HEAD
心を裂いた指先は優しく(R18、流血)
こっそり来て、そそくさ仕事を済ませて、さっさと引き上げようと思っていた、池袋。
なのに、自分に気づかず上司に微笑みを向ける静雄が視界に入って臨也は、考える前に彼の眼前に飛び込んでいた。挨拶代わりに服を切り裂き踵を返す。走りながら後ろを振り返ると、血相変えた彼が追ってきていた。
さっきまでの甘やかな雰囲気は当然の如く何処にもない。それを認識した途端、そんなに走った訳でもないのに、呼吸が乱れた。
投げつけられた自動販売機を避けて彼の懐に飛び込む。通行人は、疾うに皆避難してしまっていた。
剛く輝く左瞳にナイフを突きつける。勢いはサングラスに阻まれ、値が張るのだろうそのガラスに罅を入れた。
ぴしり、とレンズに走った線がほんの一瞬、彼の動きを止める。その隙を逃がさず唇を押し付けた。刹那の温もりを奪い取り、飛び退って距離をとる。
「今夜、行くね」
そう言って背を向ける。彼はもう追いかけてこない。あぁそうだと振り返ると静雄は、不機嫌そうに眉を寄せて臨也を真っ直ぐに睨みつける。
「待ってなくていいから」
その視線は、臨也が角を曲がり、人混みに紛れるまで纏わり付いてきた。
今日、たまたま彼がそういう気分であったなら、アパートの鍵は外れているのだろう。そうでなければ、針金一本で抵抗なく開く錠がおろされているはずだ。
どちらでも、大した違いはなかった。臨也さえその気なら扉は開かれるのだし、始まってしまえば、体の欲求に従順な静雄が拒むことはない。
もう、ずっと続く肉体関係は、殺し合いの歴史よりやや短いもののほぼイコールだった。
甘い言葉も、愛の告白もないセックスには、いつも虚しさが付き纏った。
彼が笑顔を向け、気遣い、大切にする存在はいくらかあるが、臨也は決してその中の一人にはなれない──なりたくもなかった、たくさんいる中の一員になど。
しかしそれにしても、彼が自分に向ける眼差しには、いつも敵意が伴われている、そう、最中に甘く濡れたそれにさえも。当たり前のことだ、と思うが、やはり嬉しくはない。
いいことなんて一つもないのに、臨也はその体を幾度も抱いた。彼にも益などないであろうに、静雄はその体を開いた。
終わる度、これで最後にしようと思いながら、数ヶ月後にはまた声をかける。
虚しさが募る。少しずつ蓄積された虚無感は、心臓の痛みとして表れた。
この想いが何なのか、臨也は既に知っていた。そしてそれに、気付かないふりを続けている。
形にしたところで何かが好転するはずもない。ただ目を瞑っている限り、‘次’が二度と来ない日が訪れても、傷つくことはないはずだった。
果たして部屋の鍵は外されていた。
臨也が土間に踏み込み扉を閉めると、風呂上がりらしくほこほこと体から湯気をたたせた静雄がちらりとこちらを見る。
「靴は脱げよ」
興味なさそうに口にして、彼はコップの牛乳を飲み干した。
「シズちゃん」
言うことをきかずに土足で踏み入り、静雄の腕を引く。重ねようとした唇は、ひんやりと冷たいコップに阻まれた。
小さく舌打ちしてそれを払い除け、足元に落とす。
ガラスの割れる音がした。
眉をひそめた彼の腰を抱き寄せ喉元に食い付くと、静雄はもう何も言わずに目を閉じた。
靴の下でじゃりじゃりと、ガラスの触れ合う音がした。
喉仏を一舐めして肩口を軽く齧る。静雄の前開きのシャツのボタンをひとつ、ふたつと外す。
臨也は静雄のシャツを両手で掴んで開き、胸元に口を寄せた。上目遣いに見上げた彼の剛い瞳は硬く閉じられている。
「──ん…」
