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男と被験体
男と被験体2

内装は白で統一されており、沢山の通路があった。
天井はそれほど高くなく、3mも無いだろう。

……やはり私は、ここを知っている。

「あ……の、ここは、」
「俺とお前が、初めて逢った場所だ。お前はこの奥に居た」

私が、この奥に……。

真っ直ぐと長く続く通路。
私は以前ここを、真っ直ぐ走った。

……走った?

ふと、誰かと一緒に、走った気がした。

誰だ、誰と走ったのだ?

リノリウムの床が照明に反射してぎらりと鈍く光る。

高田と走ったのだろうか……?
いや、違う。
彼の手はもっと骨張っていて。
あんなに冷たい目で無く……。
……彼?

……あ、

「……コウ、ジ?」

ぽそりと呟いた私の言葉に、高田はぴたりと足を止めた。

「そうだ、私はコウジと一緒にここを……」

走ったのだ。
コウジに、手を引かれる形で。
走って、今入ってきたあの扉から出て行き……。
そして……駄目だ、その後が思い出せない。

繋いでいない方の左手で軽く髪をかきあげる。

「コウジ……?」

高田の声にはっとすると、彼はこちらを冷たい目で見詰めていた。
思わずぶるりと身震いをする。

「……コウジと言う人と、ここを走ったような……気が、」

しかしそれ以上は思い出せない、そう伝えると、高田はまたくるりと前を向いて私の手を引いて歩き出した。

……忘れていた。

高田の、彼のあの底冷えするような瞳。
ふとした時に感じるあの冷たい視線。

やはり私は、あの眼を、彼を、知っている。


ただひたすら何処かへ歩き続けている間も、私はだんだんと思い出していた。
どのような経緯でかは解らないが、私は確かにここにいて。

そしてやはり、コウジと高田もここにいたのだ。

コウジは髪を明るく染めた、私と同年代の男だ。
いつも私を気遣い、何かと世話を焼いてくれる。
愚鈍な私は、その優しさに随分と甘えた。

そのせいで、コウジが酷い目に合う事もあったというのに。



「見つかったのかっ!!?」

突然大きな声と共に、中年の男が今しがた通りすぎたドアから飛び出てきた。

「ひっ……」

急な事にびくりとして息を止めてしまった私を隠すように、高田は前に立ちはだかった。

「えぇ」

そっけ無く返す彼に、男は満面の笑顔で彼の肩を叩く。
高田の上司か何かだろうか。

「捜したんだぞ、R」

そう言って中年の男は、私の頬をするりと撫でた。
その瞬間、ぞわりとした悪寒に背中を舐められた。

気持ち悪い……。

触れられている頬が酷く汚らわしく思え、私は数歩後へと下がり男の手から逃れた。
なんなのだ、この不快感は。
手が離れた後も、手が頬に張り付いた感触が消え去らない。

私の行動が意外だったのか、男は興味深そうに私を下から覗き込み、
「ほぅほぅ、」
と言って高田をちらりと見た。
彼はざっと髪をかきあげ、
「今、記憶の混乱が起きているんですよ。おそらく一時的なものだとは思いますが」
と淡々と告げた。

「……へぇ。流石、面白いなぁ。そうかそうか」

男は私を見てにやにやと笑い、高田と二言三言話すと、汚れた白衣を翻して
「あいつらにも知らせてくる」と言い、駆け出して行った。
あいつら、とは……。
誰の事を指しているのか全く解らないが、ただ嫌な予感だけははっきりとする。


それにしても、先程の男。
白衣を着ているという事は、ここは病院なのだろうか。

医師にしては、随分汚れた白衣を……。
……ッ!!
ち、違う!
あれは、ただの汚れじゃ……。
あれは、アレはあれはアレハ…………………………血だ。
白衣にべったりと着いている黒ずんだものは、どうみても血だった。
先刻は気付かなかったが、何故あんなに大量の血が……。


呆然と、去っていく男の白衣を見ていると、ぐい、と右手を引っ張られる。

通路を真っ直ぐに進むと、下へと続く階段が見えてきた。
ドクン。
心臓が大きく跳ねる。
ドクン。
これは……

高田は、私の視線を受け止めるとにやりと笑って

「おいで」

と言った。


繋いでいる手を頼りに、光源の少ない階段を下っていく。

「い、嫌だ……」

とうとう、ここまで来てしまった。

「高田さん、嫌……!」

下では様々な物音がする。
鐘を打ちならすような音や、誰かの叫ぶような大きな声。

カーンカーンカーンカーン、

警告音が、これ以上ないくらい響いている。
進んではいけない。

カーンカーンカーンカーン、

「行きたくない、高田さん!」

目の前がぐらつく。

カーンカーンカーンカーン、

柔らかい物の上を歩いているように、足元がふらつく。

「思い出したの?R22850号」

なに?R……22、?

カーンカーンカーンカーン、

よく解らない、
ただこの先だけは……!

