君はまだ知らない、事実
依然として雨は降り続く。
まるで僕の心自身にも降り注ぐかのように叩きつける水の塊は、容赦無く体温を奪っていく。
あぁ、これだから…雨はキライなんだ。
「…黙ってちゃあ、分からないよ」
「……ッ…ねぇ、ユーリは…?」
ユーリは、今無事なのかだとか、ユーリには手を出すなとか。
言えば余計にコイツを煽るだけな気もしたのに、聞かずにはいられなかった。
「へぇ、ユーリ…ね。あの吸血鬼の名前かい?」
「…」
チッ、と内心舌打ちをする。
“ユーリ”と言う名をうっかり出してしまった事を悔やんだ。
どうせ、知っていたのだろうと思っていたけど…
「よっぽど大切なんだね、あの吸血鬼のことが」
ニタリ、と笑みを一層深くしたラスネールだったが、その瞳は笑ってはいなかった。
ひどく冷めた、妬みの色に染まっていたかのように見えた。
「質問に、答えなよ」
苛々と不安が体内を駆け巡っていた。
冷静さなんて、保っていられなくてどうやら声にもそれが滲み出てしまったらしい。
「えー。やだよって言ったら?」
「いい加減にしないと…殺すヨ?」
明らかに、怒気の含んだ声になる。
どうしてか、このドッペルゲンガーの前では感情のコントロールが効かないみたいだ。
緊迫する空間内で、突如前触れもなくクスッと笑う音が響いた。
止むことの無い、雨の喧騒が続く中で。
「あはっ、はははっ!何の冗談のつもり…?」
冷たく嘲笑うラスネールの声。
「君さぁ、本気で言ってるの?…ねぇ、分からない訳じゃあ無いでしょう?」
顔を近付けながら、さっきよりも低い声でラスネールは言う。
「ボクの方が遥かに力が上だってこと」
「…っ……!!」
ぞわり。
と、背筋に寒気が走った。
金色をした、妖しげな光を放つ瞳に自分の姿が映っているのが分かる。
それ程までに至近距離にまで追い詰められると、思い出したくない過去の日々の出来事が自然に呼び起こされてしまいそうな気がして、ひどく目眩がした。
何か、心を見透かされているかのようにギョロリと動く金の光は、僕の大嫌いな色だった。
そしてそれは僕自身の左目にも宿る、同じ色だという事も…
「そんなの、分からないヨ…?だって、最後にお前と居たのなんてもう何百年も前の話じゃないか」
「そう、まぁ…変わらないと思うけどね。歴然とした力の差は埋められないよ……例え何百年経とうとも、ね」
キッと目を細めて睨み上げてくる視線に吐き気を覚えたのはいつからだろうか。
恐怖と、不安と怒りで思わず震えが走りそうになる身体を必死で押さえ付ける。
近くに寄られた瞬間に分かった。
多分コイツはまだユーリの所へは行ってない。
気配と、匂いで何となくだけれど分かる。
そして僕のそういう類の直感はほとんど外れない。
だから少しだけ安堵したが、それも束の間。
どうやら顔に出てしまったらしい。
ラスネールが、口端を吊り上げ笑ったのが空気で分かった。
「大丈夫、あの吸血鬼には何もしてないよ」
「…ユーリに手を出すようなら、僕が全力でお前を消すヨ…?」
「ヒヒ…怖い怖い。君、今の自分の顔見てみたら?…まるでボクみたいだよ」
「…ッ……」
ムカツク。
言動、行動、全てが。
「彼奴をどうこうするつもりは無いよ」
「お前の言ってる事なんて信用できない」
「…ふーん?嘘は言ってないけどねぇ」
但し、と一拍置いて更に近付いてきたラスネールが、耳元で囁く。
「ボクの邪魔をするようなら、悪いけど消えてもらうから」
「…ふざけッ…!?」
ふざけるな。
そう言おうとした言葉は続かなかった。
胸に何か鋭いものを突き刺された感触に遮られて。
まるでスローモーションのようにドクリと。
真っ赤な飛沫が視界に舞い、目の前に居るラスネールをも赤に染めた。
「なッ…がはっ……!」
「まだまだ、ボクからしたら隙だらけだよ、スマイル…」
衝撃の後でじんわりと、痛みが遅れてやって来た。
身体の自由が突如奪われ背中側に傾く。
赤い雫石と雨粒の混ざり合う視界の中で、満面の笑みを浮かべるドッペルゲンガーが見えた。
己を刺したのであろう、赤い液体の滴る鋭利な刃物を舌でなぞりながら緑色の髪をしたソイツが見下ろす。
「大丈夫、急所は外しておいたからさ。…最も、その程度じゃ致命傷にもならないでしょう?」
「…う、っるさ……ぐっ…!」
声を発するのもままならないが確かに、自分はこの程度の攻撃じゃ死なない事も確実。
何の目的も無しに、コイツが攻撃を外す事なんてまず、無い。
何を企んでると言うのだろうか。
目の前に居るソイツは…ラスネールはスマイルの分身。
いわばもう一人の自分の筈。
それなのにラスネールの意図する事が読めなくて困惑した。
少しずつ、指先が冷たくなるのを感じながら。
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