微か漏れた甘い音は、彼が唇を噛むことで、くぐもったものになった。
仄赤い胸の突起に歯をたてると、後ろ手に壁についた静雄の手がぎゅっと握られる。
「──目、開けてよ」
彼の瞼は持ち上がらない。
シャツを思い切り左右に広げると、まだ残っていたボタンが2、3個床に転がり軽い音をたてた。
股間を膝で押し上げると、びくん、と体が震える。
「誰に何をされてるのか──見てろよ」
静雄の反応はない。
彼の茶色い瞳が自分を捉えたところで、それが上司に対するように優しく弛むことなどないと知っている。
胸の飾りに強く噛みつくと、掠れた吐息が零れた。
硬く目を閉じ、声を抑えて。
そんなに嫌なら、どうして拒まない。もし、嫌でないのなら、どうして俺を見ない。この十数年、何度も、何度も浮かんでは沈められた想いがまた過る。
臨也は舌打ちして、下着ごとまとめて静雄の、ベルトのないズボンを膝まで引き下ろした。
僅かに反応したしずおを一瞥し、睾丸を膝で乱暴に押し上げる。かれは、面白いように力を失った。
「──痛い?」
その衝撃の大きさを知った上で負荷を大きくすると、肩口を荒く掴まれた。その痛みに臨也の眉が寄る。
しかし、それを与える静雄の手は震え、額には脂汗が滲んでいた。食い縛った歯から漏れる静雄の低い呻きに、自然と口の端が持ち上がった。
徐に膝を引くと、彼は壁に沿ってずるずると座り込む。ようやく臨也を捉えた瞳は普段より水気を増して一層強い光を放っていた。
「──って、め…」
「優しくされたいの、オンナみたいに?」
牡の眼が、黙って臨也を見据えた。
正視できずしずおを掌に掬いあげる。二、三度柔らかく形をなぞると、かれはゆっくりと硬度を取り戻した。
邪魔な衣類を引き抜いて、臨也はそっと彼のものに口を寄せる。ちらり、と見上げた瞳には、軽侮と期待、微かな揺らぎが渦巻いていた。
──悪くない。
痛いくらいの視線を意識しながら、大きく口を開いてしずおを迎え入れた。
床についた膝を、ズボン越しにガラスが鈍く抉る。
幹に舌を絡めて吸い上げると、眼前の腹筋がひくついた。温かい手に後頭部を軽く押される。
かれを含んだまま見上げると、きつい眼差しが臨也を睨んだ。髪をぎゅっと握られて顔をしかめる。お返しに歯をたててやると、彼の内腿が小さく痙攣した。
睾丸の奥にちらつく秘腔は、堅く口を閉ざしていた。最近は女ばかり相手にしているようだから当然か、と納得する。別に操をたてている訳ではないと知っていても、気分がいい。
臨也は完全に勃ちあがったかれを吐き出し、それが纏うぬめりをおざなりに指先で絡めとった。そのまま後腔に指を一本潜り込ませる。彼の瞳の奥に怒りの影が走った。
しかし、静雄はゆっくりと息をつき、その瞼を閉ざす。
──また、見えなくなる。弟や上司には気軽に見せる笑顔を自分にも、などと言っている訳ではないのだから、俺を見ることくらいしたっていいじゃないか、と臨也は思う。
行為を拒む訳でもないくせに。
臨也は指を引き抜き、ポケットから取り出したローションを彼の後ろに、そしていざやに軽く塗り付けた。潤滑剤なしでは辛いのは、静雄だけじゃない。
太腿を掴んで大きく開かせ、ろくに慣らしてもいないところに押し込んだ。
彼の頬が引き攣る。瞼は持ち上がらない。意地になったように閉ざされたその目元を指先でなぞる。
昼間見た、上司のための微笑みが脳裏を過った。
この目は、俺を見もしない──狭いばかりで湿気の足りない後腔は、苦しいぐらいの力でいざやに食い付いた。
閉じた左目に触れた手が、微かに震える。臨也は左手で右手を引き剥がし、体内から彼を揺すぶった。
