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薬研

「あーもー時間ないー!!なんで寝坊しちゃうかなー!」

「昨日遅くまで映画とやら見てたせいだろ?…本当に行かなきゃいけないのか?大将」

「行かなきゃいけないの」

どこか不機嫌そうな声音と共に、苦もなさげに櫛で丁寧に梳き終わった私の髪をくるくるとまとめて、淡い紫色をした藤の花をあしらったシンプルな簪を刺して器用にお団子頭を作ってしまったのはうちの近侍様
それを尻目になんとか細くアイラインを引き終わったこっちはぱしぱしと瞬きをしながらアイメイクの出来を確かめる
ラインのひき方に自画自賛をして、ふと感じる違和感に鏡の中で目を向ければ櫛を手に私の後れ毛を直してくれていたらしいじとっとした湿っぽい眼差しを向けてくる薬研と目が合う

なんでしょうその視線は。やっぱアイライン薄すぎるとか?
薬研のジト目って普段しないからかされると地味に怖いんだよね

「たーいしょ、紅濃すぎねえか」

かがみこんで耳元に顔を寄せる薬研の吐息が触れるのがくすぐったくて、逃げるように首をすくめてみせれば隙なく密着する体温に背中を覆われてしまう
背後からするりのばされた白衣に包まれた腕に両肩を抱え込まれて、ファンデーションがとれるのを気にしてくれているかいつもより更に優しく押し当てられた彼の頬はいつもどおりのまだ幼さの残る柔らかさ

「そう?でも公式の場だし舐められないようきっちり化粧してったほうがいいかなって」

今日は審神者同士の情報交換会のようなものが催されしがない新米審神者である私にもお招きがかかった以上、緩い格好で行くわけにはいかないし
しっかり化粧に衣装も整えて、出陣する時並みに気合いれていかないと

仕上げに指先で小瓶の練り香水をすくい取って、耳の後ろに塗りつける
薬研の香りに包み込まれてしまっているせいでわかりにくいけれど、多分僅かに香る程度にはつけられたはず

「それでも濃すぎだ。そんなんじゃ男誘ってるようなもんだぜ」

「誘…っ!?ないないないそれはない!」

私の襟元に手を添えて引っ張りながら着物の袷部分を鏡越しに整えてくれる薬研を鏡越しに睨みつければ、さっきより更に湿度を増した咎めるような目線が帰ってきて居心地の悪さが倍になる

「懐紙は?」

「…きらしてます…」

「じゃ、てぃっしゅはどうした?」

「カバンの中になら…」

どっちかは常備しとけって言ってるだろ?と呆れたようにため息をついて、眼鏡を額に押し上げた薬研が仕方ないなとでも言うようによく短刀たちに向ける兄めいた笑顔を浮かべる
ごつんと側頭部同士をぶつけられて優しく擦り合わされるせいで、くしゃりと二人分の髪が擦れる音

「ほーら、紅薄くしてやるから口閉じろ」

「んっ、むむ」

言われるままに唇を結んで薬研の方へ顔を向ければ、片手で顎を掴まれてずいと近寄る

あ、近。薬研やっぱ若いからか肌綺麗

裸眼になった薬研も集中しているのか、僅かに開かれた彼の薄い唇から悩ましげにふぅとひとつ零れるため息に唇を撫でられて首をすくめて
よりによってそんな時に脳裏をよぎるのは、昨日見た映画のラストシーン

キスの時の距離ってこんな感じなのかな…って違う違う!!私と薬研はそもそもそんなんじゃないから!!

ふと湧いた赤面してしまいそうになるとりとめもない思考を振り払うように、彼の顔を覗けば暮れの空の色に吸い込まれるような錯覚を起こしてしまう
そんな私の頭の中なんて知りもせずにごしごしと乱暴に白衣の袖で口元を拭われてしまえば、大した抗議の声すらあげることもできずに為すがまま

「む、むむ…!いき、できな、」

鼻も塞がれてしまったせいで、呼吸をするだけで薬研特有の濃い薬草の香りがふわりと肺の深くの隅々まで満たして
そんな彼の香りは安心できるから、すきだなんて本人になんて絶対に言わないけれど
漸く自由になった口元で感じる新鮮な空気に安心していた途端、つんと彼の指先に唇をつつかれてしまった

「いー子だ。もうちょい我慢しててくれな」

ちゅ、とかすかな水音と共にその指を自分の口に含んで、ちろり唇から覗く赤い舌が爪先を追いすがるように伝う薬研の仕草の色っぽさをなんだか直視できなくて視線を逸らしてしまう

いつも思うけど薬研の色気って、もう短刀というかショタの色気じゃないよね!?
薬研だけどうしてこう他の子より頭一つ抜きん出て大人っぽいの!?

