GORILLA
5(R15)
 ハンカチなんて気の利いたものがあるはずもなく、明るくなってしまった後の対応を考えようと頭がぐるぐるする。そうしている間に手が勝手に持ち上げられ、近藤の肉厚の舌で清められた。そのあつい舌がぬるりと指の股を、掌を辿った感触に股間も頭もしっかり骨抜きになったところで、何事もなかったように身支度を整えた近藤にきらきらした瞳で促されるまま薄暗い館内を出た。半ば機械的に彼に手を引かれて歩き、気がついたらラブホテルの布団に座っている。
 近藤の性欲が常人より強いことは知っていたが、いくらなんでもこれはないだろう。それはもちろん、原田とて男であるからには、ムラムラも悶々も経験はあるけれど、だがしかしこういうのは、こんな感じでしてしまってはいけないだろう。このご時世に婚前交渉はできないとまで堅いことは言わないけれど、いくら薬に侵されていたとしても、付き合ってもいない者と体を重ねようとしてはいけない。近藤が今平静でないことは知った上で、しかしこの軽さではこんな大層な薬でなくとも突っ走って行ってしまいそうで、酒を飲む度に脱ぐくらいなら構わないけれど、その勢いで行きずりの経験などさせてはならないと謎の正義感が燃え上がる。
「局長…っ…」
 だが、こんこんと説教してやらねばと思うのに、熱に潤んだ瞳でじっと見つめられてしまうと何をも言えなくなり奥歯を噛む。
 可愛い。こんな、筋肉をたっぷり纏った男に対する形容ではないと分かっているけれど、可愛い。この可愛さはいけない。映画館で吐き出せぬまま有耶無耶になった股間を直撃する可愛さだ。可愛いけれどそのまま押し倒すのは、原田の常識が許さない。しかし可愛い。
 頭の中がぐるぐるして、髪のない頭部からどばどばと汗が滴り流れ視界すら遮る。
「原田ァ、なァ、しよう?」
「し…よう、って、アンタ、自分が何言ってるか分かってるんですか」
「なァ、俺とするの、そんなに嫌か?」
 女でもやらないようなあざとい甘え声が、1周回って可愛い。
 頭の中が沸騰していくのがわかる。思わず唇を近付け──たところで原田の懐で携帯が鳴り出した。
 突き放すように近藤から離れ、着信者を確認する。山崎の名に、頭の芯へ冷水を浴びせられたように冷えるのがわかった。
 近藤は、原田が好きなわけでも、原田に欲情しているわけでもない。ただ、薬に酔っているだけ──と、ついさっきまでわかっていたはずなのに、あの厚い唇を貪ってしまいそうになった。山崎が止めてくれなければ近藤が我に返っても行くところまで行ってしまったかもしれない。なにしろここはそういうことをする場所だ。
「──原田…」
「──すみません。ちょっと、電話します」
 近藤がどんなに傷付いた表情をしていようと、それを見たら心が揺れてしまう。原田がどんなに真摯に、そういったことも含めて近藤を好いていたとしても、その弱みに付け込むようなことはしてはならない。
 原田は近藤を視界に入れぬようにして浴室に入り、ガラス戸を背で押さえた。ラブホテルだけあって全く視界を遮らぬ透明に拭き磨かれたガラスのお陰で、悄然とベッドに座る近藤の背が見えた。それを視界の端に入れ、そんなことをしている間に切れてしまった電話を折り返す。
「原田? 今どこ? 局長は?」
「あァ──まァ、それはともかく何かわかったのか」
 あまりにも下手な茶の濁し方に、聡い山崎は何かを察したようだが口にはせず、話を続けてくれた。
「うん、局長さァ、わかってて飲んだんじゃねーかなって」
「…でも、その挙げ句風呂で倒れてたら、誰に見つかるかわからないだろう」
 誰に見つかるかわからないということは、この場合誰に恋してしまうかわからないということだ。つまり近藤があの逞しい体と可愛い態度で誰をラブホまで連行してしまうか、近藤自身でさえ制御できないということになる。しかも、惚れ薬だ。飲ませるのならともかく、自分が飲んだ挙げ句にそれでは何のメリットも期待できない。
「うん…たぶん、あんな感じになる予定じゃなかったんだと思うんだけど──でも、局長、自分でアレ飲んで、体綺麗にしてさァ。お前の部屋に行こうとしてたんじゃないかなって」
 小学生の作文と揶揄される山崎の報告書と同様、なんとも説得力に欠ける表現ではある。だが、友人としての付き合いの長さから、言い方はこんなのだが山崎は彼なりに充分に証拠を手に入れないとこういうことは言わないとわかっていた。
「──どう思う?」
「どうって何がだ」
「お前のこと、局長がホントに好いてるんだとしたら、どう思う?」
 原田は数歩よろめくように後退り、湯を張っていないバスタブの縁に腰を下ろした。
 視界から近藤の姿が消え、それなのに高鳴った鼓動は治まることなく鼓膜をがんがん揺さぶった。
「っ…わからねェ」
 吐きなれぬ嘘は、自分でもわかるほどに説得力を持っていなかった。
「そっかァ…じゃァまァごゆっくり。いただいちまってもいいと思うよ、それは原田の据え膳なんだからさ」
 言いたいことだけ言ってぷつっと切られた電話を即座に耳から離すことすらできずにプープーと無機質な電子音をじっと聞く。
 そんなはずないと斬り捨ててしまうほど、原田は山崎を信じていないわけではない。だが、ではと近藤を安心していただくのも何かが違う気がした。


2021.8.9.永


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