ぐるぐるぐるぐる

「たかだ、さ…ん、やめて」

カーンカーンカーンカーン、

下の部屋の明かりが見える

「……やめ、て」

耳を塞ぐ

カーンカーンカーンカーン、

「ホラ」

何かが足元にある

カーンカーンカーンカーン、

やめて、やめてやめて

人の、声が

カーンカーンカーンカーン、

「お友達だよ」

叫び声が……

カーンカーンカーンカーン、

…………………。

誰かが、倒れて…

倒れている者と、


カチリと目があう。

「……コウ……ジ……、いっ、ぃぃあ、あぁぁぁあああああああああああああああっ!!!!!」

カーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーン、







目が覚めて最初に見たものは、鮮やかに赤く染まる海でもなかった。
柔らかい砂の感触もなく、頬に当たるのはひやりとした冷たい床。
そしてそこに広がる、赤い赤い
血の海。

あぁ、戻ってきてしまったのだと。
ここにきて、ようやく気がついた。

何度も何度も頭の中では警鐘が鳴り響いていたのに。

危険を頭の片隅でいつも感じていたのに、私は……。


両腕には私を縛るいつもの鎖。
肉体の自由を奪う、見慣れた拘束具。

重い体を持ち上げ周囲を見回すると、傍らにはコウジの死体。


私は、全てを思い出していた。





ここは、施設だ。

人間がどれだけ人間でいられるか。
肉体的苦痛、精神的苦痛。
一体どこまで与えるとヒトはヒトで無くなるのか。
人間の概念とはどういったものの事を指し示すのか。

そういった、ある意味形而上的なものを探求する者達が作りあげた、施設だ。

倫理感や道徳感を全て無視し、人権を侵害する。
この世にあってはならない施設だ。


私は、かつてここに居た。
ここで、被験体として暮らしていた。

太陽の光の無い暗い暗い地下。

絶食をさせられたり、謎の文字の羅列を一日中聞かされたり、
体の一部を、取られたり。
催眠、暗示、信仰。

本当に様々な事をさせられる。


しかし私は、周りの被験体とは少し違った。

私だけは、いつもガラス越し。
実験という名の非人道的行為が行われている時、私はいつも科学班と言う人達に呼びだされ。
そして、彼らの横に座らされるのだ。

ガラス越し、モニター越し。
被験体が泣きわめきながら暴れている様子を、科学班はデータ採取と言い子細に書き留める。
そして何人かは、被験体を見詰める私の反応を書き留める。

そしてその科学班の中に、高田は居た。
冷たい瞳で、暗い笑みで、緩やかな手つきで。
彼は私を調べ尽くした。

次第に何の反応も示さない様になった私に、彼らはより残虐な行為を被験体にさせ、その様子を無理矢理に見せる。
彼らは恐怖に強弱をつけ、私を責め立てた。
どうすれば人は反応を示すか。
私は、脊髄反射とは別の、感情的な側面を計る為の被験体だった。

訳のわからぬ液体や玩具を私に贈りつけ、自分で満足して帰っていく研究員もいる。

私は、被験体であり科学班の玩具であった。



そんな時、コウジと言う者が入って来た。
被験体としてやって来た彼は、何故か私を連れて逃げようとした。
入念な下調べを彼は一人で熟し、脱走の計画を企てた。
そして、彼は私の手を握り締めて言った。

「一緒に光を浴びよう」

光。
どんなものだったかも忘れかけていた。
私には、闇に浸かりすぎて光がもうよく解らなかった。

「綺麗な海を、見よう」

彼はそう言って綺麗に笑った。

……私は、小さく頷きコウジの手を取った。



そして脱走中、あの長い長い廊下を彼と一緒に走った。
コウジのかたい手に引かれながら、扉へと駆け抜けた。

勢いよく扉を開くと、風が二人の間を駆け抜けた。
その余りの爽やかさに、私は驚き動けなくなった。

これが、世界か?
本当にそうなのか?

施設には存在しなかった色が溢れ過ぎていて、私は呆然と立ち尽くした。

「行こう、走るぞ!」

彼は私の手を引き、またもや走りだした。
剥き出しのコンクリートの地面や柔らかな土の感触。
草木の匂い。
だんだんと私は興奮してきた。


途中、彼は突然しゃがみ込み穴を堀り始めた。
何をしているのかと呆気に取られていると、彼は施設から支給された携帯電話と薄い財布とカードをその中へ投げ棄てた。
聞くと、どうやらこれらには全地球即位システムが組み込まれており科学班に居場所が特定されてしまうらしい。
私も彼に倣い、穴へと携帯電話とカードを落とした。
何かを自分で買う事が無かったので財布は元から持っていなかった。



それから二人で海へ向かった。

町を通り、人とすれ違い、坂を下り。
油断していた所へ、科学班は来た。

コウジは私の背を押し、逃げるよう叫んだ。

コウジ、君はどうするのだ!
私は声も無く叫んだ。
しかし、あっという間にコウジは彼らに向かって走り出す。

つまりコウジは、囮となってくれたのだ。


私は無我夢中で走った。
途中で何度も転び頭も打った。

とにかく、海に行かなければ。
二人で決めた、目的の場所へ。

海へ行けば、きっとコウジは助かる。
そんな根拠の無い願いだけが、ひたすら私を海へ向かわせた。

そしてようやく砂浜へと辿り着いた私は、遂に崩れ落ちた。




しかし私は、またこの地獄へと舞い戻ってしまった。
それも、自分の足で。

無惨にも、連れ戻され殺されたコウジの死体の手を握る。
そこに、二人で走った時の暖かさはもう存在しない。



「おはよう、被験体番号R22850号」

私を取り囲む様にずらりと並ぶ科学班の中に。

あの冷たい瞳でにやりと笑う、高田が居た。



  END

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