湿った感触が私の唇の際を丁寧になぞって濡れた口元が空気に触れてひやりと冷たくなる感触に、おそらく拭うときにはみ出た紅を湿らせた指で丁寧に拭き取ってくれているのだろうけど
彼の舐めた指先が唇に触れているその事実を明確に認識してしまって、年甲斐もなくこんなことで顔に体温が集まってしまう感覚

「ん、やげ…」

間接キス…とはいかないけど、これはこれでかなり恥ずかしい…!

それを訴えたくて未だに唇あたりに触れている手を軽く握ってちらりと膝立ちしている薬研を見上げれば真面目な視線の瞳で真っ直ぐに見つめ返されるのが恥ずかしくて、けれどこの状況で身動きなんてとれるわけもないから彼の手を握る力を強くしてぎゅっと目を瞑る
ふに、と一瞬掠める程の感触で唇に触れられて反射的に目を見開けば満面の笑みを浮かべる薬研が視界を占領していた

「よし、大丈夫だな。これでイイ女の一丁あがりってな!若いうちはこれくらい薄いほうが見栄えするぜ」

「ありがと。…でも、そういえばなんで薬研は化粧にも詳しいの」

「そりゃ大将の身の回りの世話の為に、女の身支度の仕方を一通りは勉強したからな」

いざとなりゃふるめいくだってやってやれるぜ、と頬に触れて垂れる横髪を耳元にかけられて露わになった耳の形を指先でなぞられるので、仕返し代わりに薬研が額に乗せたままの眼鏡を彼の目元にまで下ろしてやればさっきまで程とはいかなくても近づく距離
こつんと二人の額を合わせて、触れ合える距離で二人同時ににへらと笑う

「まじで」

「大まじだ」

そこでふと、視界の端にちらついたのは白に映える赤色
気になって目で追えば、石鹸の香りをくゆらす染み皺一つない真っ白な彼の普段着の袖には毒々しい程に真っ赤なルージュ跡がくっきりと残ってしまっていて

「あ。薬研、白衣…!!」

「…」

じぃと赤く染まってしまった白衣の袖を見つめる薬研

どうしよう、薬研のことだから怒ってるとかは無さそうだけど
口紅って普通に洗剤使って手で洗えばおちたっけ…?

なにかを思いついたのか、一度ゆっくりと瞬いた淡い紫の瞳がいたずらっぽく微笑んでこちらに向けられる
彼の利き手が、白衣の汚れ部分をきゅっと指先で緩く握り締めたらしいのが白い布に寄る皺で分かった

「…ごめん。白衣は後で染み抜きしておくから、」

「あー…俺っち、大将に汚されちまったな」

「!?」

汚れていない方の白衣の袖を口元にあて見下ろしてくる眼鏡のレンズ越しに宵色の瞳が艶を香らせてつぃと細められ、何かを企むように持ち上げられた口端と併せて形作るのは大人びた表情
まだ幼さの残る顔立ちのはずなのに気怠い午後の光の下で見る薬研の艶麗な笑みは妙に彼に似合っていて、相反する倒錯的な雰囲気と共に、どこか違う意図を思わせる意味深なセリフにぴしりとこっちが固まってしまう

それってあれだよね、『俺の白衣が汚された』ってことだよね!?むしろそれ以外にないよね!?

「大将、そろそろ時間だぞ」

「やば、もう出なきゃ…!」

ぐるぐると考えかけていたところに薬研お手製の香を強すぎない程度に焚き込めたストールを首元に巻かれ、転ぶなよーなんて彼の声を背に受けて慌てて部屋を飛び出した






主のいない昼下がり、少年は彼女の部屋前の縁側に腰掛けていた
吹きこむ風にふわりと彼女の香りが巻き上げられ、それに導かれるように少年は自身の白衣の袖に付いた紅い染みにそっと唇を寄せて誰かを思い出したのかおだやかにはにかむ

「…俺も、まだ青いな」




15.03.18




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