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chu
ありがとうの数だけ


「……」

「やだっ、一希ちゃんったら、歯ブラシ落としたわよ!」






ありがとうの数だけ





「…何してるんじゃ」

「ほらほら、泡が床に付いちゃってる」

「瑞垣」

「一旦洗うわね」

「瑞垣」

「ふふ、おっちょこちょい、な、ん、だ、か、ら、!」

「瑞垣!」


声を荒げると喉が痛かった(風邪ひいとるやつに大声を出させるな!)

「なんや、そんなに怒らんでもええやろ」


一希ちゃんのケチー
渋い顔をしながら、海音寺は口に水を含み、ぺっと吐き出す。
キツいミントの香りが鼻をついた。


「くるなっていったじゃろ、あほ!しかも今何時じゃと思ってるんじゃ、終電行ってしまうぞ!」

「だって家の人誰もおらんのやろ?もし何かあったら困るやないか」

「…そうじゃけど、でも、うつるぞ」

「ふふ、あほやから大丈夫でーすぅー」

語尾をのばしながら、歯ブラシを洗った後の濡れた手で、俺の頬をつついてきた。眉間にしわをよせるとキャー怖い!なんて言いながらゲラゲラと笑った。


「くるなって言ったのに…」

軽くせき込みながら瑞垣を見ると、いかにも楽しそうな表情をしていて、何だかやるせない気持ちになってしまった。


「心配してくれたの、まぁ有難う!」

「してない」

「やだ、照れちゃって、かーわーいーいー」

これは熱のせいで赤いんじゃ!
せっかく歯磨きをしてベッドに入ろうとしていたのに、思わぬ来訪者のために、しばらく入ることが出来なくなったベッドへと、視線を走らせる。ふわふわしている布団に早くダイブしたい。

「…それじゃあ隣りの部屋で寝てきたらどうじゃ」

「は?」

「用が出来たらメールでも電話でもする」

ぐいぐいと瑞垣の背中を押し、ドアのほうへ押していく。体が火照り、汗をかく。少しの運動さえも負担になる。
首だけ瑞垣は俺のほうへ向け、にこやかにウインクした。

瑞垣の顔を見た瞬間ぞくりと悪寒がした。
ウインクに対してなのか熱のせいなのか定かではないが、気持ち悪い。


「…う゛ぇ」


しゃがみこむ。胃がせりあがるような感覚。思わず手で口を覆う。

「海音寺!」


は、としたように瑞垣が海音寺のそばにしゃがみこむ。

「う゛…気持ち悪い」

「…吐くか?大丈夫や、落ち着け」


ぽんぽんと優しく背中を叩かれ、撫でられる。
普段とは違って真摯な声に少し酔いを覚える。
ぐるぐると目の前が回る感覚。頭にずきりと鈍痛がはしった。


「寝、る…」

よろよろと這いつくばるように、ベッドへ近づく。ベッドへ上がろうとするが、足が上手いようにあがらない。

「ほら、」

手を差し伸べられる。その手を掴むと、ぐっと引き上げられた。
そのまま軽くバスケットを被せられ、横に寝転がった。

「はよ、寝」

「瑞垣、うつる…」

「あほ、そんなのかまえへん」

「でも」


すっと瑞垣は海音寺のほうへ手を伸ばし、唇に指をあてた。


「ええから」



ええから、だから、はよ寝な。大丈夫、一希ちゃんが寝たら俺も帰るから。
チクタクチクタク、時計の音が耳にはりつく。まるで子守歌のように耳に優しい。瑞垣に目隠しされ、目をつぶる。すると、すぐに眠気が襲ってきた―…
















「……う、ん」


すっと海音寺は目を覚ました。
汗ばんだ体が重い。
先ほどの吐き気のような気持ち悪さは消えたが、まだ体は重かった。
2、3回まばたきをして、ぼやけた視界を鮮明にすると、上半身を起こす。
ずる、と額から濡れたタオルが落ちた。

チクタクチクタクと時計の音が聞こえる。
辺りを見回してみるが、人の気配はなかった。
窓の外に目をやると、まだ暗闇で、目を細めてみても何も見えない。


「瑞垣」


しんとした部屋に声が通る。
“一希ちゃんが寝たら俺も帰るから”
先ほどとはうって変わって時計の音がやけに悲しく聞こえる。

布団の中に潜り込み、目をつぶる。ぎゅっと力をいれてみるが、眠気はなく、時計の音が耳から離れない。

なんだかその音を聞いているのが嫌で、両手で耳を塞いだ。

とたんに瞼の奥が熱くなる。目をぎゅっと瞑っているはずなのに、端から涙が滲み出た。







「…海音寺、どうしたんや?しんどいんか」

「っ…?」

ギィィと音をたてて、ドアが開いた。
水をいれた容器を瑞垣は持っていた。中の水がちゃぷんと音をたてる。


「み、ず…」


……瑞垣


「水か?今、タオルを濡らしなおそうと思ってな…ちょい待てよ」


「みず……」



…違うそうじゃない…瑞垣、瑞垣


「あ、飲み水か?ちょお待っとけ、持ってきてやるから…」


瑞垣は、容器を床に置き、もときたドアから出て行こうとする。


…瑞垣、瑞垣、瑞垣!



勝手に体が動いた。
重かったはずの体が、重さを感じなくなる。
バスケットを蹴り飛ばすようにして、ベッドから飛び降りる。
容器を蹴り飛ばし、水が舞った。



「俊二っ!」



ぎゅっと、背中から抱きしめる。足にこぼれた水がかかり、じんわりと冷たい。


「っ……!」

「……俊二」


俊二、俊二、俊二、と繰り返す。顔をぐっと肩に押し付ける。
多分、涙のせいで濡れているだろう肩が微かに動いた。


「ちょお、離してや」

やんわりと手を離される。振り返ったかと思ったら、正面から力強く抱きしめられた。


「…どうしたんや、何、人肌恋しくなったんか?」

「分からん、けど…っ俊二、」

「何や、……一希」

「あのな、ありがとう」



ありがとう、本当は寂しかったんじゃ、でも、風邪うつしたらいかんと思うて、誰にも会えんかったんじゃ。


「ありがとう、俊二、ありが…」

「もう、ええよ」

そう遮ると、瑞垣は俺にキスをした。








ありがとうの数だけ
(俺はお前を好きになる)





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