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ほし9
律の仕事は主に雑用だ。
指定された文書を打ったり、
印刷をしたり、
必要な物品をとってきたり、
そして今は。
「そう…そんな風に真っすぐ切って、曲がらないように貼るんだ」
「はい」
羽鳥から写植を教わっているところだ。
自覚はないようだが、
律は割と器用な手先をしているから。
こういう作業の飲み込みは早い方だ。
「そうだ、上手くいったな」
よしよし、と。
律の頭を撫でる羽鳥。
撫でる、
いやいやいや、
何してんだよ羽鳥。
お前そういうことするキャラじゃないだろう。
そんなことしたら、
今の律は…っ、
「ありがとうございます」
今の律は、
10年間に溜め込んだ、
いろんな毒気の抜けた律で。
そんな、
全力で純粋街道まっしぐらな律が。
恥ずかしそうに笑った瞬間。
ふわり、
律の周りに花が飛んだ。
これぞ、
乙女のキュンゴマである。
そう。
乙女の、であり。
間違っても、『乙女部の』ではない。
であるからには。
フロア全体が手を止めて見とれていて。
羽鳥に至ってはちゃっかり顔赤らめているこの事態は。
誠に由々しき事態、だ。
だから。
「小野寺!」
「は、はい!」
俺の怒声に驚き立ち上がる律。
そんな。
俺の声一つで怯えた律が。
可哀想で、
可愛いだなんて。
思ってない。
嘘、
すっごい思ってる。
「…ちょっと、付いてこい」
そういって、
フロアを後にする。
ててて…と。
足音でわかる。
ちょっと急ぎ足で後から必死になってついてくるのが。
わかって。
そんな状況に、
優越感を感じている自分がいるなんて。
絶対に誰にも言えない。
ようやく俺に追い付き、
隣に来た律が。
身長差を埋めるべく上目使いで問うてきた。
「あの、どこ行くんですかっ、嵯峨せんぱ……あっ、」
嵯峨が旧姓であると説明されたことを思い出したのだろう。
途中まで言いかけ、
眉根を下げて。
心底申し訳なさそうな顔をした。
「好きに呼ぶといい」
これは別に気遣いとかではなく。
本当に、
何と呼ばれようと構わないと思っている。
名前一つで俺の本質が変わる訳でもない。
だけど。
その名前を知っているのが、
ここでは律だけだと思うと。
途端に特別なものにも思えてきたりもするわけで。
「いえ、やっぱり……今はもう先輩じゃなくて、上司なわけですし」
それに、と。
少し俯いて、
少し思案する素振りを見せて。
ゆっくりと、
話しはじめた。
「おれ…早く、」
「早く今の高野さんを、知りたいんです」
早く慣れるようにしますね、と。
頬を赤らめて笑う律。
それは純粋な感情。
好きな人の、
今を知りたいという。
そんな単純な、感情。
「……そうか」
くしゃり、
目の前の小さな頭を撫でつけることで、
表情を見られないようにした。
俺は、
こいつのこと、
こいつの今までを、
本当に見れていただろうか。
知ろうとしてきただろうか。
今の律を。
律の、
俺と別れてからの10年を。

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