HEAD
気まぐれ
 日がすっかり昇った頃、静雄は寝苦しさに眉根を寄せた。寝返りを打とうとする腰に何かが絡まっている。
 小さく唸ってゆっくりと瞼を持ち上げると、眼下に黒い髪があって、その意味を俄かに認識出来ず数度瞬き徐に上体を起こす。体に回されていた臨也の腕がぱたりと布団に落ちた。
 静かに深い呼吸を重ねる彼の姿に大きく目を見開きその肩に手を伸ばす、が触れる直前でぴたりと止めた。
 ややあって室内をぐるりと視線で一撫でし、覚えのない部屋の意匠にそっと息を飲む。黒っぽい部屋はきっと臨也にこそ似つかわしい。なんで、とか、どうして、とか、そんな言葉がぐるぐる巡るが、眼前の大破した壁とその向こうに広がる新宿の街並みから察するに、乱入したのは己であるだろうことは確かだった。問題は、昨夜トムとヴァローナと飲んでいた以降の記憶が一切ないことと、部屋の主が警戒もなく隣ですやすや眠っていることだ。
 混乱する頭を落ち着けようと数度深呼吸を繰り返し、もう一度臨也を見下ろす。
 眠っていれば普段の忌々しい毒もさほど感じられず、可愛らしくすらあった。そしてその印象は不本意ながら、学生時代の非常に腹立たしさを伴うときめきをも呼び起こした。
 あの頃は、忘れてしまいたいくらいだが、それでも確かに彼を好いていた。告げたことも、告げようと思ったこともないけれど、これは真実だ。ろくでもない男であるのは骨の髄まで知っていた。だから、互いの間に何の関係も産まれずとも不満はなかった。なのに、一人生理反応を宥めるときにはいつも、彼の面影が脳裏をちらついて、いつまでたっても消し去れない、そんな日はもう十年近く前ではあったが、確かに存在した。──だから、酔った勢いで来てしまったのかもしれない。
 静雄は大きく息を吐き、そっとベッドから抜け出した。絡む寝具は静雄のものより暖かく柔らかく、名残惜しい。
 それでも振り切って這い出し、自分の空けたのであろう大穴に近付く。歪な縁に手をかけ、そこから帰ろうとしたとき。
「シズちゃん」
 背後から聞こえた声にぎくりと肩を跳ねさせた。
「臨也…?」
「もう帰るの?」
 もう、といったって既に日は高い。特に予定はなかったが、臨也と二人きりの朝などと考えたこともないのに、今現実におきている。
「──邪魔したな」
「そう…」
 とさ、と軽い音がして臨也がベッドから飛び降りた。
 ぺたぺたと近付いてくる彼を息を飲んで見つめる。
 正面に立った彼を見下ろした。サングラスのない視野はとてもクリアで、こんなに遮るものなく臨也を見るのは学生以来かもしれない。
「土足で人のベッドで眠るなんて、なかなか豪快すぎるだろ」
 言われて改めて己の格好を見下ろした。靴はもちろん履いたまま、寝乱れたバーテン服のポケットに無造作に突っ込まれたサングラスは無事だろうか。
「──だからなんだ」
 稍あって零れた声は臨也に相対しているとは思えぬほどに凪いでいた。
「うーん…そうだな。もう少し、ゆっくりしていかないか?」


2019.2.1.永


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