面的な見方でしかない。だが、それを表現する言葉を静雄は持っていなかった。
 臨也は食後の紅茶をゆっくり口に含み、小さく肩を竦めた。
「俺、君のことが好きだったんだよ…知ってた?」
 静雄は大きく目を見開き、笑う臨也の意図が読み切れず、落ち着こうと持ち上げた紅茶のカップを口に運ぶまでに取り落とす。零れた紅茶を箱から引ったくったティッシュで拭い、愕然と臨也を見る。
「──知らなかったかもしれないね」
 知っているとか知らないとかではなかった。そんなことより、そんな話をしてしまうのが、臨也が静雄の気持ちに気付いていた証拠のように思われた。
 幾度となく痛い目を見せられていることは、忘れたくとも忘れられはしない。だが、彼の言葉を真っ向から否定することはできなかった。
「──臨也」
 臨也がゆっくりと腰を上げ、その手が静雄へ伸ばされるのを息を飲んで凝視する。ふ、と笑った臨也は静雄の前の皿を回収していった。
「シズちゃん。あの壁、弁償してね」
「──ああ…」
 拒む理由はとっさに浮かばなかった。いくらあの臨也の、とはいえ今回に限り臨也のせいにしてしまえる根拠が静雄にも見つけられない。
「それでさあ…お金のない君に、また借金が増えるわけだけど」
 流しに皿が触れる音がいやに大きく響いた。
「仕方ねえよ…元々だ」
 何故だかやたらと喉が乾く。カップに少しだけ残った甘い紅茶を呷り、小さく息をついた。
「お金を返す選択肢は、真っ当である必要はないと思うだろう」
「お…もわ、ねえ」
 臨也の手がまたこちらへ伸ばされる。温かい手が静雄の頬を包むように触れた。柔らかな力に促されるように顎を上げる。何かに濡れた紅い瞳がいやに真っ直ぐ静雄を捉えていた。
「そう? 借金取りだってマトモではないんだ、どんなことだって同じじゃないか」
 いつもより甘く響く声が催眠術のように耳朶に絡む。小さく喉が鳴った。
「それに俺は特別なことを望みはしない。ただ、普通の人間なら多かれ少なかれ経験することを、俺と──それで少し、不問にしてあげてもいいと言ってるんだよ」
 ねっとり絡み付くような声音が不快で、そして不快なだけでないから緩くかぶりを振る。凪ぎそうになる心を奥歯を噛んで抑えつけ、臨也を精一杯睨もうと瞳に力を込める。
「──はっきり言え」 稍あって漸う漏れた声は、既にうべなっていた。
「セックスしようか」


2019.2.5.永


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