―――4
「あれ?会長?おかえりなさい?」
「おー、ただいまー」
生徒会室に戻ると、会計の獅倉が不思議そうに首を傾げた。
「今日、もうすることないからって、帰らなかったっけ?」
「参木が確認したいことがあるあるんだと」
「廊下で、また騒いでいた」
「あー…うん」
気まずげに視線を逸らされた。誰と、まで聞かずに理解されてしまうのが悲しい。
獅倉は、ネクタイを結ぶのが苦手だとかで式典と風紀検査の時以外はつけていない。髪は染めているものの、ダークブラウンなので規定の範囲内だ。第一ボタンはあけ、指定セーターを着用している。ただ、セーター含め制服のサイズがなぜか大きめのせいで、小柄というわけでもないのに小柄な印象を受けてしまう。
「玖峪」
「おう」
参木に呼ばれ、近寄る。ここなんだがと書類を見せられたところで、獅倉の声が聞こえた。
「………‘生徒会長’?」
「うん?」
どうした?と振り向く。
獅倉は混乱した様子でオレと参木とを見比べた。参木は顔をしかめている。
「え?みっちゃん?」
「オレじゃない」
「獅倉?」
どうしたんだと再度問えば、獅倉は戸惑いがちに口を開いた。
「えーと、会長」
「ああ」
「背中」
「………背中?」
振り返って見ようにも、自分の背中など見えるわけがなく。腕をまわしたら、何かが指先に触れた。どうにかつかむ。
‘生徒会長’とでかでかと書かれた紙だった。
「………っ」
「それ、陸山さん?」
「ああ」
てててと寄ってきた獅倉と参木の会話が聞こえた。ぐしゃりと、手の中の紙を握りつぶす。
「小学生かっ!」
「うぉっ」
「玖峪、煩い」
静かにしていられるか。これが。
背中に触れられた記憶は確かにある。けれどあいつはこれを用意してふらふらしていたとでもいうのか?どんだけ準備がいいというか暇しているというか。
「か、会長」
「あ?」
「その、悪気、ない。多分」
「悪意の固まりじゃないか」
「悪意、違う」
なぜ片言なんだ、獅倉。
「悪い、人じゃ、ない」
「あれがか?」
「あぅ……」
眉間に力がこもるのが自分でわかった。獅倉が言葉を詰まらせ、視線を泳がせる。
「む、昔はあんなんじゃなかったんだ。みんなの兄貴分で、格好良くて。あ、あんな子供じみたことする人じゃっ」
「玖峪」
参木にたしなめられてしまった。別に、獅倉を責めるつもりはなかったのだが。ばつが悪くて、視線を逸らす。
「まぁ、オレも陸山には関わりたくないが」
「みっちゃんっ?」
悪いと笑いかけながら、参木は獅倉の肩に手を置いた。それからオレには冷たい眼差しを向ける。その温度差はちょっと寂しい。
「玖峪は変なとこで人の感情に疎いからな」
「………そんなこたねぇよ。大体、今はそんなこと関係ないだろ」
「ある。まぁ、壱原先輩よりはマシか」
「壱原先輩?」
どうしてここでその名が出るのか。
「あの人の場合は疎いというか……真面目の固まりすぎて感情が二の次というか。結局、浮いた噂の一つもなかっただろ」
「あー…」
確かに、前会長の壱原先輩は浮いた噂の一つもなかった。だが噂がなかったからといって、事実何もなかったかというとそれは違う。オレは、そのことをよく知ってしまっている。
気づいたきっかけは、本当にちょっとしたこと。そして相手は、オレのよく知る人だった。
「………先輩って、先輩と付き合ってるんですよね?」
「………ごめん。誰と誰がだって?」
その日、先輩はソファでタバコを吸っていて、オレは生徒会の仕事で紙の花を作成していた。
陸山が生徒会室に姿をあらわすようになってからは、持ち出せる仕事は極力この部屋で行うようになっていた。そうなると自然滞在時間が増えるわけで。先輩はオレがいる時は吸わないようにしていたタバコを、気にせず吸うようになった。
「先輩と……会長、壱原先輩」
「あぁ……え?よく気づいたね」
やっぱりそうなのか。
顔を上げないまま、休めることなく手を動かす。何枚も重ねた薄紙を、ジグザグに折り畳んでいき、真ん中をテープで留める。
見なくたって、寝そべるようにしていた先輩が身を起こしたとわかった。
「先日、先輩…会長と一緒に昼を食べる機会がありまして」
テープの両脇を開き、紙を一枚ずつ立たせていく。きれいな形になるように調整しながら。
「その時のお弁当が、いつも先輩の食べてるのと似ていたので」
「それだけで?」
微調整を加え、形を確認してから箱に放り込む。そしてまた、薄紙を折り畳む。
「弁当箱が同じで、中身の雰囲気も似ていて。気になったので訊ねてみたら、前日のメニューが全く同じでした」
「なるほど」
おかずを、一つだって他人に分けたくない。嫌いなものが入っていても、完食する。それは、作り手のことを大切にしているからだろう。
「隠してるんですか?」
「そうだねぇ」
楽しげで、曖昧な返事。隠してるくせに。隠していた、くせに。
確信はあった。でも、こうして確認をとって、少なからず痛みを感じている。それなりの時を共に過ごし、親しくなったつもりでいたのに、隠し事をされていたのがそんなにショックだったのか。
手を機械的に動かし、花を作り上げていく。
「いいんですか?」
「何が?」
「そんな相手がいるのに、他の人間と密室で二人きりとか」
話を聞いたというのも、頼まれたというのも、叱られるというのも、全部そうだったのだろう。
「そうだねぇ」
「会長も、この部屋に来てるんですか?」
オレのいない時に。二人きりで。
「ははっ、それはないな」
軽い笑い声に、手が止まる。顔を上げると先輩は元の姿勢に戻っていて、楽しそうにタバコを吸っていた。
「あいつ、厳しいから。こんなヤニ臭い部屋に呼べない」
………あいつ。
「………言うほど、臭わない」
「そ?でも、ここオレの秘密の部屋だから。招待したの、玖峪ちゃんだけ」
「オレだけ?」
先輩がちらりとこちらを見る。その目は優しげに笑っている。
「そ。玖峪ちゃんだけ」
どうして、そんなことを言うのだろう。止まってしまった手を、動かすことができなかった。
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