彼の吐息が臨也の髪に当たる。床に散らばるガラスが、ちくちくと臨也を苛む。
痛い程に握りしめた拳を、彼の横顔を掠めて壁に押し付けた。
眉が寄せられてはいるものの、剛い光を自ら隠した彼は、ぞくりとする程綺麗だった。
そう、電気の光をはねかえし、きらきらと床に輝くコップだったもののように──綺麗だった。
一度この瞳が露になると、決して自分に懐かない。何度体を重ねても、その眼差しは和らがない。臨也が何をしても、変わらない。
ぎくしゃくと開いた右手が、静雄の喉元に吸い寄せられた。
「──殺すのか」
淡々とした声が聞こえた。その瞼は開かれていない。手が震えた。
「──っ…殺したいよっ!」
壁に左拳を叩き付ける。静雄の髪が僅か揺れた。
「ずっとずっと──殺したいよっ!!」
殺したら、少なくとも彼の肉塊は手に入る。
静雄の喉を押さえた右手が震えた。ゆっくりと瞳が開かれ、彼はにやりと不敵に口唇を歪ませる。
「俺もだ」
静雄は自分の首にかかった手はそのままに、臨也の首筋に触れた。
「俺もずっと、てめぇを殺したかった」
一瞬きゅっと気道を封じてその手はあっさり下ろされる。
咳込む臨也を見つめる瞳には、強い光が鎮座したままだった。
繋がったままの中が誘うように蠢く。
「──殺したら、いいじゃない」
なんとか衝撃を逃がして、臨也は無理矢理唇の端を持ち上げる。
「シズちゃんには、できるでしょ」
「──やらねぇんだよ」
「どうして」
真っ直ぐな怒りが、臨也を鋭く刺した。
「お前でも、殺したら幽に迷惑がかかる」
かあっと目の前が真っ赤になった。乱れる呼気を臨也は力ずくで抑えつける。
「殊勝なことだね。損得計算なんか獣には必要ないんだよ」
低い声を噛み締めて睨みつけた瞳は、黙して燃えていた。臨也じゃない、彼の大切な人を思って。
「──首なんか絞めたって、どうせ死なないでしょ」
臨也は掠れた声を捻り出した。
静雄は驚きもなく、離れていく臨也の手を見送る。
臨也は、足元に散らばり煌めくガラスから、目立って尖った鋒を持つものを一つ、選び出した。それはすかさず指先を裂き、あふれる朱を曲面に吸い上げた。
臨也は空いた手で静雄の左瞳の縁を辿る。
「ここなら、刺さるでしょ」
乾いた声と、震える手。
忌々しい。
静雄は鋭い瞳のまま、唇の端を吊り上げた。
できるはずがないと高を括っているのか。それとも──
「いざや」
表情に似合わぬ柔らかな声が名を呼んで、持ち上がった彼の手が、優しく臨也の頭を撫でた。臨也はぎゅっと唇を噛む。
「──シズちゃん」
声が揺れた。臨也の紅が一滴、静雄の角膜に落ちる。
静雄の表情は変わらない。
臨也の頭部を、温かい手がそっと抱いた。
息があがる。
自分の血液に塗れたガラスを、力一杯彼の左瞳へ押し込んだ。
微かな抵抗を見せながらもそれは、元々それが自然であったかのように吸い込まれていく。胎内が今までにないほどにつよく、いざやを絞め上げた。その痛みに、臨也の視界が歪む。
残された右瞳は真っ直ぐ強く、臨也を睨みあげた。
「シ、ズちゃ──」
頭を引き寄せられた。
嗚咽が漏れる。
凶器を放り出して臨也は静雄の体に抱きついた。
「っ──てぇなぁ…」
腹にナイフを突き立てたときのものと、今、彼の喉から漏れた響きに大差はない。
静雄の紅と、臨也の無色──二人の瞳からあふれる液体が、互いの頬で絡み合った。
昏睡様に提出させていただきました。
2011.5.21.永
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