LOSE
迷子のおうち
 今時珍しい木の家は、作っている最中から楽しかった。チェーンソーで玉切りし、平面カットし、スクライブ幅を刻んだり、そういった作業のひとつひとつから木の匂いが立ち上り、丸太を組み上げたログハウスが形になっていくのは、鉄筋の建物とまた異なる風情があった。その棟上げが終わり、大工仲間と喜びふと振り返ったところに臨也がニヤニヤ笑って立っていた。
「おつかれさま」
 無造作に差し出された冷たいスポーツドリンクに素直に喜ぶ連中に少し休憩しようと告げ、作業現場の隅に臨也をいざなう。
「何か用か」
「用がなきゃ来ちゃいけない?」
 そんな台詞を聞いて納得できる関係は、一週間前に終わらせたはずだ。あの門田の覚悟を、臨也も諾ったはずだった。
「俺は仕事中だ」
「休憩中だろ?」
「──とにかく、お前と話すことはもう何もない」
 理解しないのなら、可能な限り冷たく接するしかなかった。
 臨也にいつもいつも振り回されて、周囲を傷付けられ、キッパリ手を切らねばならないと決めたのだ。
「──また来るよ」
 臨也は肩を竦め、踵を返した。
 プライドの高い臨也は傷付いたような素振りは見せなかった。門田の別れ話も拒絶も、まだ真実関係が終わったという実感に繋がってはいないのだろう。まだ彼に対する想いが残っている自覚のある門田には、異様に口と頭の回る男とどう縁を切ればいいのかもうわからなかった。


 仕事が終わって携帯を見ると、新羅から電話が入っていた。以前連絡先を交換する機会はあったが、奴は基本的に自分の彼女に夢中なので門田を構おうとすることなどほとんどない。ということはおそらく、臨也に頼まれでもしたのだろう。
 少し迷ったが、奴を味方につけることでこのゴタゴタの解決が近付く気はした。積極的に動くことはまず期待できないが、臨也がマトモに話を聞こうとする人物の一人ではある。
 門田は仕事仲間と離れ、住宅街を駅に向かいゆっくりと歩きながら新羅にコールバックする。渡草がぶつけたバンはまだ帰ってきていない。
「もしもし、門田君?」
 数コールで出た新羅はひどく不機嫌な声を出した。
「ちょっとこれ、引き取りにきてよ。今はどうだか知らないけど、何年も君のだったんだろう?」
 しかも話をまるで聞く余地もなく、勝手にまくし立てる。この闇医者が長年臨也と親友でいられるわけだ、と変に納得した。
「俺とあいつはもう関係ない」
 自分に言い聞かせるためにもそう唸った門田に、新羅は小さく息をついた。
「何があったのか知らないけどさ…いや、普通の人ならとっくの昔に愛想を尽かすようなことを折原君がたくさんしてきたのは知っているけど──でも、終わりにしたいなら、もっと信じるしかないように追い込むべきだよ。そんなに辛そうな声なら、第三者の僕だって話し合う余地を感じるもの」
 新羅の呆れたような声は、存外に優しく響いた。そのせいか、とりあえず引き取りに来てと重ねられた言葉を今度は拒めず、顎を引いていた。

 初めて訪れた新羅の部屋は、外観は闇とはいえ医院であるなど言われなければわからないようなところだった。確かに、看板を出して稼ぐわけにもいかないのだから仕方ないのだろうが。
「いらっしゃい。待ってたよ」
 チャイムにすぐに応じた彼は、あっさりと門田を招き入れ、簡易のベッドが置かれた部屋へ通す。頭まで布団を被った臨也らしき人を見下ろした。
「──で?」
「うん、連れて帰って。邪魔だからさ。適当に出て行ってくれていいよ、どうせオートロックだし」
 しかも新羅は言いたいことだけ言ってさっさと行ってしまう。
 どうしたものかな、と溜息を吐いた瞬間、布団の塊からくぐもった声がした。
「ドタチンは俺のことが嫌いになったわけじゃないんだろ」
 その音はやたらと強く響いた。しかも、門田はそれを即座に否定できなかった。
 臨也に振り回され続けることにはうんざりしていた。彼がろくでもない外道であることは知り抜いていた。だが、こう見えて可愛いところもあるとか、そんなことまで脳裏を過ぎり、暫し声も出なくなった。
「嫌いじゃないならさ、どうして別れたいなんて言うんだよ」
 その沈黙は、臨也に察してはいけないことまで理解させてしまったらしい。ゆっくりと布団を剥ぎ上体を起こした臨也の紅い瞳には強い光が灯っていた。
「俺は──」
 今なら臨也は聞く耳を持っている。今こそ、三行半を突き付けるべきだとわかっていた。今、この瞬間に別れようとたった五音を重ねたなら、臨也との縁を永遠に断ち切れる。そう、永遠に、だ。
 だがその音を舌に載せようとするとあまりに苦々しい想いが喉を塞ぎにくる。
 彼と重ねた時間がどんなに幸せだったか、こんな男ではあったがどんなに愛しく、守ってやりたいとすら思ったか。今思い出してはいけないことが溢れ出し、思考をひたひたに溶かしていく。
 気がつくと門田は、臨也の痩身を強く抱き締めていた。
 嫌ってなどはいなかった。人心を操ることに長けた臨也に騙されていたのだとしても、彼を好いていた己の心だけは本当だった。だからこそ、門田の大切なものでも容赦なく引っ掻き回し、傷つけてしまう臨也を厭ったのも事実だった。
 しかしそれを考慮に入れても、悔しい程に彼を好いていた。
 臨也の手がおずおずと門田の背に回される。計算かもしれないとわかっていても、濡れた紅瞳に理性ごと揺らぎそうになる。
「俺…ドタチンが好きだよ。別れたくない」
 他人には決して聞かせぬだろう弱々しい音に眩暈がした。


2019.8.3.永


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